No. 650 悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える / 仲正昌樹 著 を読みました。
世界を席巻する排外主義的思潮や強権的政治手法といかに向き合うべきか?ナチスによるユダヤ人大量虐殺の問題に取り組んだハンナ・アーレントの著作がヒントになる。トランプ政権下でベストセラーになった『全体主義の起源』、アーレント批判を巻き起こした問題の書『エルサレムのアイヒマン』を読み、疑似宗教的世界観に飲み込まれない思考法を解き明かす。カバーの袖を転記
のテキスト
に加筆、再構成した新書。
指南役は仲正昌樹。
を購入しようと思ったのですが、とても高価で、長大なことがわかり、先ずは本書を読むことにしました。
読みやすく、ほどよいボリュームでした。
テレビ番組の通り、元ネタの本の解説が含まれており、概略を理解した気分になれました。
「市民」と「大衆」を対比させて、違いを解説た箇所は、特にわかりやすく納得がいきました。
- 序章『全体主義の起源』はなぜ難しいのか?
- 本書の趣旨と、「全体主義の起源」が全三巻の大著である旨を説明しています。
- 第1章ユダヤ人という「内なる異分子」
- 主に戦前の「反ユダヤ主義」がどのようなものだったかを解説しています。
- 第2章「人種思想」は帝国主義から生まれた
- 植民地支配の正当化とその矛盾を解説しています。
- 第3章大衆は「世界観」を欲望する
- 白眉は大衆を定義した箇所だと思います。
-
政治的に中立の態度をとり、投票に参加せず政党に加入しない生活で満足している
- 投票を棄権する人(大衆)は、平素はとりたてて不満がなく
「ま、ひどいことにはならないだろう。」
と楽観し、実際に(多少ズルをする人がいるかも知れないが)気楽に生きていく程度には不自由がないのだろうと思います。
しかし、彼ら(大衆)が、世の中に不満を持ったとき、全体主義の再来が懸念される。
この指摘は少し背筋が寒くなりました。
日本では選挙のたびに、低い投票率が嘆かれますが、
無理に投票に行かせると、極端な主張をしている左派か、右派のどちらかに投票することになることが、前回の参議院議員選挙であきらかになったと思います。
いざ選挙になってから「投票に行け」と言うのはまずいと思いました。
不満があるときに、誰かの陰謀論にすがりつきたい気持ちは僕にもあるし、誰かの陰謀を訴える人が人気を集めるのもわかります。
でも、実際の所、世の中や、自分の暮らし向きに不満があったとして、その不満を解消するには、糾弾して非難するだけでは、あまり解決になりません。それよりも、自分で工夫や、ある程度の努力をすることが有効でした。
例えばカネが欲しければ、自分が働くことが、最も確実な方法です。
それ以外の方法で金を生み出そうと知恵をひねると、逆に陰謀を巡らせることになります。例えば(広く世間を敵にしても勝てないので)特定のターゲットを決めて搾取することです。
むろん、そんなことをしても根本的には解決しません。
少し考えれば、そう思い至ります。
そんなことを考えながら、読みました。 - 第4章[凡庸]な悪の正体
- 番組の内容を発展させて同じ著者(アーレント)の「エルサレムのアイヒマン」の解説を加えています。
特に考える事が多い章でした。
テレビニュースで事件の報道に接した際に、
「犯人は僕とは違う特殊な人」と自分が認識している、と気付きました。
「あるいは、普通の人が何かの切っ掛けで起こした犯罪かも」
と言う見方に気がついていないことがわかりました。 - 終章「人間」であるために
- 全体を総括して、今の我々に必用な学びや行動はなにか。を考察しています。
2020年10月14日
No. 650
No. 650