No. 673 戦国武将、虚像と実像 / 呉座勇一 著 を読みました。
織田信長は革命児、豊臣秀吉は人たらしで徳川家康は狸親父。これらのイメージは何百年も前に作られたものではなく、戦後の通俗小説の影響を受けている。実は信長は戦前まで人気はなく、明智光秀が常識人という理解もなかった。時代毎に彼らの人物像と評価は変わっているのだ。最新研究に基づく実像を示すだけでなく、著名武将のイメージの変遷から日本人の歴史認識の変化と特徴まで明らかにする!カバーの袖を転記
面白かった。
タイトルは「虚像と実像」ですが、
実像の解説は最小限に留め、
歴史小説などで描かれる虚像の解説に重点が置かれた内容です。
僕は、歴史小説を好んで読みます。
本書で取り上げられている小説のなかでは、
を読んでいます。
ちなみに僕は、歴史小説の内容が史実と違っていても良い、と考えています。
歴史小説を批判する人は「史実と違う」と指摘します。
歴史小説が正しく史実を綴っている前提で読んでいると、この批判を脅威と感じると思います。しかしながら、僕は、シミュレーションゲームをするために歴史小説を読み始めたので、歴史小説が史実と異なることは意に介しません。
山本勘助(1493~ 1561)が忍者っぽいですw。
「信長の野望」のために「織田信長」でなく「武田信玄」を読んだのは、山梨県にいろいろと地縁があり、親しみがあるからです。相模川を遡って道志川沿いに遊びに行くことも多かった十代。就職して、工場実習は一ヶ月間玉穂町。親類が就職して甲府市に住んでいたし。寮に入ってからは多摩川を上って丹波山村、小菅村の温泉によく浸かりに行きました。困難だった新入社員時代を一緒に乗り越えた同僚は山梨市からの単身赴任でした。彼に、道志村や丹波山村、小菅村など「郡内」によく行く話をすると、じゃぁ、甲府の方は何というか知ってる?と尋ねられ、存じ上げない旨を申し上げると「国中と言うのだよ。」と教えられました。新田次郎「武田勝頼」では郡内地方を治める小山田氏が、常日頃から「郡内の者」と見下されて差別を受けているような描写があり、印象的でしたが、桃の花を撮りに甲府に泊まりで旅行した際に、宿のTVで観た天気予報が「郡内地方-曇り時々晴れ」と、平然と「郡内」と口にしているのを耳にし、自分の耳を疑ったものです。電話帳も「郡内」が別にされていたし。
閑話休題。
武田方の歴史小説を読んだ人は、同じように感じていると思いますが、
必ず敵方(徳川、織田、上杉)が主人公の作品も目にすることがあり、そこで描かれる武田方の武将の紋切り型の残念な描写と比較して「歴史小説って……」と、わりと早い段階で思うわけです。
歴史小説が史実と違っていることは早いうちに承知することになりました。
そういうわけで「史実と違う」という指摘に対しては「好きで読んでいるのだから放っておいてくれ」と煩わしく感じます。動機が「ゲームを楽しみたい」でしたので、もともと歴史小説には、史実に忠実であることは求めず「世間で認識されている内容を知りたい」という動機でしたし。
本書はこのような需要にジャストフィットする一冊でした。
特に「豊臣秀吉」の描かれ方の変遷を解説した
第四章 豊臣秀吉-人たらしだったのか?
を、面白く感じました。
美濃の三人衆を寝返らせるエピソードなどが特に。
実際と、そのエピソードが創作された歴史的背景(戦前の日本の対外膨張戦略)は、腑に落ちました。
の斎藤道三「実は一人ではなく二代」説の解説も良かったです。
第一章 明智光秀-常識人だったのか?
明智光秀が(直接信長を討つのでなく)武田勝頼に内通の申し入れをしていた甲陽軍鑑記述の指摘は驚きをもって痛快に読みました。長坂釣閑斎により拒否されたのは残念でなりません。しかしながら、長坂釣閑斎、跡部勝資、二人の武田勝頼重臣(文官)を悪く言うのは甲陽軍鑑にありがちだから、信用できないな。」と考えます。
第六章 真田信繁-名軍師だったのか?
一冊を読み終えての学びは、
「所詮、人は自分の常識の範囲でしか、人を理解できない。」
期せずして本書から、自分の「人を理解する力量」を教えてもらったように感じました。
現代の価値観で言えば「合理性」とか「効率」ということで、歴史的人物も評価しているのだろうな。
と、も思いました。
鎌倉時代とか室町時代の武将の突飛な、首尾一貫性のない離合集散さが、僕の理解の範囲外あるから「不可解」と感じるのだ、という気付きもありました。
面白い一冊でした。
2022年 6月 5日
No. 673
No. 673