受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 463 スロウハイツの神様(上) / 辻村深月 著 を読みました。

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

 
人気作家チヨダ・コーキの小説で人が死んだ  あの事件から十年。アパート「スロウハイツ」ではオーナーである脚本家の赤羽環とコーキ、そして友人たちが共同生活を送っていた。夢を語り、物語を作る。好きなことに没頭し、刺激し合っていた6人。空室だった201号室に、新たな住人がやってくるまでは。
  カバーの背表紙を転記  

デビューから数えて5作めの作品

「ぼくのメジャースプーン」講談社新書2006/4/6)
ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

 
に続く、
辻村深月のデビューから数えて、5作めの作品。

若いクリエーターたちが住むアパート

若いクリエーター(とその卵)達が住むアパート「スロウハイツ」の風景を描いた長編小説の上巻です。
むろん、スロウハイツのモチーフはトキワ荘だ、と思います。
ただし、ここ(僕の読書感想文)では、元ネタのトキワ荘には、あまり踏み込みません。
辻村深月第3作「凍りのくじら」講談社新書2005/11/07)
凍りのくじら (講談社文庫)

凍りのくじら (講談社文庫)

 
で著者の辻村深月が並々ならぬ「ドラえもん愛」を披露していますし。
現在(2019年4月)公開中の劇場公開長編アニメーション映画のドラえもんのび太の月面探査記」の脚本を辻村深月が書いていて、
小説も出版されているので、
辻村深月の「ドラえもん愛」は、広くみんなが語るでしょう。
たとえば、このツイートのように。

アパートの住人

アパートの住人は、
既に小説で名を成した「チヨダ・コーキ」と
オーナーでもある脚本家の「赤羽環」に対し、
漫画家の卵「狩野壮太」「円屋伸一」、
映画監督の卵「長野正義」、
画家の卵「森永すみれ」の六人、
に加えてクリエーターでは無いけれど「チヨダ・コーキ」が信頼する編集者「黒木智志」の七人です。

赤羽環[あかばね・たまき]

僕が印象深く感じたのは「赤羽環」です。
「若くて、夢を実現していて、金銭的に余裕がある、女の子」
と聞くと、
僕は、
周囲の人にちやほやされて、派手で、オシャレで、
と言うような女性を思い浮かべます。
また、僕は
「欠点が多くて魅力的」
と聞くと、
その欠点は「容姿」であったり、「職業的能力」であったりして、「だけれど愛される」
つまり、コミュニケーション能力には長けた人を思い浮かべました。
以前観たテレビ番組で
「コミュニケーション能力に長けた人ほど、会話の中に嘘が多い」
と聞いた覚えがあります。
環の場合は違いました。
たぶん人付き合いが苦手で(派手でオシャレな様子ですが、)限られた友達と深く付き合うタイプのようです。
いわゆる「如才がない人」「友達が多い子」の逆で、
軋轢を厭わず、必要なことは言う人です。
つまり、決してコミュニケーション能力に長けているわけでは無く、
欠点を才能で補おうとするタイプでした。
 
だから、敵が多いし、嫌われる事も多い。
現実に僕の身近に環のような人がいたら、
僕は友達になれるだろうか?
敬遠したりするのでは無いだろうか?
と疑問に思いました。
でも、例えば(僕の偏見だとは思うけれど)ロックバンドのボーカルやギタリスト(つまりスタープレーヤー)って、こんな感じです。
間違えば人格破綻者と言われかねないのに、強烈な個性で人を魅了する人。
そんな個性の環を、
破滅してゆく人としてではなく、
忙しく働き、着実にステップアップしてゆく人として、
彼女を含めた若者の日常を描いているのがこの小説です。

コミュニケーション能力なんていらない

若い人にコミュニケーション能力を求めるのは筋違いじゃないか、と思うのです。
就職活動時期に、たびたび若者に求められている、というようなことを聞きますが。
最近、つくづく思います。人当たりの良い、感じの良い人、ってまともに生きていれば、三十代、四十代と歳を重ねるごとに、自然と身についていくものです。
おっさんや、おばさんが、若い人に「人当たりが良いこと」を求めるのは、自分が優位にたつポイントとしての要求だと思います。
だから、たぶん、コミュニケーション能力を求めるようなおじさんは、それ以外の能力が低い人だと思います。
学校卒業したての若者には、学校で学んだ、得意な分野での成功体験をさせることが、本当は必要なのだ、と僕は思います。
僕は、歳を取っても、若い人には、若者に特有の能力を求めるような年寄りになりたい。
それは、学校を卒業したばかりで、最新の教育を受けた人であること、
とか、
しがらみが少なく、自由に「本来あるべき」理想を追求する姿勢
です。
 
むろん、マナーが悪かったり、口汚かったり、上手に取り繕ったことが言えず、感じ悪かったりする人は苦労すると思います。
「若いうちには買ってでも苦労をしろ。」
と言う苦労は、そういうたぐいの苦労ではないかも知れないけれど、
下手に社交事例を身につけて、取り繕いの多い会話ができるようになって、
学生の頃に、勉強をサボっていて大卒ならできて当然の語学力だとか、計算ができなくても、会社でやっていけるような人にはなって欲しくないな。と、出世をせずに工場で働いている僕は「いっしょに働く仲間」に求める能力として、最近斯様に思います。

僕は(多少波乱に富んだ時期もあったけれど)どう考えても自分がオーソドックスなサラリーマンであることを自覚しています。
されば、スロウハイツの住人のように自分の才能一つに掛ける職業に就く(又は目指す)人たちが遠い世界の住人に感じられていました。
でもこの小説では、
そんな彼らも
(不規則ながらも)食事を取り、
(少ないながらも)眠り、
(苦手ながらも)人と話し、笑い、泣きながら過ごしていました。
 
少なくとも、心の持ちようとしては、このアパートの住人のように、僕も生きていきたいし、心の持ちようだけなら、歳を取っても、僕にもできる。そう思うのです。
空気を読んで、人の顔色をうかがって生きるのではなく、自分の得意なこと、好きなことで力を発揮したい。
短い人生は僕のもの。
そして、あなたの人生はあなたのもの。
これを尊重せずして、空気を読んでいても、誰のためにもならない、と思うんだよね。
本の感想になってなくてゴメンナサイ。
2007年2月11日
加筆:2019年4月3日
No.463

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