No. 514 東京胸キュン物語 / 林真理子 著 を読みました。
「月刊カドカワ」1987年3月号から88年3月号まで掲載された短編12編を収録した文庫オリジナル。今振り返れば、バブル景気(1986/11~1991/02)まっただ中の東京で過ごす若い女性の物語です。
- 青山生まれ
- 生まれ育ったところをアイデンティティーとした美佳に降りかかった悲劇を楽しむことができました。
- 湯の町アグネス
- マルコス大統領が長期に渡る戒厳令で経済を低迷させていたフィリピン。この小説が執筆された一年前、二月革命でマルコス大統領を追放し、ようやく経済再建に着手しています。一方日本は一人あたりGDPが世界のトップテンに躍り出て、フィリピンの約二十倍に達しています。今、この短編を読むと、無自覚な経済大国を生きる若者の態度にリアリティーが感じられて少々恥ずかしい思いがしました。
- 二人の部屋
- 分をわきまえなかったゆえの失敗。と僕は読みました。が、では「分」とは何か、と聞かれたら、僕は答えられません。第一編の「青山生まれ」と同じく、自分で働き始める前の若者は、自分で獲得したものが無く、親に与えられたものが「分」なわけですね。
- 三十分以内の恋人
- これも、アイデンティティーを自分の獲得したもの以外のもの(この場合は、恋人)に求めた、失敗なのですが、それをあきらめられないのが若さ、なのでしょう。是非、彼女には成長して、自分自身の獲得したものでのアイデンティティーを身につけてほしいと願いました。
- 私の彼氏
- 生活を伴わない、恋愛関係を装うのは、おしゃれに着飾るうれしさと同じなのですね。
- 私の部屋
- 家出をして、せめて今日は布団で寝たい、と好きでもない男の部屋に行く女の物語もありますが、分不相応な部屋に住みたいと言う欲求で同じような事をする人もいるのですね。
- オープニング・パーティー
- つてを頼りつつも、自分で見つけた男に、礼子の冒険の始まりが予感されて、僕は楽しく読みました。
- 駅
- 精神的な親離れをする娘の心情が描かれているように感じました。僕は、この心理を、人生の輝かしい一ページとして感じます。
- 披露宴
- 僕は彼女の悲しみに共感しました。僕は彼女に言いたい。「それがどうしたと言うのだ。みんな親から教えられたり、与えたりしたものを身にまとっているだけではないか。晶子がこれから出席する披露宴での衣装や振る舞いは、すべて晶子自身が身につけたものであるのですよ。堂々としてください。」
- 私の食卓
- 彼女の将来が多少心配なものの、喜びを見つけた里江を祝福したいです。
- お別れパーティー
- よそ行きの顔と、誰にも見せない、気楽な自分の部屋。本音と建て前が、誰にでもあることに気付きます。でも、この感慨は、振り返れば、友達と行き来した親の家とは異なります。
- 約束
- 思い出を消す、と作中で愛子が表現している行為は、実際に現実のものとなりました。
恥ずかしい失敗や、悔しい思い、見つけた喜び、十代後半から、二十代前半でこんな経験が出来た彼女たちは、幸運に恵まれていると思いました。親に従っていれば幸せになれた親の世代とは異なる現代を生きる彼女たちも、今はアラフォーと呼ばれる元気な世代。「経験こそ、パワーの源だよな。」と、二十年経って誇りに思う、同世代の僕でした。
2009年 5月 9日
No. 514
No. 514