受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 629 光待つ場所へ / 辻村深月 著 を読みました。

光待つ場所へ (講談社文庫)

光待つ場所へ (講談社文庫)

 
大学二年の春。清水あやめには自信があった。世界を見るには感性という武器がいる。自分にはそれがある。最初の課題で描いた燃えるような桜並木も自分以上に表現できる学生はいないと思っていた。彼の作品を見るまでは(「しあわせのこみち」)。文庫書き下ろし一編を含む扉の開く瞬間を描いた、五編の短編集。
  カバーの背表紙を転記  
ロードムービー講談社2008/10/23)
ロードムービー (講談社文庫)

ロードムービー (講談社文庫)

 
に続く、長編に登場する人物のスピンオフ短編集。
本作「光待つ場所へ」の単行本(3編の短編集)出版直後に「ロードムービー」の単行本(3編の短編集)に2編を加えたノベルス版(2010/ 9)が発売されました。講談社の特設ウェブサイトで人物関係図が掲載されています。
この本の登場人物も紹介されています。
単独の小説としても、面白いのですが、本日はこの図を見ながら感想を記そうと思います。
僕が読んだのは、単行本(2010/ 6/23)、および短篇が2作加えられたノベルス(2012/ 6)の文庫版(2013/ 9/13)です。
冷たい光の通学路  I(書き下ろし)
「冷たい校舎の時は止まる」講談社ノベルス2004/ 6/ 5)
のスピンオフ。僕の推定では、2001年の初冬。31歳か。
高校生の時に手伝っていた学童施設に、同じように手伝いに来ていた中学生。事件の後、施設に来なくなった彼を新聞記事で見つけて。
同じく小学校の先生になった彼は児童とともに雪に戯れていた。
遠く離れていても、元気に、同じ職業に付いていることが解り、安堵と懐かしさが自分のことのように胸打たれる掌編です。
しあわせのこみち小説現代特別集「esora」vol.6、2008/11)
「冷たい校舎の時は止まる」のスピンオフ。僕の推定では、2001年4月からの一年間。
清水あやめは現役で大学に進学しているので、二年生の春(誕生日前)だと19歳ですな。
「おとなから見れば気にする必要の無いこと」が当の子どもにとっては深刻。とたびたび耳にします。そして、それがおとなには解らない、とも。
「しあわせのこみち」では、ずば抜けた画才を持った清水あやめの自意識との格闘が描かれています。
「恵まれた才能を持った羨望の的」である彼女の切実な悩み、と言うか葛藤は、人に説明できないものです。
そして、羨望のまなざしを向ける読者である僕にも、その悩み、葛藤がわからない
と、言うのではなく、僕にもある「人に説明できない、ごく個人的な葛藤」が、清水あやめをケーススタディーとして、僕がどうすれば良いのかが理解できました。
この悩み、と言うか葛藤は、この短編の一年を経て解決します。
これが、にくいくらいに鮮やかで、やはりうらやましい。
僕の羨望は「友達に恵まれている」ことへの羨望です。
この小説を咀嚼してよく考えると「友達に恵まれている」清水あやめの丁寧な人への接し方が、彼らのような友人との巡り合わせを生んでいるのだ、と気がつきました。
雑に接すれば、雑な人間関係に陥り、丁寧に接していれば、素敵な人間関係が築けるのかも。
アスファルト(書き下ろし)
同じく「冷たい校舎の時は止まる」のスピンオフ。僕の推定では(1981年度の生まれと仮定しているのですが)2004年3月。藤本昭彦は22歳。
必ずしも、すべての人が、人に対して丁寧ではありません。が、しかし。それでも社会は回ります。
この一冊を読んでいて、つくづく思ったのですが、この短編集の登場人物は、人間関係構築能力が高いです。
でも……、たとえば数学などの理系の分野についても、
苦手意識があり、三角関数因数分解がまったくできなくても(それが必要とされる職業に就かなければ)生きていく上で、ほとんど支障を来すことはありません。
ただし、できないことを偽って「俺はできる」と嘘をつくと支障を来す場合があるようです。
人間関係構築能力も「俺は苦手だな。」とちゃんと解っていれば、それなりに生きていくことができます。それほど支障なく。
まずいのは、口が達者だったり、嘘を取り繕うことに躍起になり、それを「俺はコミュニケーション能力が高い」と勘違いしてしまうことだと思います。
たとえばディベートが得意な人が、人との良好な関係の築きかたを学ばずに大人になってしまう場合など。ディベートがコミュニケーションの能力を必要としない(逆に相手を黙らせる能力が必要)と言うことを知らずに。
さて、藤本昭彦は、自分の苦手意識とどのように折り合いを付けるのか。
とかく人の世は生きにくい。だけれども、人の世でしか生きられないのだ、と僕も気がついた短編でした。
チハラトーコの物語(「『嘘』という美学」を改題。小説現代特別集「esora」vol.8、2009/ 9)
スロウハイツの神様講談社ノベルス2007/ 1/11)
スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

 
のスピンオフ。
そう言うわけで、チハラトーコもそれなりに真剣に生きているわけです。
それなりにダンディズムがあり、プロフェッショナルも追求している。
直線的なヒエラルキーを(自分の頭の中で)設定し、人に対して「羨む」「さげすむ」の二種類しか接し方を知らない人とは異なり、お願いをするのも、誰かを助けるのにも、対等な立場で臨むチハラトーコのダンディズムが描かれています。(と、僕は読みました。)
爽快です。
樹氷の街小説現代特別集「esora」vol.9、2010/ 3)
「名前探しの放課後」講談社ノベルス2007/12/20)
名前探しの放課後(上) (講談社文庫)

名前探しの放課後(上) (講談社文庫)

 
のスピンオフ。中学三年生です。
この読書感想文を書く準備をしいて、ようやく気がつきました。辻村深月の小説登場人物の重複は「冷たい校舎の時は止まる」系列と「名前探しの放課後」系列の二つの系列に別れているようです。
「冷たい校舎の時は止まる」は著者と同じ名前の登場人物が出てきます。そこで著者と生年が同じと仮定して、年代を特定しました。
「名前探しの放課後」は、(「スロウハイツの神様」の赤羽環の少女時代を特定すると芦沢理穗子を手掛かりに組み立てられそうな気もしますが)ここでは特定しないことにします。
「名前探しの放課後」の高校生たちの生い立ちを遡って中学三年生。学内コーラス大会への取り組みを描いた物語です。
人を切り捨ててしまわない。諦めないで、付き合いを突き詰めるとどうなるのか。この展開に唸りました。
かつて僕の知り合いに「台風が来ると、海に出かけるサーファー」がいて、その母親は「もう、諦めてますから。」とおっしゃっていた。
釣りが趣味の同僚に、この話をすると
「母親には諦めてもらっちゃ困ります。遭難したら、漁船が捜索にかり出されるのですから。」
と冗談半分で言ってました。
一方僕は、海には、海パンとタオルだけ持ってゆく。そして、サーファーは溺れたときに助けてくれるありがたい存在。(今でも海の町に住んでいる従兄弟たちは、中高時代を振り返って、必ず夏休みが終わると、海で亡くなったか、サーファーに助けられたクラスメイトがいた、と話をしていた)
人を諦めずに、どうにかする方法を考えるのも、またおつなものです。
先日中学校の同窓会に出席した際、当時から「ブルースリーが好き」で、喧嘩っ早かった男が、同じテーブルに座っていた男と殴り合いを始めてしまい「折角の同窓会が台無しだよ。」と自ら言っていた。
が、僕はそのとき
「このような状況でも、たとえば来年、また彼も含めてみんなが楽しみに同窓会を開こうと思ったらどのようなことをすれば良いか。」
と考えていた。
考えつつ、目の前の女(中学時代にはしゃべったことがなかった人)と酎ハイをおかわりしつつ
「配偶者には、黙っておいた方が親切な事ってあるよね。」
などと、下ネタを話していたろくでなしなのですが>俺
冷たい光の通学路  II(書き下ろし)
の その後】<三島小学校への通学路><三島小学校 職員室>
【ふたたび、彼女 の その後】<西山小学校への通学路>
の2パートが、冒頭の掌編の続編として語られます。
ここで「彼」「彼女」が名前を呼ばれて「冷たい校舎の時は止まる」の登場人物であることがわかります。
しかし「冷たい…」で、彼女のこの名前が記されるのは、一箇所だけ。それ以外は(頭文字が違う)省略されたニックネームで呼ばれています。だいぶ読み返して見つけました。大変でした。
それは、さておき、
子どもに思い出の使い方を教えるチサト先生の親切さが胸にしみいりました。
文庫では、解説を朝井リョウが書いています。辻村深月作品の魅力が的確に表現されています。
文庫もお得感満載です。
2019年 4月20日
No. 629

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