受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 663 嚙みあわない会話と、ある過去について / 辻村深月 著 を読みました。

認知的不協和が生活のあらゆるシーンで常態化している人の物語。

4編の短編集です。

認知的不協和

普通の人は、認知的不協和が生じたとき(現実ではなく)自分の認知を無意識に操作するそうです。
たとえば「第一印象」
第一印象は、とかく雑で不正確になりがちです。追々修正が必須となります。
でも、たとえ雑な認知でも「私は認知した」という感覚がないと、人付き合いが困難になるそうです。だから、雑でも、曖昧でも「第一印象」をもって人との付き合いをスタートさせるそうです。TVでだれかが解説していたのを聴いた覚えがあります。
付き合いが続くと、最初の不正確な認知と現実のギャップに気がつきます。認知と、現実のギャップを認知的不協和と言うそうな。(僕の理解です(^_^;)

認知的不協和の解消

一般的には、認知的不協和が生じた場合、人は無意識に自分の認知を修正するそうです。
第一印象の場合には「こういう人だったのか。」と、解った正しい情報で自分の認知を修正して不協和を解消することになるのでしょう。
無意識に修正されるため「最初から、そういう人だと思っていた。」と一時的に生じた不協和を意識しない場合が多いそうです。

特殊な人

ところが(僕だけが感じていることではないと思いたいのですが)自分の認知を修正しないで、現実を修正しようとする人がいます。
第一印象で云えば、
最初の雑で不正確な自分の認知を是として、
現実の相手を否定する人。
「ウソをつき始めた。」
と考えてしまう場合です。
もちろん、現実には相手がウソをついているわけではありません。ですから自分にとっての本当の(元の雑な認知の認知どおりの)人に是正されることはありません。当たり前ですが。そして不協和は解消されません。常態化します。
このタイプの人は、相手にモノが言える立場にあれば、命令します。
「あなたは、青色が好きなのだから、赤い服はやめなさい。」と。

立場が弱ければ、命令できません。不満が残ります。

このタイプの人を何というか、僕は存じ上げません。認知障害というと、別の病気ですし。
それでも、彼らの存在は希ではないようです。僕は、時々出くわします。
「現実を修正しようとするタイプだ。」と気がつくことがあります。

強い立場に立つことを志向する

このタイプの人は、強い立場に立って、現実を修正しようと努力をしながら日常を生きています。
また、周囲の人に同意を求めて「私たちが正しい」と多数派になろうとします。
 
強い立場に立とうとする意思があり、周囲に同調圧力をかける人が、出世しやすい組織があります。
実務能力の評価が難しく、印象や評判、関係ないテストの点数や外部から与えられる資格などで昇格が決まる組織の場合など。
案外出世のチャンスがあるように思います。
ですので管理職に就く人も多いようです。本当は管理職には向かない(管理職に就けてはイケナイ)タイプだと思うのですが。
一方、強い立場に立つことができない場合は、家庭に収まる、と言えば聞こえが良いですが一種の引きこもりとして過ごしている人もいるようです。
ちなみに、僕は、出世せず、管理職経験がないので、これはひがみかもしれません。
ひがみついでに、放言してみようと思うのですが、
強い立場に立たずに、管理業務に取り組むと、いろいろ工夫が必要になります。
人に働きかける時には、言葉を工夫して説得するよりも、相手の話をよく聞き、納得できるやり方で任せる方が良い、とか。
だいぶ脱線しましたので、ここで本の感想に移ります。

読書感想

この本は、現実を是正しようとする人と、周囲で迷惑を被る人の物語です。四篇の短編集。
1. ナベちゃんのヨメ
最初は、主要登場人物外の人(主要登場人物のパートナー)が、認知的不協和を解消できないタイプの人(認知的不協和空間を生きる人)です。
ちなみに、認知的不協和空間を生きる人の配偶者には二種類います。
・ 配偶者を是認するタイプ
(「彼は正しい。」「妻は間違っていない」と言うタイプ。夫婦一緒の時におしゃべりをすると、二人ともヤバイ感じですが、個別に話をすると、印象が変わり、まともになるタイプ。)
と、
・ 配偶者と社会的に分離するタイプ
(公の場や、付き合いの場に連れて行くことを避けるタイプ。夫婦揃った時に会話をすると、ヤバイ方の配偶者が一人でしゃべります。)
 
いずれのタイプであっても、子どもをもうけて、育てられれば、社会学的に(じゃなくて)生物学的に正しく(BC; Biological Correctness)一定のわりあいで存続するはずです。
冒頭の第一編である「ナベちゃんのヨメ」では、配偶者を疑う様子もなく肯定(というよりは従属)するナベちゃん。彼の心情に理解を示す主人公に好感が持てました。
ぼくもナベちゃんの心情がよくわかります。たぶん性別によるものではなく(女性にもこのタイプがいると思いますが)受け身な恋愛を好むタイプです。
積極的にアプローチをすることを好まず
「気に入られて、相手に告白されないかな。」
と待つタイプです。なるほどな、と思いました。
2. パッとしない子
次はなんと主人公自身が認知的不協和空間を生きています。
この障害を持つ人は治癒しない、というむなしさが実感できる物語です。
また、この物語では、別の側面も描かれます。
周囲の人が「あの人は、自分の誤った認知を修正しない、オカシイ人だ」と気がつかない場合が多い側面です。
この二面性で、戦慄を覚える一遍でした。
3. ママ・はは
3編めは、受け持ったクラスの母親と、同僚の実の母親がおかしな人。ファンタジーで描かれます。
社会的な地位を築いて強い立場にたつタイプとは異なり、社会的な接触を減らすことで障害を軽減させているケース。つまり、家族が被害にあうわけです。
4. 早穂とゆかり
4編めも、なんと主人公が……。

読んで、困惑します

この短編集の驚くべき特徴は、四編のうち二遍で、テーマである「おかしな人」が主人公として描かれている点です。

主人公に感情移入して読みはじめるので、途中から困惑します。

著者もさぞかし疲れたことだろうと思います。あるいは、ものすごく精神的にタフなのかもしれぬと想像するのですが、あるいはボロボロになりながら、この迷惑な存在を読者に認知させようと親切にサービスしているのかもしれません。

「早穂とゆかり」では、ヤバイ人がやっつけられつつあることがわかり(読者にとっては)救いがあります。勧善懲悪の爽快感があります。
それでも、主人公は、持ち前の現実操作の努力と、決して自分の認知を修正しない特徴を発揮し「私は悪くない」と言うストーリーをねつ造し続けます。彼女にとっては救いはありません。

社会にはびこるヤバイ人たち

かれらは、認知能力に障害があるわけですが、経済的に余裕がある地域では、この障害を認知されないまま、大きな顔をし続けていられるケースがあります。
この点はサイコパスとも共通の社会的な特徴を持ったキャラクターなのかもしれません。
企業であれば、大企業病といわれる状態で、この手の人間が蔓延っているのかもしれません。
個人の仕事の能力が組織の存続に直結しない場合、たとえば公共団体や、学校などのように、実務能力ではなく政治力が重要視される組織では(実際の学校に勤務している人の人の話を聞いたわけではないので実情は違うかもしれませんが)出世した人の大半が、自分の不協和が生じている認知を押しつけることが出来た人、というケースもあるかもしれません。

若い頃の特徴

「声の大きい人」
とか
スクールカーストの上位にいた人」
は、社会に出て、所属した組織において、新人の頃から、同期の連中に向かって「教えてやるよ。」という態度で臨みます。
恋愛においても、恋人に対して「教えてやる」という態度で臨む人がいます。
そして、強い立場を獲得していくわけです。(解雇されたり、別れたりしなければ)
それでも、強談で押し切っていられた範囲の外の世界と接触すると、ボロが出ます。
なので、このタイプの人は、全世界を飛び回ってとか、出張で全国を走り回って、というような活躍はしません。地元で威張るタイプですね。

自分は大丈夫か?

「私もそうじゃないかしら。迷惑掛けていないかしら。」
と、この本を読んで心配になりました。
そこで、だいぶ考えました。
結論は、
「大丈夫です。」
 
この小説で描かれるようなサイコパスもどきの人は
「私がそうかも。」
とは思わないはずだ、と思いました。

自分の心がけ

それでも心配なので、自分の態度をはっきりさせることにしました。
それは、
たとえ、おかしなことや、ワケのわからないことを言う人がいても
「そうか、彼(彼女)は、そう考えるのか。」
と否定せずに理解する心がけです。
善悪や、良否などの価値判断をしないように心がけつつ、相手を肯定することにしました。
ただし、同意はしません。
これは、新型の鬱が疑われる近親者に対する接し方としてアドバイスされた手法です。流用することにしました。

このときの注意点は、おかしな相手に対して、価値判断をしない=間違いやウソ、方便を指摘してはイケないことです。争いになります。争いになると、現実の認識を吟味し、正しい認知に修正することは無理です。彼(彼女)は、争いに勝つことだけに注力します。

酒や煙草や色事や賭け事に依存している人を非難しても、改めることができないのと同じだと思います。
依存症の人は、自分が止めることができない、と思っています。先ずは
「そうか、止められないのだね。」
と事実を是認するところから始める必用があります。
「なんで? 私は悪くないのに、なぜ依存症の人を理解しなければならないのだろうか。」
と思わないでもないのですが、何をしたいのかを、思い出すようにします。
依存症をやめさせるよりも、自分の方が正しい、と証明したいと欲する欲求が強いのは、おかしな人の特徴です。「俺はおかしくない。」と思いたいので、我慢します。
とてもむなしい感じがしますが、人生は所詮むなしいものです。その中でも喜びはあり、生きる価値はある、と思います。おかしな人に関わり合うのではなく、なるべく接触を避けて、人生に愉快なことが増えるように頑張ります。
2021年 8月30日
No. 663