No. 491 名前探しの放課後(下) /辻村深月著 を読みました。
東京近県の江布市内県立高校一年生の依田いつかは、同級生の死を止められるのか。彼が記憶を持って戻ってきた三ヶ月後の事件を未然に防ぐべく、同級生に協力を求めて動き出す。上下二巻の下巻です。
下巻も引き続き、「こんな友だちが欲しいなぁ。」「坂崎あすなに信頼されるような人になりたいなぁ。」と高校生の視線で読みました。
僕が著者の作品に魅力を感じるのは、このような人間関係の描写なのですが、本書の場合には、意外にも(と、言うのは、僕はミステリーをとりたてて好んで読むわけではないからなのですが)「ミステリーって面白いなぁ。」と謎解きの仕組みを大いに楽しみました。
「これって、こいつが、こうしたから、こうなったんだよね。」と誰かと謎解きを確認したくなりました。
を読んでいたり、あすなと椿が連弾で弾くピアノ曲を(映画のサントラから)携帯オーディオプレイヤーに入れて毎日聞き始めたところだったり、自分が物語りにリンクしていたのも楽しかったです。
それにしても、天木くんってすごいね。
2007年2月9日
No.491
追記
小説では二人に振り分けて弾いています。
僕が初めてドビュッシーを弾いた時に「弾いて」と持ちかけた人も、
「これ、二人で弾いているんじゃないの?」
と聞いて来た記憶がありました。
その時、
「なるほど、二人に振り分けるならハードル低いかも。」
と思ったのを、この小説で実行していたので、
「なるほど。」
と思いました。
その後、東北に旅行して、
でアイスクリームをなめていたら、同じ曲の合奏に接する機会がありました。
指揮の先生が
「原曲のピアノ演奏は、一人で弾くのが難解な曲ですが、ハンドベルで、みんなで手分けして演奏するのも、たいへんです。」
と説明していたのを聴いた覚えがあります。
「なるほど。ピアノで二人に手分けすればハードルは下がるけれど、アルペジオを一音一音担当するベルの人が鳴らすのは、至難の業であろう。」
と思いました。
それを、玉川学園の生徒たちは、にこにこ微笑みながら演奏していました。
この小説では、物語の終盤でドビュッシーのアラベスク一番を人に聴かせることを前提に、練習し、弾き聴かせる一方の主人公が描かれます。単純に一人で弾いて楽しむのとは異なる、音楽の特性がしみじみと感じられる印象深いシーンでした。
2016年7月18日