受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 662 武士の家計簿~「加賀藩御算用者」の幕末維新 / 磯田道史 著 を読みました。

「金沢藩士猪山家文書」という武家文書に、精巧な「家計簿」が例を見ない完全な姿で遺されていた。国史研究史上、初めての発見と言ってよい。タイム・カプセルの蓋を開けてみれば、金融破綻、地価下落、リストラ、教育問題……など、猪山家は現代の我々が直面する問題を全て経験済みだった! 活き活きと復元された武士の暮らしを通じて、江戸時代に対する通念が覆され、全く違った「日本の近代」が見えてくる。
  カバー折り返しを転記  
僕が、小学校の国語や社会科の授業で習った「江戸時代の武士」は、身分制度で一番上の人。非生産階級。この程度の理解でした。
本書は具体的にどんな収入と支出があり、他の身分の人と比べてどうなのか。また同じ「武士」であっても、様々な立場があり、例えば、本書で取り上げた猪山家の場合はどうなのか。まるで隣近所の人、いや、同じ家族として、生活体験している感覚でした。具体的に掘り下げて、示されてています。
ゆえに、取り上げた猪山家の人々が、武士の中でもどういう立場の人だったのか。「幕末の人」と聞くと、尊王攘夷を実現しようとする人か、徳川幕府を守りたい人かのどちらかしか思い浮かばない自分でしたが、そうではなく、日々の仕事に打ち込む人もいたのだ、と言うよりは、そういう人が多かったのだろうな、と認識を新にしました。世の中は、政治を語る人だけでは、回らないのだな、と。
どんな激動の時代であっても毎日食べる食事、生活に必要な道具を作る人が居なければならない。実際に何時の時代でもそういう人が働いていたのだろう、と思います。さらに言えば、武士や町人などの都市生活者は、第一次産業に従事している人との社会的な分業を前提にしなければ、生きていけないのであって(逆に、第一次産業に従事している人が「自給自足できるもんね。」と言う発言を耳にすることがありますが、実際は農業生産物以外の道具を多く使っているワケで)一部の職業なり立場の人にのみスポットライトを当てた時代や社会の認識は、客観性を欠くもので、役に立たないものだと、思いました。(本書とは関係ないですが、外食産業や、観光業も、その他の職業を持つ人が、仕事に注力する支え(分業)になっていることも忘れてはならないのであって、そうでなければ、毎日食事を作る人、ピクニックの準備をする人などを家庭内でやらなければならない=外での仕事の割合を減らさなければならないのだと思いました。)
 
本書で特に印象深かったのは、猪山家の人々が、組織の歯車(と言う表現は本書ではしていないのですが)である点。また、彼らの性格が「正直」と同僚などに評価されている点を「猪山家文書」とは別に調べて取り上げている点です。
先に書いたように、華々しく「尊王攘夷」「佐幕」と叫び活動している人の背後には、まじめに普段の仕事をしている人が多くいるはずで、そんな仕事をする人達の正直さを評価しているところがおもしろかったです。
もう少し個人的な感想を述べると、自分の仕事を声高にアピールする人(今の時代であれば、医療従事者、幕末であれば維新の志士、何時の時代であっても政治を語る人)は、不要不急と言う名で、他の仕事をないがしろにしがちな点は間違っていると思いました。組織的な仕事の場であれば、実力主義で「実績」のアピールがうまい人、特定の「実績」のみを高く評価する職場では、間接業務や、定常業務も正当に評価もするべきだと思いました。
ただ、実際に、地味な仕事をしている人って、評価されていなくても、自分が正直であることに満足し、自ら改善を試みる傾向がないことも、長年生きてきて感じていることではありますが、僕は、そういう人がいるから、みんなが普通に生活できることを知っています。
 
家計簿は、1842年7月から、1879年5月まで。江戸時代末期から、明治時代前半まで。
ただし、本書では別途猪山家の成り行きを調べて紹介してます。加賀藩前田利家(1539~1599)のころから、日露戦争(1904~1905)のころまで。

「男子一生の事業」という表現がありますが、本書はそれに当たると思いました。

2021年 8月21日
No. 662