受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 496 号泣する準備はできていた/江國香織著 を読みました。

号泣する準備はできていた (新潮文庫)

号泣する準備はできていた (新潮文庫)

 
2003年下半期第130回直木三五賞を京極夏彦著「後巷説百物語
後巷説百物語 (角川文庫)

後巷説百物語 (角川文庫)

  • 作者:京極 夏彦
  • 発売日: 2007/04/22
  • メディア: 文庫
 
とともに受賞した短編小説集です。
前進、もしくは前進のように思われるもの
学生時代にホームステイした先の家庭の娘が成長して日本に来る。四日間自宅に泊めてあげるために空港に迎えに行く長坂弥生の物語。
ホームステイしていた時に二歳だった娘が十九歳になった。その間の自分の人生が前進していたと言えるのか。「前進だ。」と言い切れれば、それは幸せだったのでしょう。「後退だ。」と言い切れれば、別の道を模索するべきなのでしょう。どちらとも言い切れなければ、どうすれば良いのでしょうか。
じゃこじゃこのビスケット
問題児だった兄、優等生だった姉を持った、退屈な末っ子の初デート。
十七歳の初デートは、かなりむちゃくちゃで、思いこみの実行です。この不完全さが懐かしい感じの初デートでした。
熱帯夜
自宅で粘土人形を作り、恋人の秋美の帰りを待つ千花の物語。
幸せの形ですね。
煙草配りガール
友人夫婦と四人で過ごすバーの卓
僕は、問題があるなら、解決案から結論を導きだし、実行して結果を評価する。と言う課程が必要だ、と思っているのですが、この物語のように据え置く。と言う手法も存じておるつもりです。でもこれを意識して実施するのは、至難の業と感じられる自分を振り返りました。
夫の実家を訪問した志保、と夫の裕樹。
配偶者の実家は、もちろん自分の実家とは違います。異なる家庭環境、異なる親や兄弟との関係。自分の実家を基準にすると、配偶者の家庭は非常識で、異様です。もちろん、自分の実家が模範的だとは思っているわけではない。でも、自分の実家は、楽しく愛しかった。自分のことを棚に上げる。と言うのは、つまり、こういう事なのだなぁ。と改めて思いました。重箱の隅を突つくように、人のプライベートを観察して、変なところを挙げてゆくことは取り立てて難しいことではありません。
でも、配偶者本人のクセを是正するのが難しいように、その難しさに輪を掛けて至難の業とも言えるのが、配偶者の実家を是正する事。ほとんど不可能に思えるし、そんな面倒を成し遂げるモチベーションがあるわけないです。だから、配偶者の実家とは、出来れば関わりたくない他人の家。それと付き合うのが、結婚と言うことになるのでしょうか。
どうせ付き合わなければならないのなら、不満を言わなければ良いのに。と、僕は思います。むろん、付き合うつもりがないのなら、ぶちまけてしまえば良い。と言うわけでもありません。
こまつま
コマネズミのように働くので、夫には「こまつま」と呼ばれている美代子の買い物。
ふつうの人の日常を、デパートでの買い物で描いた作品。本人がどう考えているかは、それぞれだと思うのですが、少なくとも「人並みである。」と感じられる幸せの中にある人と思える、こまつま。子供から見ればこまははのお買い物でした。
洋一も来られればよかったのにね
自ら外車を運転して姑と温泉旅行に行くなつめ。
独身の対称にある結婚生活の一つの形であるように思いました。
住宅地
運送会社にドライバーとして勤務する林常雄の趣味は下校する近所の中学生を眺めること。それに気づいた近所の主婦真理子
それぞれ平凡な市民は、かなり落差のある価値観、環境を過ごしており、それでもなお、最後に直接接触したときのやりとりが、同じ街に生きる人のありきたりな会話として成立するところに、感慨を感じました。
どこでもない場所
長い旅から戻った龍子と久しぶりにいつものバーでお酒を飲む奈々。
それぞれ仕事を持ち、生活をする奈々が憩いの場として「どこでもない場所」に乾杯するオアシスとしての酒場に僕も乾杯したくなりました。
僕にとっては温泉がオアシスなのです。あるとき、一緒に湯に浸かったおじさんに
「早く定年を迎えて、近くに住んで毎日温泉に来たい。」
と言いました。
おじさん曰く
「僕は定年を迎えて、近くにアパートを借りた。毎日原チャリで来ているんだよ。でも、忙しい毎日のスケジュールを調整して、来ていた頃が楽しかったなぁ。」
彼にとってもオアシスだった温泉。しかし、毎日来られるようになって、意味が変わったのだなぁ。と、貴重な憩いの場が、仕事や日々の生活が忙しいからこそのオアシスであることを思い出しました。
三十七歳のレイコと、彼女の妹に呼び出されて暇な彼女の元を訪れたたけるくん。肌寒い春の日曜日。
若くして子供を持った人からは想像できない三十代独身の生活。その後、結婚すると、ちょっと懐かしい独身時代の状況。でした。
号泣する準備はできていた
文乃がかつて愛し、かつ今も愛している男=隆志の記憶。
姪の付き添いをしながら、記憶を辿る文乃の姪に対する祈りは、恋愛が人の外側にある事を物語っているように感じられました。それは、内側に居る自分に対する祈りを、肉親へも願う愛情である、と僕には感じられたからです。
そこなう
ようやく離婚を成立させた新村さんと旅行に来たみちる
そこなったものは、実態のないもの。と、僕は外面から冷静に分析する読書をしました。「それがどうした。」と、読んだ僕は男なのでしょうね。

2008年4月5日
No.496