受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 636 ケーキ嫌い/何が「いただく」ぢゃ! / 姫野カオルコ 著 を読みました。

何が「いただく」ぢゃ!

何が「いただく」ぢゃ!

 
アジの刺身のうまい食べ方から
ロンパールームの牛乳の謎まで、
食のあれこれを
”ヒメノ式”で斬る!

食の雑誌『dancyu』の連載をまとめた異色の食エッセイ
  帯を転記  
「好きなものの魅力を伝えたい」という意思が伝わってきます。
食事の話題が苦手な僕も楽しく読みました。
 
第一話「ふきのとう」で、ふきのとうの調理法と、一緒に食べるものをあれこれ考えながら紹介し、本書が高価な珍味を扱うものではないことを明確にしています。
第二話「生八ッ橋とロドルフ殿下」で、身近な、普段口にするものを「いかに食べるか、いかに飲むか」の切り口で様々な読者に伝わるよう、工夫しているかが伝わります。
第三話「なにが「いただく」ぢゃ!」で、タイトルの趣旨が解ります。
平素ネットでの批判や、糾弾形のニュースばかり目にして疲労が溜まっていたところ、こんな語り口調の一冊が、オアシスのように感じられて、心地が良かったです。
 
僕の持論ですが、受容的な趣味(飲む食べる、見る、読む、聞くなど)の観客としてのレベルは三段階あると思います。
 
興味が無いところから、先ず一つ階段を上ったところにあるのが
「批評ができるようになる。」
簡単に言うと、けちを付けることができる初心者の段階です。
批判するのは結構簡単で、初心者でもテキトーなことを言って第一段階に到達します。
 
次の段階は「解説を聞いて、楽しみが増える」段階です。
親切な解説や、アドバイスを聞いて、楽しみ方が増えていき、奥深さが解っていく段階です。
友人や恋人の趣味にあわせて、自分の趣味をふやしていこうと言うときには、この段階に到達しやすいと思います。
絵画鑑賞とか、俳句とか、僕にとって敷居が高く感じられる分野に踏み込もうと思ったときに、親切に魅力を語る人がいると、この趣味の世界に入っていけるような気がします
 
とりあえずの趣味の到達点として第三段階は
「誰かが「いい」と言わなくても、自分が「これが好き」と言える段階」
だと思います。
ここまで来ると、自ら「もっと良いものを探そう」と、独自に追求することができるようになります。
また、ここまで来ると、ネットでディスられている作品や、家族が毛嫌いする食べ物なども、気にせず楽しむことができるようになります。
 
本書(何が「いただく」ぢゃ!)は、食べること、飲むことを趣味とした場合のレベル2の人にとって良い手引き書になると思います。
本書の後半では、もうすこし突っ込んでレベル3同士で「これ、良いよ」「お宅のそれも良いけれど、僕のこれもすごいよ」と言い合うレベルまで網羅しているように感じます。
 
僕は「食」に関しては、レベル1未満(話題にすることがない)なのですが、
好きな人が、その魅力を語る」本書は楽しく読むことができました。
これは、同じ著者の2011年のエッセイ集「ああ、懐かしの少女漫画」講談社文庫2011/10/14)
ああ、懐かしの少女漫画 (講談社文庫)

ああ、懐かしの少女漫画 (講談社文庫)

 
でも楽しかった内容です。僕が読んだ少女漫画が一作品もなかったのに、その魅力を語るこのエッセイ集は不思議ととても面白く読了しました。
僕も、僕が好きでたまらないものを、こんなふうに人に伝えられたら良いな。
家族や知人との会話で(何かをけなして盛り上がるのではなく)好きなものの魅力を語って盛り上がりたいな。と思いました。
2019年 9月 4日
No. 636
手土産もディナーの最後も、なぜケーキ? 嫌いな人はどうすればいいの? 困りませんか?「お気持ちだけ」と言えなかった長年のもどかしさに始まり、酒にぴったりの創作レシピから、ロドルフ殿下や『ロンパールーム』の牛乳など懐かしの食の思い出まで  おいしく詰まったヒメノ式食エッセイ集! 文庫書き下ろしも収録。
  文庫カバー背表紙を転記  
「ケーキ嫌い」に改題されて文庫化されたので購入しました。
冒頭に「ケーキ嫌い」p7~22が追加され、巻末には平松洋子の解説付きです。
 
僕は、食べ物について話題にすることを避けたい性分です。
では、秋山好古がもったいぶった食事を供されて「さぁ、喜べ。ありがたがれ。」としつこい相手に辟易とした様子が描写されて。「俺も。」と共感した覚えがあります。
そういうわけですので、本書「ケーキ嫌い」の創作レシピについては、他の方のレビューをご参照ください。

 

そして、飲食を論じるのは好まない、とはっきり言っているのに、知人に説得を試みられることがあったことをご披露しておきましょう。
「うまいんだよ。」「あなたも自分で一工夫してみて。」と。
このエッセイ集に置き換えて言えば、甘い物は身疲労回復に効果的とか、脳の栄養補給には必須とか言って、食することを勧める人に出くわした状態だと思います。
自分の好み(ケーキは嫌い)を申し上げて、なお、その好みが誤りである、とか「直して上げる」と言う人に接して、どのように感じるか。
「尊重されていない。」「理解されていない。」という悲しさです。
相手に対しては「気遣いができない人。」「付き合うことは不可能。」というところでしょう。
喩えて言うならば、宗教上の理由や、医者の指導で避けているものを「身体に良いから。」「必要な栄養だから。」「貴重なものをわざわざ入手したから」「心を込めて手作りしたから」と勧めるようなものです。
つまり、阿呆です。
案外、このような阿呆に出くわす機会がありました。大人になると、阿呆をうまく交わす社交術が身につきました。歳を取るのはよいものです。
と、文庫をめくりながら、あらためて思い出しました。
そろそろ夏至。ミッドサマー。楽しい夏を迎えましょうぞ。
2022年 6月 5日