No. 649 徳川家康 5 うず潮の巻 / 山岡荘八 著 を読みました。
天下布武を目指す猛将信長と呼応して、輝かしい明日を開くか、男の意地を貫き倒れるか、家康にとって三方ヶ原の合戦は、その生涯を決する運命の岐路だった。上洛戦の火蓋を切った名称武田信玄を迎え討つ若き家康その乾坤一擲の雄図の前に、妻築山殿と家臣大賀弥四郎の思いがけぬ裏切りが待つ……。カバーの背表紙を転記
1570年、織田信長(1534~ 1582)に従っての朝倉攻めと、撤退戦である金ヶ崎の退き口から、1573年三方ヶ原の戦いを挟んで1574年長篠の戦いの前夜までが描かれています。
徳川家康(1543~ 1616)の苦しい時代です。
苦しさのピークは、嫡男信康(1559~ 1579)を自刃させる1579年までエスカレートし続けますが、本巻では伏線として全編にわたり大賀弥四郎(?~ 1574)を取り上げています。
武田贔屓の僕にとっては、山岡荘八版「徳川家康」での武田勝頼の扱いには不満があるのですが、それを引き立てる大賀弥四郎が、まともな人物(まともな佞臣)として登場するのが本巻です。
新田次郎版「武田勝頼」
のように、軽度の知的障害者として大賀弥四郎を描くのもどうかと思いますが、敵方については、類型的なのも致し方なしと思って読みました。
2020年10月11日
No. 649
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