受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 413 新・ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論3 / 小林よしのり 著 を読みました。

2001/11/15年に刊行された前作から二年あまりを経て上梓された「戦争論」第三弾。完結編。
既作同様、主題は第二次世界大戦における日本の行動とその意義なのです。つまり、三部作ですな。
発端編(1998/07/10幻冬舎刊)

では、主にどんな戦争だったのかを描き、次編(2001/11/15幻冬舎刊)

では、半世紀前、なぜ日本はアメリカ合衆国と戦争をしたのか。が印象的でしたが、本作を読み終わってつくづくと思うのは、この作品がヤスパース(Karl Jaspers 独 1883~1969)第二次世界大戦でのドイツ人の罪をまとめたdie Schuldfrage(1946刊行。邦訳は、1965理想社、橋本文夫訳など)

の日本版として読めることです。

もちろん、日本でも同じ時期に日本人の側から考察したものが書かれています。(たとえば坂口安吾が1946年に発表した作品を納めた「堕落論新潮文庫2000/06/01)

などがおすすめ。)

では、なぜ今彼の本が必要なのか。
結局のところ、それは我々日本人が自国の主体性の無さを嘆いているからではないかと思います。
少々自説に偏るのですが……、江戸時代を舞台にした時代劇をみていると、よく庶民が「お上が……」なんぞと口にしているのを目にします。二百年以上続いた平和は、江戸幕府の奇跡的な功績ですが、国民の多くが苗字すら許されず、政治を口を差し挟む事を禁じられた(ついでに言えば、享保の改革で知られる八代将軍吉宗が贅沢禁止の意味で1721年に発した「新規御法度」では発明が禁止された)この時代に、自分で決断する責任を回避し、不自由でも、無責任でいられる事を心地よいと感じる国民性がはぐくまれたように思います。
一転して幕末では盛んに天下国家が論じられ、明治時代に移るわけですね。
バブル景気(1986/11~1991/02)で繁栄を極めたわが国は、今、長い不況の打開を模索し、新しい時代を迎えんとする転換期で、これを明治維新以来の転換期と言う人も多いようです。
今までの外交政策は、自国の判断を回避し、アメリカ合衆国や、中国や、他の国の意向に沿えば良かったようですが、自衛隊イラク派遣では初めて他国の干渉が得られませんでしたね。(だって、日本の自衛隊にとやかく言うことの多い韓国が出兵しているし)どうする?日本?
と、言うわけで、今ようやく、我々も主体性を持つことの必要に迫られているのだなぁ。と感慨深い読後感でした。
2004年 4月19日
No. 413