No. 484 スロウハイツの神様(下) / 辻村深月 著 を読みました。
若いクリエーター(とその卵)達が住むアパート「スロウハイツ」の風景を描いた長編小説の下巻です。
最高です。
僕にとっての最高の小説は「僕のために書かれた小説だ!」と思える小説です。
この小説は久しぶりに、そう思えた小説でした。
個人的な好みを満たす要素としては、以下に上げるような特徴があります。
- ファンタジーの要素(物理学に反する現象)を用いない。(突如目映い光が差して、主人公が生き返った。と言うような内容では無い。)
- 沢山ある伏線が、全て明らかになる。(途中登場しなくなったAさんのその後は、読者の想像に任せます。と言うような内容では無い。)
- ハッピーエンドである。(結末は悲しいけれど、満足でした。と言うような内容では無い)
- 倫理的である。(人を殺したけれど、疑惑をごまかして成功を手にしました。と言うような内容では無い)
要素としては、上のようなものなのですが、上記要素に含まれないストーリー展開が、僕が感動する重要なポイントであることを認識しました。
特に莉々亜と環の対決のシーンが響きました。
夢を追う、夢をつかむ。と言うことがどういう事かを教えてくれた一冊でした。
以下は、蛇足です。
欲を言えば、読者には明らかになる過去が、環には最後まで知らされないのが、環には不親切だと思います。その後文句を言い続ける環が不憫です。
また、非常に些細な点についての個人的な意見ですが、劇中劇として語られる長野の作品プロットで用いられるトイレットペーパーの消費に関する感慨は、女性の感慨であるような気がします。十二ロールを買ってくると、一人暮らしの男の家では一年以上消費しません。僕の場合、約二年分になります。同棲していた二人の家で、男がトイレットペーパーを買う役割を担っていたのだったら、「あ、もうトイレットペーパーが無い。」と思うのは女性で、これは、長野作品のプロットに合致します。でも男性の場合「いつまでも無くならないなぁ。」と言うのがトイレットペーパーだと思います。
本当に単なる蛇足でした。ごめんなさい。
2007年9月24日
No.484