砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める部落の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のなかに人間存在の象徴的姿を追求した書下ろし長編。20数カ国語に翻訳された名作。背表紙を転記
安部公房を世界的作家として認知せしめた代表作。
今、この小説を読み返して感じるのは
「君が大切にしている、その『日常』と言うものに、一体どんな価値があるというのだ。」
と言う問いかけです。
僕たちは、毎日沢山の大切なものに囲まれて生活を営んでいます。仕事も大切だし、家族も大切。お金も、今キーを叩いているパソコンも、数十分後にこの文章をサーバーに送るための電話回線も大切。
でも、例えば、明日全てを失っても、ただ生きていることさえ可能ならば(時間は掛かるかもしれませんが)諦める事も、また可能なのではないでしょうか。無くてはならないと思っているテレビがそうです。実際に一週間スイッチを入れなくても、生活に何の支障も来さない事に気付きます。
親元で暮らしていたときには「読まないから、勿体無いので」と夕刊を購読していない隣家の節約に不審を感じた僕も、就職して一人暮らしを始めてからは、夕刊どころか新聞そのものを購読したことがありません。
今、僕を取り囲む大切そうに見えるほとんど全てのものが消去可能である事を思い、されど、現実には様々な消去可能なものに取り囲まれたまま生きています。
考えてみれば当たり前のこんな現実に、目を向ける機会を与えてくれるのが、この小説でした。
「長いものには巻かれろ。」と言うことわざがありますが、たとえ巻かれるにしても、取捨選択の余地に気付き、主体的に自分の人生を生きていく術を与えてくれたように思います。
1998年 6月21日
No. 132
No. 132