No. 623 坂の上の雲(七)/ 司馬遼太郎 著 を読みました。
Kindle版もあるようです。
各地の会戦できわどい勝利を得はしたものの、日本の戦闘能力は目にみえて衰えていった。補充すべき兵は底をついている。そのとぼしい兵力をかき集めて、ロシア軍が腰をすえる奉天を包囲撃滅しようと、日本軍は捨て身の大攻勢に転じた。だが、果然、逆襲されて日本は処々で寸断され、時には敗走するという苦況に陥った。カバーの背表紙を転記
明治時代(1868 ~ 1912)を描いた歴史長篇小説。僕が読んだのは、全八巻の文庫新装版。第七巻。
文庫新装版の第七巻は序章「会戦」が単行本の第五巻。「退却」以降は単行本完結第六巻から収録しています。
- 会戦
- 奉天会戦(1905/2/21~3/10)
- 双方が攻勢を企図した段階から、鴨緑江軍による開戦、秋山支隊、第三軍乃木軍の延翼運動による包囲作戦まで。
- 退却
- 引き続き奉天会戦。
- ロシア軍が正面を第三軍乃木軍に変更(3/6)。
- ロシア軍に渾河までの退却命令(3/8)。
- ロシア軍に鉄嶺までの退却命令(3/9)。
- 日本陸軍第六師団奉天へ入城(3/10)。
- 日本陸軍第二師団鉄嶺占領(3/16)。
- 日本陸軍第三軍昌図城、法庫門城入城(3/22)。
- 以降講和/終戦までロシア軍と、公主嶺(現吉林省四平市北東部の県級市。東は長春市に接する)で対峙。
- 章後半はアメリカの仲介を含む、講和の模索と失敗。海軍のバルチック艦隊との決戦に委ねるまで。
- 東へ
- バルチック艦隊のインド洋東進(1905/3~4)
- マラッカ海峡通過(4/5)
- ベトナムでネボガトフ艦隊(第3太平洋艦隊)と合流(5/9)
- 艦影
- バルチック艦隊ベトナムのヴァン・フォン湾出航(5/14)
- 以降、ウラジオストクへの遁走を目指すバルチック艦隊と、見つけて決戦を挑みたい日本海軍の連合艦隊。
- この大長編小説の主人公である天才軍師秋山真之まで
- 「津軽海峡に移動しよう。」
- と言い出すなか、第二艦隊第二戦隊司令官に異動した少将島村速雄が
- 「バルチック艦隊がどの海峡を通って来るとお思いですか」
- と訊ねたのに対し、象徴的な東郷平八郎の一言
- 「それは対馬海峡よ」
- が発せられる。
- 宮古島
- 日本海海戦を目前に控えたバルチック艦隊(5/25)
- 雑貨を積んで那覇を出港した民間人(小舟の船長)が、バルチック艦隊を目撃(5/22)、宮古島で通報(5/26)。
- 無線設備のある石垣島までカヌーを十五時間漕いで急いだ漁夫の逸話を紹介。
- 5/26双方の艦隊がその存在を認知した。
勝敗は時の運
第一章「会戦」および次章「退却」で描かれる日露戦争の天王山の勝敗が、結局敵方ロシアの事情により辛勝を得るくだりに、思うことの多い第七巻でした。
講和の模索
「退却」の後半で描かれる講和への模索にも思うところが多かったです。
「これで、講和に持ち込もうよ。」
と僕はつぶやくだろうか。と。
あるいは
「沿海州を占領しよう。」
「賠償金をしぶるようだったら、シベリアまで攻め込むのじゃ。」
などとつぶやきはしないだろうか。と。
中国政府が同意できる講和条件を示せなかったからだ、との説を聞いた覚えがあります。
講和を結べる条件では、とても国民が納得しなかったからだろう、とも聞きました。
仕方なく、無理難題な講和条件をふっかけたのだ、と。
以上を反省すると、僕たちが外交で政府や代表に期待するべき態度は、次のようになると思います。
たとえ、国民が怒りまくって「バカヤロー」と叫ぼうとも、
「そんな条件で謝罪を受け入れちゃダメだ」と偉そうに非難されても、
「×○国の味方じゃないのか? 売国奴め!」と罵られても、
とにかく条約を結んで、争いを終えられる人。
と言うことになるかも。と、思いました。
宮古島の取材
当時の庶民にとっての日露戦争がどんなものだったのかがうかがい知れたように思います。
2019年 4月 8日
No. 623
No. 623