受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 416 グミ・チョコレート・パイン[パイン編] / 大槻ケンヂ 著 を読みました。

大槻ケンヂの自伝的大河小説。[チョコ編]
の続編、三部作の完結編です。
前作から八年、グミ編から数えると十一年の時を経て完結した第三部は、ついに彼らのノイズバンド「キャプテン・マンテル・ノーリターン」が初ライブのステージを踏むまでの騒動を基軸に、ヒロイン=美甘子、アイドル=羽村一政、ジーさんほか都立黒所高校の同級生も大活躍します。[チョコ編]で「自伝的小説」から逸れ始めたストーリーは、完結作では完全にフィクションに帰し、登場人物たちは自由奔放に、それぞれの道(というか、悩み?)に邁進します。
 
特に主人公の大橋賢三の七転八倒が良いですね。ジーさんの超人的な身のこなしで救われるところは少々現実離れしているように感じられましたが、このシーンはシリアスになりすぎることと、その後の修行の具体性が野暮にならないことを防いでいて、フィクションの良さに思えます。
そう、この三部作を通じて僕が一番うれしかった点は、若者に有効な教訓が説教臭くなく、あるいは著者の照れなのか、不自然なまでに滑稽を以て描かれている点です。
特に第三部では、文芸座を出た早朝シーンの後に安易に心を解き放たれる賢三が良いです。安直ですが、案外リアリティーがあります。子供の悩みに対して、大人は往々にして「なぜ、それほど悩むのだろう?」と不可解さを感じることが多いですが、その「なぜ、それほど」と思えるようになるのは、実は、この経験が境になっている人も多いのでは無いかと思うのです。
「なんだ、これで良いんだ。」
と思うんですね。
ただ、今の若者は、具体的に「こうなんだ。」と実感する前に、ビデオでいろいろ勉強しちゃうから、
「これで良いのだろうか?」
と悩んだりするのかも知れない(笑)
でも、みんな悩んで大きくなるわけです。
どこまで大きくなるのか、大きくなりたいのか。その願望と実現程度の違いが、こんなふうに悩みながら、それぞれの個性になってゆくのだな。と思いました。
2004年 5月 4日
No. 416