受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 284 堕落論 / 坂口安吾 著 を読みました。

戦中、戦後に発表されたエッセイ十二編を収めた一冊。ページをめくりながら感想を述べてみます。
日本文化私観
1942/03。「現代文学」に発表された。森儁郎訳で1936年に明治書房から刊行されたタウトブルーノ・タウト(Bruno Taut-1880~1938。ナチス・ドイツに追われ日本に亡命した近代建築家。日本の古代建築の美を再発見した人)著、原題「欧羅巴人の眼で見た  ニッポンの芸術」
のカウンター。カウンターなのだが、タウトの著は原題にもあるような謙虚さで、カウンターは、これを持て囃す日本人に対するもの。刑務所、軍艦、工場建築の機能美を指摘している箇所は、当時の世相に配慮したようにも感じられるが、現代に生きる我々が抱えている問題  何故ナショナリズムは嫌悪されるのか  に対して感情的に、ではなく、それが非現実的(非人間的)感傷を強いる事に論拠を置いている点は見習うべき。と書くと、僕の読書に偏るか。
青春論
1942/11、12。「文学界」に発表された。作中の宮本武蔵(~1645)論が楽しい。卑怯な手段を用いても、斬られる前に斬らねば殺されてしまう剣法に喩えて「青春再びかえらず」ならぬ「(七十歳になっても)青春永遠に去らず」と表現した人生論。激しい。激しいが、精神的には見習いたい。世阿弥晩年の作品を宇野千代に語ったエピソードは、本論では無いが女性の小説家に対する憧れが感じられて微妙だ。
堕落論
1946/04「新潮」に発表された表題作。戦後半年にして様変わりした世相を戦中の世相と対比して、困難な状況を生きる若者を励ましている。
堕落論
1946/12「文学季刊」に発表された。国民学校隣組特高警察。不敬罪。様々な組織や法律で統制がとれていた(これらの例は僕が思い浮かんだものです。作中ではもっと説得力のある例にうなずけます。)戦中に比べて、堕落した世の中の意味は?僕には  結局のところ  「既成の常識に頼ることをやめ、自分の価値観を確立して生き抜こう。」と読めたのですが、みなさんは如何でしょうか。それにしても、これって、五十年以上前に言われていたんですね。
デカダン文学論
1946/10「新潮」に発表された。続・続堕落論として読める。日本古来の家元制度に代表される形式主義を批判し、島崎藤村(1872~1943)の表向き堕落、実生活くそまじめな態度を批判しているが、実のところ、著者本人の文学に対する決意を表明している。
戯作者文学論
1947/01「近代文学」に発表された。1946/09「文藝春秋」に発表された小説「女体」の執筆日記。冒頭で、著者の典型的な執筆の様子ではない(こんなに時間を過ごしながら書く小説は珍しい)と明言しているが、本小説執筆中にどしどし訪れる編集者の観察を交えつつ、執筆の快諾を下しているのであるから、バイタリティーを感じずにはいられない。
悪妻論
1947/07「婦人公論」に発表された。悪妻論というよりは、結婚を夢見る若者に対し、覚悟を持って結婚せよとの結婚論として読める。既婚者には、我々独身者に対し、結婚に憧れを持たせて欲しいような気もするが、実際夢を抱いて、夢破れ、離婚に至るよりは、このように覚悟を持たせてくれるのも一つの薬かとも、思う。夫婦の対立を述べた段を丸ごとここに引用したい。それくらいの薬である。が引用はしない。本屋に行けば買える本なので、結婚を間近に控えマリッジ・ブルーに陥っている新郎新婦予備軍や、釣った魚に餌をやらないと文句を言われている男子、文句を言う女子には、是非本屋さんでお求めいただいて、お読みいただきたいものである。僕は四百二十円で購入できました。
恋愛論
1947/04「婦人公論」に発表された。メルヘンとしての恋愛ではなく、何度失恋しても懲りずに恋愛をする人間賛歌として読めた。恋せよ乙女、では無く、恋せよ人間!である。
エゴイズム小論
初出不明。誘拐犯に愛情を注がれ、家に帰りたくないと言った子供のニュースに接し、家庭、愛情の利己性を説いている。現代でも度々見られる、事件に取材しているようで、全く取材せず憶測で偉そうなことを言う無責任な作家を批判しているのも楽しい。
欲望について
1946/09「人間」に発表された。冒頭で著者が明記しているとおり、清潔な家庭に疑問を投げかけている一文。で、あるが、ちょっと深読みすると、それでも結婚し、子供を設ける家庭を目指す人々は決していなくならないことを考えて、覚悟の上を読者に持たせているようにも読める。
大阪の反逆
織田作之助(1913~1947)の死に寄せて1947/04「改造」に発表された。比較文化論としての「大阪論」が楽しく読める。
教祖の文学
1947/06「新潮」に発表された。小林秀雄(1902~1983)批判。批判とは言っても、小林秀雄氏は独自に文壇の地位を固めている。だから「教祖。」やっぱりこの文章も、批判しつつ坂口安吾自身の文学者としての覚悟として読める。見習いたい。ちなみに本文で比較として宮沢賢治(1896~1933)の遺稿から「目にて言ふ」(※)を紹介している。二十世紀後半から二十一世紀に生きる我々にとっては、この引用もポピュラーな感じがするが、宮沢賢治の研究が発表され始めるのが1949年であることを考えると、1947年のこの引用は慧眼である。
(※)「疾中」第二編「目にて言ふ」;青空文庫で読むことが出来ます。

www.aozora.gr.jp

不良少年とキリスト
太宰治(1909~1948)の死に寄せて1948/07「新潮」に発表された。文学者としての太宰治を丁寧に評価している。また、太宰治を敬愛するファン(これから、生きて行かねばならぬファン)への配慮も感じられ、坂口安吾の人性に対する豊かな愛情が喜びとなる一編。この配慮が不要なものならば「二十世紀旗手」のような(ここではフツカヨイと揶揄している、このことが、生き残ったファンへの配慮だと僕は思っているのだが)フツカヨイの文学評価も読めたのにな。と残念である。残念なので、これらの文学評価は、星新一を待つしかないのである。あ、星新一も、エッセイの端々で太宰治を評価していたのですが、まとめる前にお亡くなりになれてしまった。
好きな作家には、摂生、養生されて、末永く僕たちを楽しませていただきたいものです。こう書くと、多くを求め過ぎているような気になるのだが、読者とは、所詮このような者だと開き直って、このページはおしまい。
2001年4月14日
加筆2001年4月17日

No.284