受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 667 盲目的な恋と友情 / 辻村深月 著 を読みました。

タカラジェンヌの母を持つ一瀬蘭花は自身の美貌に無自覚で、恋もまだ知らなかった。だが、大学のオーケストラに指揮者として迎えられた茂実星近が、彼女の人生を一変させる。茂実との恋愛に溺れる蘭花だったが、やがて彼の裏切りを知る。五年間の激しい恋の衝撃的な終焉。蘭花の友人・留利絵の目からその歳月を見つめたとき、また別の真実が  。男女の、そして女友達の妄執を描き切る長編。
  背表紙を転記  
すごかった。
 
あらかじめ山本文緒の解説と、結末に近い部分(橋の上と下)を先に読みました。
ですので「結末は知っている。プロセスを楽しもう。」と思いつつ読み進みました。
実際読んでみると、知っているはずの結末ではありませんでした。
すごかった。
 
結末は二つの解釈ができると思いました。
a) 描写の通り、蘭花の衝動である
と、
b) 描写は留利絵の妄想である
です。
他の人の解釈を読んでみることにしようと思います。
 

一つ読みました。描写の通り、蘭花の衝動である。だそうです。なるほど、そういうものか。と思いました。b) 描写は留利絵の妄想である、は、僕の妄想ですね(^_^;)

 
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実際に統計を取ったわけではありませんが、大概の人は恋愛に不慣れだと思います。
「私は恋愛の熟達者である。」
と自認し、客観的にもそうである人は希なような気がします。
 
でも、二十年近く生きていれば、恋愛の話は耳にすることも多く、自分が未熟だとは認識できません。
特に、初めて恋人ができる(または、出来たように思える)と、
「あれを、やってみようかな。」
「こうしてみてはどうだろう。」
「鎌を掛けて試してみよう」
と恋愛熟練者がしていそうな(しかし、実際の熟練者は用いない)技を試みることがあると思います。
 
実際にやってみると、
「下手なことをするものではなかった。」
「策士策に溺れるとはこのことか。」
「生兵法は怪我の元」
など、と後悔します。
 
実は、これが恋愛の経験であり、
「正直に接して、うまくいかなければ相性が悪いと言うことだろう。」
と悟ることが、熟練者への道、と言うことなのだろうと思います。
 
また、何回恋愛を経験しても、学習しないのが「愛情」と「執着」の区別です。
燃えるような恋愛感情が去った後、嫌悪感を持ちつつも独占欲を伴う執着だけが残った相手の相手をするのは嫌なものです。
これは、友情でも同じ。
盲目的な恋と友情は、どちらも経験不足から来るもの。しかし、経験不足で未熟であることを認識できず。経験を積み、熟練するように心がけることもできないまま、破滅へと向かう、危険な道を進む物語でした。
 
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蘭花の母親について。

この小説を読んでつくづくと思いました。親は子に対して、アドバイスなんかするもんじゃない、と。
どちらかというと、煙たがられる程度に、戒めを言うのが良いのではないか、と。
恋愛の効用と言うのは、親に秘密を持つことにあると思います。失敗しても親のせいにできない。相談するにしても、自分の責任で事を決めていかなくてはならない。つまり自立の第一歩を踏み出す切っ掛けになるのだと思います。
文庫の解説を引き受けた山本文緒はエッセイ「結婚願望」(角川文庫2003/11/25)
のなかで「今まで、世界で一番大切だと思っていた掛け替えのない親や家族が、そうではなくなった。」と親離れの効用を解説していましたな。
このエッセイは、本当に親身で親切に結婚を論じています。辻村深月ファンにも、納得ではないかな。一度離婚した後の独身時代に書かれたものなので、しがらみとか遠慮とかも、さほど気にする必要が無かったのかも知れません。本当に親身で親切です。
蘭花の母親は、蘭花の恋愛に対しても、的確にアドバイスし、順調に大人の恋愛にステップ・アップしていきます。
しかし、蘭花の恋愛が、うまくいかなくなったときに、蘭花自身が「どうにかしなくっちゃ」と思うことが出来ず、深みにはまり込んでしまったのは(さらに、悪い友達に取り込まれてしまったのも)親の的確なアドバイスと、親による用意周到な恋人や友人配置のためだったのかも。と、思いました。
2022年 3月13日
No. 667