No. 568 壁/安部公房 著 を読みました。
最初の一冊としてオススメです。
商業出版された処女作品「終わりし道の標べに」(1948真善美社)
に続く、安部公房(1924~1993)の最初の短篇集です。第25回芥川賞受賞作(1951年上半期)の「壁-S・カルマ氏の犯罪」を第一部とし、第二部「バベルの塔の狸」、第三部短篇集「赤い繭」に、石川淳(1899~1987)の序を添えて1951年に刊行されました。僕が読んだ新潮文庫(1983年第三十四刷。280円)では、三部構成ではなく、6編が並列にオムニバス形式の短編集「壁」を構成する短編として収録されています。
著者にとって最初の不条理小説集。比較的読みやすいです。後年の「箱男」
「カンガルーノート」
なども読みやすいですが、まだ「安部公房を読んだことが無い。」と言う方には、短編集のこの一冊、特に短い「赤い繭」以降の掌編から読み始める事をオススメします。
- S・カルマ氏の犯罪
- 127ページの中編です。職場に行くと、自分の名前を奪っていた名刺が自分の席で平然と仕事をしているところに出くわす、など不条理な物語は、この作品が初めてで、その後の著者の方向性を決定づけた作品でもあるそうです。
表題の「S・カルマ」が主人公の(忘れる前の)名前です。しかし、名前を失い、助けを求めた病院の待合室での不思議な出来事から犯罪者扱いされ、裁判を受けさせられます。そのとき自分が本物の「S・カルマ」である、と気が付いた同僚のY子によって助け出されます。が、彼女とのラブストーリーになるのかと思うと、そうではなく、S・カルマ氏は最終的に一人になって終わります。
社会主義思想は、資本主義が「見えざる手」に委ねる経済原理でさえも人がコントロールしようとする究極の人工的社会を目指していると言えます。この作品の中で、S・カルマ氏の胸の中に吸収された荒野に対し、外部の人は裁こうとし、あるいは研究しようとし、あるいは救おうとするのですが、結局はどれも手を下すことは出来なかった。ここに作品の思想があるような気がします。僕は、それを具体的な言葉に出来ませんが。 - 赤い繭
- 第2回(1950年度)戦後文学賞受賞作。掌編ながら、衣食住の「住」が人によっては与えられていない、つまり基本的人権が誰にでも補償されているわけではない社会の矛盾について考えました。
- 洪水
- 革命を彷彿とさせるストーリー展開の中で、権力者、支配者階級のみならず、報道機関(新聞)の御用記事や度を過ぎた誇張による虚報を皮肉り批判しているのを痛快に読みました。
- 魔法のチョーク
- つまり、チョークは、思い描いたとおりの世界を創ることが出来るわけですが、挑戦したアルゴン君は敗北します。結局のところ、実際に人が生きる世界を、生きている人への変革を起こすことによってしか世界は変えられない。と言うメッセージを受け取ったように思います。
- 事業
- 最初はネズミ肉。次は、工場内の事故からの思いつき。食用ネズミに従業員が食われ、死体が残りました。
社会正義を任ずる人の事業は、冷静に考えると、とんでもない社会悪を為しているわけです。物は言い様。社会が何を認めるか、何を否定するか、市民として声の大きな人に惑わされない良識を保ちたいと思いました。 - バベルの塔の狸
- 「労働は貴い。」この標語に搾取の要素が無ければ、正しく、正義です。ですが消耗するだけの労働は、果たして貴いのか、搾取ではなのか。と、考える切っ掛けとしての物語と読めます。
また、ファンタジーとしてもおもしろかったです。結末が良いです。僕は、ハッピーエンドが好き。困難な状況にも、諦めず、工夫を試みるところに道が開ける。成功事例を示されたように思います。
ところで、奇想天外なファンタジーは、安易にカフカ(Franz Kafka、1883 ~ 1924墺洪)と関連づけて語られるのを耳にする機会が度々ありますが著者本人が、カフカではなく、ルイス・キャロル(Lewis Carroll、1832 ~ 1898英)の「不思議の国のアリス」
の影響と語っているそうです。
2014年12月31日
No.568