No. 591 自然と人生/ 徳冨蘆花 著 を読みました。
同年1月に同じく民友社から出版された「不如帰」
に続くベストセラーです。
- 原本は徳富家所蔵の初版本、同第三版。
- 以後の版には全然據[拠]らなかった。全集版にも全然關[関]わらなかった。
- 俗字、略字、變[変]體[体]假[仮]名等も初版通りとした。
と言うことです。と、言うわけで、僕もここでは極力文庫の通りの文字を使ってみようと思います。常用漢字を[括弧書き]で付記します。[括弧書き]は、僕(Daniel Yang)が記したものです。学校の宿題などで使用する時には、ご自分でも調べて、僕が間違っていた場合に釣られて間違わないようにしてくだされ。なお、JISに無い文字、書体は、ここでは僕が独断で変更(※)しています。また、ふりがなは、ここでは(僕の技術的問題で)一切振りません。この本は、漢字が難しい反面、昔の新聞と同じでほとんどの漢字にふりがなが振ってあり、逆に読みやすい側面もあるのですが。
(※)たとえば、最後の「風景画家‥コロオ」の「画」を「畫」と記していますが、本書では下の部分(田+一)の外側に「川」の字の両側二本の縦線が付いています。漢字辞典-OK辞典の「画/畫」という漢字を参考に推測すると、「畫」は両側の枠・仕切りを省略して書体として成立したようです。
- 灰燼
- 西南戦争で旧薩摩藩士族側に加わった青年と、その一家の物語です。
感想は、「身内の仲が悪いのはよくないよね。」です。本書「自然と人生」とはあまり関係が無い内容ですが、小説として比較的読みやすく、読み慣れることで、この後の散文に進むことができる工夫として親切だと思いました。 - 自然に對[対]する五分時
- 本書を特徴付ける散文調の二九篇です。
主に、蘆花が居を構えた神奈川県逗子からの相模灘、富士山や伊豆、箱根、大山を眺めた風景描写に加え、旅した群馬県の山道などを描写しています。
冒頭の「一、此頃の富士の曙」で、夜明けと共に日光が富士の頂きに当たり始め、徐々に明るくなる色の移り変わりの描写に圧倒されます。
趣が少し異なるのですが、僕は「一六、山百合」に感銘を受けました。人知れぬ山中に生い出でゝは獨[独]り見る人もなき榮[栄]枯をなして憾みなく、山にありては山に咲き、園に移されては園に薫り、咲きて誇らず散りて恨まず、清く世を過ぎて永遠の春に入る。
思わず「僕もかくありたい。」と共鳴する美文です。 - 寫[写]生帖
- 人の営みにも目を向けています。
鉄道駅(プラットフォーム)の雑踏で兄弟喧嘩を始めた、いい歳をした二人を描写した「五、兄弟」は、ほほえましく読みました。
本書で唯一蘆花の故郷(熊本県水俣)の描写がある「一〇、夏の輿」は、夏の暑い盛りが気持ちよく感じられました。島が点在する不知火の海をたらいで渡る地元の人、川を泳ぎながら割ったスイカを食べる子どもたち。集合住宅が建ち並ぶベットタウンで過ごすのとは異なる、いわゆる「田舎の夏休み」を思い起こす懐かしい一遍です。 - 湘南雑筆
- 歳時記と言えば良いのでしょうか。
「三二、海と合戦」は、台風に伴う大潮で、川を遡上し、押し寄せる波と、村人と一緒に防災対応する蘆花の活躍がたくましく感じられました。自らをワーテルローの戦いにおける英蘭軍のウェリントン元帥に見立てて、攻め寄せるナポレオン軍(押し寄せる大潮の海)、諦めかけた時に到着したプロイセン軍(満潮まで堪えきれないと諦めた時に一瞬晴れ間がのぞき蝉が鳴き出した)など、生々しい西南戦争ではなく、遠い外国の大規模戦闘に見立てているところが穏やか。 - 風景畫[画]家‥コロオ
- リスペクトする芸術家をどのように描写すれば良いのか。お手本のような文章です。
長年サラリーマンをしていると、学生の頃に思い描いた「活躍するには、能力」ではなく「性分の合うところ」で働くのが、生き生き、のびのびと活躍する秘訣だ、と思います。しかして、コローは如何にその豊かな能力を得て、風景画の新境地を見いだしたのか。後進に尊敬され、先生とあがめられたのか。僕は彼のようには生きられませんが、心持ちとしては、恒に意識し、見倣いたいと思いました。
僕は合唱曲「みなまた」
に引用された原作として、本書にたどり着きました。
上記CD+DVDの内容は、こちらで確認できました。
合唱曲「みなまた」は2枚目のDVDに水俣での初演演奏が収録されているようですな。
「本来は、美しい海の風景が愛されているところ。」
と、僕がこの合唱を聴いた時に指揮者が説明したように記憶しています。
(詳しくは、サブ・ブログの徳冨蘆花「自然と人生」を読んでいます。に記しています。)
故郷の人たちの困難の救いになることができるなんて、作家冥利につきますよね。
作曲を委託した当時の水俣は、とっくに除染が完了し、再び海や山の幸で全国の食卓を潤し、相変わらずの美しい風景を誇っていたので、困難な時期は過ぎていたわけですが、定着した公害のイメージから風評被害を受け続けていました。東日本大震災に伴う原発事故では、公害を克服したお手本として、たびたび水俣の取り組みが取り上げられましたが、そのみなもととなったのは、美しい自然と、その自然に育まれた人々の力強さだったのではないか。
蘆花の目を通して力強く、美しく語られる自然と人の営みは、そんなたくましさと美しさを、自分の周囲にも再認識させる一冊でした。
2016年 7月17日
No. 591