No. 642 苺をつぶしながら / 田辺聖子 著 を読みました。
35歳の乃里子。剛との結婚解消とともに中谷財閥からも解放されて、仕事も昔の友情も取り戻した。一人暮らし以上の幸せって、ないんじゃない? しかし自分の将来の姿もなぞらえていた女友達に悲しい出来事が。そのとき手を差し伸べてくれたのは……。「誰か」がいるから、一人でも生きていける。解説・津村記久子
カバーの背表紙を転記
田辺聖子(1928~2019)の代表作「乃里子三部作」の第三部。
第一部「言い寄る」、
第二部「私的生活」
の続編で完結編。
1981年9月発行の「小説現代」で連載をスタートしています。
僕が読んだのは、講談社から2007年に復刻出版されたものの文庫版。
巻末に津村記久子の解説「『女の子』のすべて」付き。
物語は、乃里子35歳。剛との離婚後の二年め。
こんなに幸福でいいのかなあ、って
と苺をつぶしながら考えているシーンから始まります。
一人暮らしも良いものだ。と読んでいて思いました。
とても楽しそうです。
四つ橋のイタリア料理店での失敗談とその後のハプニングは微笑ましく思いました。
いろんな生き方があります。
「人と違う生き方」
と言うけれど、現代においては、スタンダードなんてないのだろうと思います。
たくさんある生きたから、一つの生き方を物語として抽出して示したのが、この小説です。
どんな生き方をしていたって「楽しい。」と言うことができる。
そう思いました。
人によっては「たいへんだ」「俺は不幸だ」と愚痴をこぼしながら生きるのが性に合っている人もいるかもしれません。
でも、同じような生活をしていたって「楽しい」「俺は幸せもんだ」と言うこともできるはず。
生活がにじみ出ている美々と五郎も、同じように「楽しい」「俺たちは幸せだ。」と言えるはず。
無粋を承知でこの小説から読み取れる幸せの「コツ」を考えてみると、
- 人と比べない
- 自立していること
の二つかな。と思います。
例えば、この小説を読んで
「俺は、乃里子みたいに金持ちじゃ無いし、都会には住んでいない。」と愚痴をこぼさずに
「安月給だけれど、休日は近場に出かけて絶景が満喫できるぜ。」と言うことができます。
みんな、楽しく生きようぜ。
俺も楽しく愉快だ。
じゃ、また(^.^)/~~~
2019年12月21日
No. 642
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