受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 660 セクシィ・ギャルの大研究~女の読み方・読まれ方・読ませ方 / 上野千鶴子 著 を読みました。

NHK 100分de名著 2021年7月はボーヴォワール「老い」を上野千鶴子が指南しています。

しゃべる姿を初めて拝見しました。
「そう言えば、上野千鶴子の著作を持っていたはず。」
と、初版1982年発行のカッパサイエンス版を読み返しました。
今は、岩波現代文庫に収録されているそうです。(2009/5。冒頭のAmazonへのリンク)
僕が読んだのは、1986年4月1日発行の第9刷り。穢れを知らない(^_^)十代での初読でした。

雑誌広告の男女の描かれ方から、主にジェンダー分野のメッセージを読み解く一冊です。

カバーの袖の山口昌男栗本慎一郎による紹介文を読むと、本書は「衝撃的」な内容と受け取られたそうです。
僕には、衝撃がありませんでした(^_^;
おじさんやおばさんたちにとって、どこが衝撃的なのか、ワカリマセンでした。
なるほど
「広告写真での男女の描かれ方は「男が威張っている」と読み取れるわけね。」
「そのほか、いろいろ分析してありますね。」
と思いました。
「それならば、僕も機会があれば注意しましょう。」
と、高校の行事では性差別的な役割分担解消に留意し(※)
(※)現代の高校生の参考になるかも知れないので、ご紹介します。
各企画部門の代表会議メンバーの男女比を半々にする方法。
  1. 男女にばらけるように代表選出基準を案内します。
    例えば、1年生、2年生と続けて同じ企画部門を経験した人、集合した回数が多い人、など性別を基準にしない数値を基準に代表を選ぶように案内します。
    それでも男女どちらかに代表が偏ってしまう場合は、
  2. 代表と、副代表を男女各1名とします。
    調整会議では、各企画部門の代表、副代表の二人で出席してもらい、それぞれ投票権を同一とします。
自分の初めての結婚式では、親族の紹介など新郎側と新婦側とで、先になる機会を均等にする工夫をしました。
 
意外な収穫がありました。ジェンダー批判する人の多くは、善処したくないことがわかりました。
末永く、批判する立場にいたい、と願っているようでした。つまり、改善されると困るのでした。
結婚式での僕の工夫は新妻(当時)の女子大の恩師が気がついて
「気を利かせましたね。」
と言ってくれた他は
「なんか、変なことをする人」
と変人扱いされました。
つまらない結婚式でした。
しかしながら、ジェンダー批判する人の多くはインチキだ、とわかったことは人生経験として貴重なものでした。
 

あらためて、上野千鶴子の著作を拝読し、まともなことしか書いていない(よく調べて、よくできた考察である)ことを思うと、外野が、本書をネタに騒いだだけだったのだろうと思います。

長年読書を趣味にしていてわかったことがあります。
「読んでいない人が、コメントを出し始めると、ヒット」
です。
この本について騒いだ人にも
「読んでいないけれど、怪しからん」
と声を上げた人もいたんじゃないですかね。
本書については、当時の性役割が、(市民の無意識のうちに)どのように設定されていたのか、
過渡期として、どのような変化の時期に合ったのか、
当時の若者(1960年代生まれ)と大人(1940~50年代生まれ)にとってのジェンダーが、どのようなものだったのかがうかがい知れて面白いです。
また、僕が「衝撃的でない」と思う内容を上の世代が「衝撃的だ」と騒いでいたことから、類推すると、
令和になった現代において、「今の若者は」と言われても、今の若者の皆さんは何が言いたいのかワカラナイことでしょう。
例えば「草食男子」(は平成の流行語ですが(^_^;))と揶揄されるのも、意味不明だと思います。
わかるのは
「あんたがた、年寄りは、いろいろ偏見があったんですね。」
ということでした。

 

閑話休題

 
第3章「女は「曲芸」に生きる」
「やらせる女」は「いい女」か
の議論が気になったので記します。
人間の性行動の解釈について、
学界では結論が出ていない二つの仮説を併記しています。
「攻撃と服従
「ピースフルなコミュニケーション」
本書では(性行動に於いて攻撃的ではないであろう)ビートルズのジョンレノンが子どもをもうけていることを指摘して「ピースフルなコミュニケーション」説を支持できることを匂わせています。
 
 
本書が世に出た後、LGBTへの理解が進み、動物行動学が長足の進歩を遂げました。
この二点(LGBTへの不理解と、動物行動学の誤った引用)についての記述は、大目に見る必用があります。この二点を指摘して否定するのは、難癖の類いになることに留意が必要です。
その他の点、例えば記号論としての記述は、現代でも通用する、と言うか、前提として認識するべき基礎知識になっていることに驚きます。
今で言えば「ノン・バーバル・コミュニケーション」の指南書としても読めます。
ちなみに性行動が「攻撃と服従」なのか「ピースフルなコミュニケーション」なのかについて、学界での結論が出たのかどうか、僕は存じ上げませんが、
僕が思うところでは(個人の少ない経験からですが)
「人によって、どちらかを常識として捉えている」
ということではないか、と思います。
 

「男は、性行動によって征服欲を満たしている」
と考える人もいれば、
「男も女も、二人で親密な関係を築きたいと思っている」
と考える人もいるように思います。

重要なのは「攻撃と服従」と捉えている人は、世の中に「ピースフルなコミュニケーション」として捉える人の存在を理解していない事です。

人数比で言うと、
男については僕はワカリマセン。(男を性の相手として付き合ったことがないので)
女性については、歴代の彼女については、半々だったように思います。
「あんたの、征服欲を満たしてやるわよ。」(攻撃と服従と捉えている)
と言う態度で臨む人と、
「一緒に楽しみましょう。」(平和的な交歓と捉えている)
と言う人とが、
ちょうど同じ人数でした。(全部で何人か、は言いません(^_^)、そんなに多くないです)
 
「男は征服欲を満たしたいはず」
と考える女性にとって
「二人で仲良ししましょう」
と言う男性は、絵空事。そんな男いるわけない。
男は、必ず征服欲を満たすために性行為を求めている、と信じて疑わないようでした。
 
このあたりが、相性があうかどうか、と言うことなのでしょう。

ただし、相手を選ばないで、

この感覚が不一致でも結婚して

平然と性生活を営んでいる人もいます。

「たくましいな。」と思います。

僕はだめでした。

うんざりして子どもをもうけることを諦めました。

まさか、不妊の理由が「うんざり」とは。人生、ワカラナイものですね。

2021年 7月13日
No. 660