受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 675 傲慢と善良 / 辻村深月 著 を読みました。

本屋大賞かがみの孤城』の著者が贈る圧倒的な”恋愛”小説

婚約者が忽然と姿を消した。
その居場所を探すため、
西澤架は、彼女の「過去」と向き合うことになる  
生きていく痛みと苦しさ。
その先にあるはずの
幸せ  
  帯を転記  
この読書感想文は、大々的なネタバレです。あらかじめご承知置きください。

個人的な感想しか沸かない。

面白かった。
だけれども、特に人に聞いてもらいたいような感想はありませんでした。
自分が「読んで良かった。」と、思う自己満足完結型の読書でした。

 

おおよそ登場人物全員について「このような人がいることを知っている。」と思いました。
西澤架の感覚が一番よくわかります。
婚約者に対する感覚、婚約者よりお互いの理解が深く、気安くつきあえる友人との距離感。
坂庭真実も、後述するエンディング付近のエピソードを除いては
「そういうふうに理解するよね。」
と思いました。
西澤架の元カノ、元カノと一緒に遊んだ頃の男女の友人。彼女らが真実との結婚を考え直したほうが良い、と助言する気持ちもよくわかります。
坂庭真実の候補に挙がった男二人も、一人目の彼と結婚した彼女の感覚もわかります。このカップルが、僕にとっては理想のカップルです。自分で選べるならば、彼らのような人生を歩みたいと思います。
もっと理想を言うならば、価値観が共有できる長い付き合いの友人関係から、彼女のようなアプローチで結婚できたら最高だと思います。つまり三井亜優子と結婚していれば良かった。
西澤架としては、そこまで考えた上で、現状でのベストの選択が坂庭真実だ、と結論したと思われます。
と、いうふうに「僕にはわかる。」という感覚がありました。
 
矛盾なのですが、この小説の著者も含めて、僕以外の人が知っている、ということは、あまり想定していませんでした。
そこに、意外性を感じました。

 

「こんな人もいる。」 と言うことを僕以外の人もご存じなのか。
と。

 

次善の策として選んだ彼女をどう理解するか

ぼくの考えを述べます。 おそらく、能力の問題です。「彼女の認知の能力が低い」ということだと思います。
とりあえず「こういうことにしておこう」という便宜的な理解に執着し、自分の認知不足に目をつぶるタイプです。
このいい加減な理解を指摘すると、怒る人が多いです。攻撃的になります。
反撃に出なくては、自分の認知不足に目を向けなくてはならなくなるからだと思います。
自分の認知不足には、このようにして目をつぶるのですが、周囲の人間の行動までは制限できません。身近な人が、自分が期待する通りに行動しないのを目にする機会が多く発生します。
「なぜ、彼は私に理解できない行動をするのか?」
むろん、彼女が彼を理解していないからなのですが(笑)、
彼女は、自分の理解不足は絶対に認めないので、徹頭徹尾彼の行動を理解出来ません。
理不尽に意地悪をされていると感じることになります。
安穏な幸福感に到達することが困難な精神世界を生きています。
自分の子どもに対しては「叱らなくてはならない。」と感じ、
親に対しては「毒親である」と認識し、
恋人や配偶者に対しては、「俺が教えてやらなくてはならない。」と責任感を持つ場合があるようです。
 

結婚相手とは、職場の仲間や、信頼できる友人のような関係を築けなくても可

このタイプの人とは、仕事は一緒にできません。友達としても避けるべき人だ、と僕は認識しています。
しかし、結婚することはできます。
もちろん、もっとまともな人と結婚するほうが好ましいと思いますが、そんなコト考えて歳を取って今を迎えているわけです。
選択肢として除外する理由としては(彼、または彼女の認知能力の低さは)配偶者として候補から排除するには小さい、と思います。
一緒に仕事をするわけではありません。他の人に対して、妻の信用を当てにしなければならないシーンはありません。
また、とりたてて、友達のように信頼し合うことが必須か?と考えれば、必須ではありません。おおよそ何を考えているのかお互いにわかる感覚がなくても、結婚には支障はありません。 つまり、妻の認知能力が低いことは、夫婦生活の難にはならないと思います。
 

坂庭真実のメタモルフォーゼ

ところで、物語は終盤に差し掛かったところで、僕が「知っている。」と感じていた人物像から離れました。
おそらく、試行錯誤を繰り返すことを許さない親に育てられたのでしょう。子供時代に訓練されなかった結果としての理解力不足は、大人になってから、必要に応じて身につく能力の類いではないだろう、と僕は思っています。
他人への理解が雑で大柄に感じられる人が何かを切っ掛けに親身で親切な人に変わることは期待できません。
小説の中でも語られますが、タイトルの「傲慢と善良」は、ジェイン・オースティン(Jane Austen 英1775~1817)高慢と偏見(Pride and Prejudice 1813 T. Egerton, Whitehall)
を念頭に置いてます。 夏目漱石 (東京1867~1916)は則天去私の代表格として評価したようですが、
NHK Eテレ「100分de名著」2017年7月「高慢と偏見」
指南役:廣野由美子教授(京都大学では、
「本来、困難を乗り越えるためには、先ず自分を変えなければならない。」
「しかしながら、彼女の読者を含め、一般人はなるべくなら、自分は変わらずに、周囲が変わることを望む。周囲が変わって、自分の困難を乗り越えさせて欲しい。と願う。」
「『高慢と偏見』は、そんな怠惰な大衆の要求に合致し、主人公が困難に立ち向かうに当たって、地位を捨てるとか、価値観を変えるなどの努力を要さずに、ハッピーエンドを迎えるのが評判を呼んだミソである。」
と、解説されていた、と言うのは、ぼくの理解と記憶ですが。

 

辻村深月の「傲慢と善良」は、なんと、主人公が自己を変革しました。
このタイプの人は、とにかく、自分の責任になることを徹底的に避けるのが特徴で、例えばどんな結婚式にしたいか、と言うのはおぼろげな自分の希望を「配偶者が望むから」という形で実現しようとします。
希望を聞くと、自分としては希望がない、と主張しつつも、
なおかつ
「でも、あなたはこのようにしたいのでしょう?」
と婚約者に責任と、要望を押しつけます。
婚約者は、一方的な相手の要望を自分の希望として、周囲に説明しながら、結婚式までこぎ着けることになります。
これが、彼女の個性です。
変革される機会も動機も、ふつうはありません。一生このままの配偶者を不愉快にしながら、結婚生活を送ります。
ただし、このまま物語を終えると、男性側の寛容と甘やかしだけの小説になってしまいます。
まさか、自分の希望として結婚式のやりかたを変更して提案するとは。
と、言うわけでラストのシーン。自分の要望として結婚式の形式の変更を要求するところが、この小説のファンタジーであり、希望であり、特徴だな。と思いました。

 

前頭葉の働きが異様に活発な人の外見はおとなしい。

ところで、嫌みに反応しないような人は、愚鈍(鈍感)に見えます。
が、実際は脳の中で、対処方法を考えて、出した結果であり、無意識に非常に活発に感情を処理している=情動の処理能力に優れた人、というような報告をテレビで見た覚えがあります。
ですから、彼を深く理解するならば
「よく考えて『気にしないことにしよう』と結論し、表にださない人だ」
と、理解に到ると思います。
ですが、小説では、最後になっても宜的な理解(鈍感だ)と言うことで思考を停止させています。
彼女の変革と、保守が同居し、荒唐無稽になることを避けた、工夫が感じられました。

 

しかしながら、結婚は可能。

 

感想は以上です。
2022年 8月 3日
No. 675

2016/ 6/26 22:30 高知県南国市 PENTAX K-X DA L18-55 1/3秒、f/3.5、ISO: 3200、27mm相当
 
今晩は旧暦の七夕。写真の腕前と気合いが足りず、天の川でなく、北斗七星で代用します。
年に一度しか会えない織姫と彦星は、それでも歳を取らないので、晴れた七夕には、仲良しの夜を何度でも送ることが出来ます。
実在の人間は、そんなワケには参りません。
結婚をした二人の、気心の知れた旧友や、肉親とも異なる関係たる所以は、仲良しの夜を送ること。(「仲良し」という表現は「水底フェスタ」
で父親の気持ち悪い表現として使われるので微妙なのですがm(v_v)m)
回数を重ねることで、二人は親密になると思います。
怪我の治療を「手当て」と言いますが、実際に背中に手を当てるだけでも、怪我をした人には手当てとなるそうです。
肌の触れあいは、恋人ではない人にはなかなか求められないお互いのお手当。
社会的な立場はどのようにあろうとも、結婚された二人を、僕は祝福し、末永く(と言うよりは、幾多の夜を共に)仲良しされることを祈ろうと思います。
2022年 8月 4日