受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 426 インストール / 綿矢りさ 著 を読みました。

高校三年生の野田朝子。自称変わり者。受験生になって一ヶ月。いわゆる五月病ではないけれども、昼食後の教室でちょっと愚痴ってみた。
「私、毎日みんなと同じ、こんな生活続けてていいのかなあ。」
その愚痴を捕まえてクラスメイト曰く「疲れてるせいだよ。」「一回学校休んで休養とったら?」
そそのかされて休みを取った朝子のヴァカンス。

2001年第38回文藝賞を単独で受賞した作品。主人公の主観に徹したインナーハードボイルド作品です。主人公の描写が難しい一人称で描かれていますが、それにもかかわらず、彼女の漠然とした日常や将来への不安が身近に感じられ好感が持てました。

例えば、主人公が日常の不安を社会にぶつければ大昔の若者に共感が持たれるのでしょうし、犯罪に走れば今の大人には「現代の高校生」として理解がしやすい。でも、この小説で、主人公の彼女は、そのどちらへも走りません。とりあえず学校からエスケープした先は、自宅のあるマンション。ゴミ捨て場で知り合った小学生の自宅の押し入れ。小学生のネット友達=風俗嬢=雅さんになりすまして有料エロチャットでのバイト。

特殊性を取りざたされたり、カテゴライズされがちな「女子高生」と言う立場から、僕に向かって「実際の高校生は、今の大人も通り過ぎてきた道」であることを語りかけられているような錯覚に陥りました。
それは、チャットの入り口に表示された雅の写真を見て自分と似ていると感じたり、様々な客への対応を素早く学んでゆく彼女の感覚です。「女子高生」をカテゴライズしている僕は「きっと、女子高生も僕たちをオジサンとしてカテゴライズしているのだろう。」と偏見を持っていたのですが、この小説の主人公はさにあらず。一人一人の個性を見極めています。
客に限らず、コンビを組んだ少年や彼女の母親、みんなそれぞれに、事情を抱え、個性的ですけれども、普通の人を装って日常を過ごす、つまり、みんないわゆる普通の人として描いているところもグッド。
冒頭で「自称変わり者」と自分を評価しているところから、周囲の人間に対し偏見を持たない彼女が、自分をいわゆる「女子高生」の典型で無いことを感じていることが伺われます。自分を同世代の典型と感じられず、疎外感を持っている彼女は、さりとて自分で言うほどエキセントリックではありません。この小説では、多少の変位をもった人がいわゆる「普通の人」なのだ。と指摘しているように感じられました。
彼女もいずれ、学校に戻り、再び受験生として忙しい日々を送ることになります。主人公に対する親近感が呼び起こされ、応援したい読後感でした。
この文章は、ネット書店アマゾンの読者書評向けに楊のペンネームで書いたものを、我がサイト受動態向けに加筆したものです。
2004年 8月 8日
No. 426