受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 447 子どもたちは夜と遊ぶ(上)/辻村深月 著 を読みました。

子どもたちは夜と遊ぶ (上) (講談社文庫)

子どもたちは夜と遊ぶ (上) (講談社文庫)

 
二〇〇四年に「冷たい校舎の時は止まる」講談社ノベルス2004/06/05)
で第三十一回メフィスト賞を受賞してデビューした著者の受賞後第一作。
前作が高校生を内と外から描いたのに対し、本作は大学生(工学部の研究室に所属する三人の男性と、教育学部に通う女性)を中心に展開されます。
 
工学部の浅葱や孤塚らが研究を進める様に接して先ず、僕が特徴的に感じたのは学校特有の競争社会でした。個人に対して評価が下され、なんらかの順位付けがなされる彼らの社会です。企業の、基本的に同僚とは利害関係が一致し、チームワークを重視する研究体制との違いです。
そんな競争の中で、スタープレイヤーとして天才の名を恣にする浅葱。周囲の人間から見た天才肌の浅葱と、彼が演じようとしている人間像は一致しています。しかし、実際に彼が自分を天才と考えているのかどうか。

外面(客観)描写に徹する小説はハードボイルドと呼ばれます。また、一人の内面描写に徹する小説を、僕はインナーハードボイルドと分類しています。僕は今まで小説というものは、そのどちらか、またはそれぞれを併せ持つ(つまり中間)に属するものだと思っていたのですが、本作は違いました。登場人物は、彼らの内と外に加え、第三の視点からも徹底的に描写されています。

その第三の視点とは無意識です。彼らの行動を拘束する過去や本能です。
つまり、読者である僕は、登場人物のどんなに親しい友人や肉親よりも、彼らを理解し、彼らの挙動を追って行く仕組みになっているのです、

そして、本作はミステリーです。

小説の前半では、仲の良い四人が、それぞれの将来を考えながら学生生活を営んでいます。せいぜい緊張があっても、それは、よくある恋愛小説の域を超えない、と、僕が油断をしながら読んでいたことに気づいたのは、事件が発生した後でした。そして、事件には、既に僕が深く理解し親近感を感じていた登場人物が直接関わっています。
なぜ? どうして? 彼が? 彼女が? 事件については、その発生状況が一から十まで描かれています。僕はそれを丁寧に読んでいたはずです。
それにも拘わらず、上巻を読み終えたときに、僕は多くの疑問を抱え、理不尽さに憤りを覚えていました。

斬新な人物描写で、登場人物以上に読者を事件にのめり込ませるミステリーです。

以上は、オンライン書店BK1に楊枕BK1では今まで「楊耽」で投稿していたのですが、変換を間違えた(^_^;))の名前で投稿し、「今週のオススメ書評」(2005/5/27~6/2)にトップで採用された文章
に若干手を加えたものです。
ここでは、もう少々個人的な感想を書きます。
それは、リアリティー豊かな、主人公たちの学生生活です。
主要登場人物のうち、理系の男三人の学生生活に接しての感想です。
今どき、理系と言えばコンピューターのネットワークですね。
それは、それで良いのですが、同じく理系の僕の専門は、化学。しかも生々しい有機合成化学です。
この小説で描写される浅葱や狐塚は、手を汚すことなくコンピューター端末のキーを叩いて優秀な成績を修めています。
「化学系の卒業研究とはだいぶ違うなぁ」
と言うのが、僕の感想でした。
例えば、化学系の学生なら必ず使う実験装置に、エバポレーターと呼ばれる自動蒸留装置
があります。なす型フラスコを湯槽に浸けて暖めながら、気化した液体を冷却装置で液体に戻して別途回収します。この装置「自動」とは名ばかりの、微妙な操作が必要なしろもの。
湯漕の温度を上げすぎると、突沸して折角合成した化合物が飛び散ります(;>_<;) かと言って、低い温度で慎重に作業すると、いつまで経っても蒸留が終わりません。優秀な学生は、突沸するぎりぎりの高温で、誰よりも早く蒸留を終わらせます。
「優秀な学生」と言っても「この小説の狐塚や浅葱と、化学系ではだいぶ違うよなぁ。」と言うのが、本書を読んだ有機合成化学専門の僕の個人的な感想でした。スミマセヌ\(>_<)/
2005年6月6日
No.447
文庫になったので再び読みました。講談社ノベルスで読んだときには、最大のトリックに最後まで気づかず
「この著者は恋愛感情の描き方が下手くそだなぁ。」
と思いながら読み終えてしまった。
今回はこのトリックを知っているので、主人公「木村浅黄」の翻弄を客観的に眺めながら読み進むことができました。
そうすると「i」が誰なのか。冷静に推理小説として推理を楽しめながら読めました。上巻では、まだ「i」が誰なのか、判りません。これを楽しみに下巻に読み進むことにします。
2008年7月2日

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