受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 595 坂の上の雲(五)/ 司馬遼太郎 著 を読みました。

坂の上の雲〈5〉 (文春文庫)

坂の上の雲〈5〉 (文春文庫)

 

要約

第五巻は1904年11月末から1905年1月まで。ほぼ日露戦争記といった具合。目次は、下記の四章です。
二〇三高地
児玉源太郎(1852 ~ 1906。満州軍総参謀長)二〇三高地攻撃中の第三軍司令部に乗り込む。児玉到着四日目に二〇三高地陥落。同日二〇三高地に観測所が設置され、旅順港のロシア旅順艦隊への砲撃開始。四日目にロシア旅順艦隊は戦艦一隻を除いて全滅。
海濤
ロシア旅順艦隊で唯一残った戦艦セヴァストーポリにとどめを刺す日本海軍。
一段落の後、東郷平八郎(1848 ~ 1934。連合艦隊司令長官が、乃木希典(1849 ~ 1912。第3軍司令官)水師営に尋ねる。
一方、いまだマダガスカル島にも到着しないロシアのバルチック艦隊
水師営
ロシアの旅順要塞降伏までと、ステッセル(Анатолий Михайлович Стессель : 1848 ~ 1915ロシア旅順要塞司令官)と乃木との水師営での会見。
黒溝台
黒溝台会戦(1905/1/25 ~ 1/29)前夜の様子。第六巻につづく。

フィクション

本作品での二〇三高地争奪戦に掛かる日本陸軍の様子は、著者の創作が多いようです。
特に、乃木を「精神は立派だが、指揮官としては無能。」
参謀長の伊地知幸介(1854 ~ 1917。第3軍参謀長)は「砲科出身の専門家を誇って聞く耳持たず。現場に無益な突撃作戦を繰り返し命じて多大な戦死者、戦傷者を出した張本人。」 と、二人を悪者にしています。
多くの勧めを無視して二〇三高地を放置。重要さに気がついたロシアが要塞化した後にようやく攻撃を開始した馬鹿者、という扱いです。
実際は、二〇三高地放置、要塞主力への攻撃は満州軍司令部の指示に順ったようです。
NHKのドラマでも、さすがにこれをそのまま脚本にできないと考えたのか、児玉が旅順に到着して乃木に言った第一声は「旅順攻略に必要な戦力を見誤った。申し訳ない。」と、満州軍司令部の非を認めています。

 

意図

ただし、本作、特に旅順攻撃を検証した現代の人の文章を読むと、敢えて二人を悪者にした司馬遼太郎の意図が解るような気がします。
    検証、と言うよりは本作への反論の趣旨は、
  • 責任は乃木、伊地知のいずれにも無い。
  • 仕方が無かった事で、むしろ二人はよくやった方だった。
  • と言っているように感じられます。
同じ状況になった場合、同じように無謀な作戦を立て、突撃を命令。兵隊を無駄に大量戦死させますよ。と言っているように感じられます。

 

僕が「坂の上の雲」を読む切っ掛けは、日経ビジネスオンライン守屋淳が連載していたコラム「明治の男に学ぶ中国古典」の「秋山真之と『孫子』に学ぶ戦略と戦術」でした。
最高の戦略教科書 孫子

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↑ これはちょっと違うかもしれません(^^ゞ日経ビジネスオンラインでの連載はそのままでは書籍にならなかったみたいです(^^ゞ)

このコラムの導入部で、「坂の上の雲」の評判を紹介しており、経営者が好む愛読書が本書。司馬遼太郎の「坂の上の雲」だ、と言うことです。
第五巻の記述では、
「必要な砲弾を要求通りに送ってくれないから作成が失敗する。」
と児玉に反論する伊地知について、
経営者の視点で読むと、おそらく
「この者は、たとえ要求通りに砲弾を与えたところで、次の作戦も失敗し、その時には別の理由を述べて、責任を他に求めるだろう。」
と、作戦遂行能力の有り様に考えを巡らせるのではないか、と思います。
たとえ悲惨な二〇三高地攻撃が、史実では致し方の無い作戦であったとしても、後の世に生きる我々には、失敗から学ぶべき点があるはずです。
学ぶ姿勢を持とう。本巻では著者のメッセージが、二人の(史実とは異なるかも知れない)悪役に代表して、読者に示されているように思いました。

2017年 5月14日
No. 595