No. 638 私的生活 / 田辺聖子 著 を読みました。
辛く切ない大失恋のあと、剛から海の見えるマンションを見せられて、つい「結婚、する!」と叫んでしまった乃里子、33歳。結婚生活はゴージャスそのもの。しかし、金持ちだが傲慢な剛の家族とも距離を置き、贅沢にも飽き、どこかヒトゴトのように感じていた。「私」の生活はどこにある? 田辺恋愛小説の最高峰。
カバーの背表紙を転記
田辺聖子(1928~2019)四十八歳の時の作品。
1976年5月発行の「小説現代」で連載をスタートした「乃里子三部作」の第二作。
三部作の一作め「言い寄る」
の続編です。
僕が読んだのは、講談社から2007年に復刻出版されたものの文庫版。
巻末に1981年の文庫あとがきが付いています。
物語は、乃里子が剛との結婚後の三年め。
男女の相性について深々、しみじみ、と考えることの多い一冊でした。
「言い寄る」では乃里子について「もっと、相手を選べば良いのに」と思ったのは、当の「私的生活」でも同じでした。
乃里子のタイプ(自立している女性)の場合、結婚相手には経済的に頼れることよりも、生物学的に優秀な、肉体的な魅力を求める傾向がある、と僕は思っています。
乃里子と逆のタイプ(伴侶に経済的な余裕を求めるタイプ)の場合は、外見にこだわらず、ただし、自分の稼ぎに期待されることを極端に嫌う(と、言うよりも、夫の稼ぎで家庭を維持するのが当然と考える)人が多いように思います。
剛は、そういう意味では肉体的な魅力はたっぷりあるのだろう、と思います。それと同時に経済力もあり、配偶者に自立していることを求めず、経済的に支配下に置くタイプなのが、乃里子の失敗だったのかな。と思います。
離婚に至る過程では、怒りや、悲しみなどの激情の勢いでなく、静かな諦め(絶望)に至るところにリアリティーを感じました。
テレビドラマやワイドショーなどでは、離婚の三大要因として「カネ」「暴力」「女」などと言われ、これはわかりやすく、実際にそういう人もいると思います。一方、そういったわかりやすく、説明しやすい理由ではなく「こいつとはやっていけない。」とあきらめに似た絶望に至る場合もあります。
結婚を「当たり前のこと」として考えて、さほどの疑問がわかない人や、「結婚すれば子どもができるでしょ。」と漠然と思っており、実際に結婚して子どもをもうけ、育てている人は、おそらくそのような考え方(「考え方」と言うほど考えていないと思うけれど)同士のご結婚で、相性が良かったのだろうと思います。
では、乃里子にはどういう相手が結婚相手として適当だったのか。
三部作の第二部では可能性としての男をいろいろ考えさせられるエピソードがちりばめられていました。あるいは、結婚を前提としない交際、あるいは仲良しの関係かもしれませんが。
生まれたからには、私的生活も充実して(自立した一人の人間として)楽しく生きたい。
あるいは「生まれたからには、自分の家庭を持ちたい」と願うのか。
微妙に一致しない人生の目的をゆるり、と考える一冊でした。
微妙に一致しない人生の目的をゆるり、と考える一冊でした。
で、三部作の三冊目はどんな話になるのだろうか?
興味が沸いてきました。(まだ読んでいません。)
興味が沸いてきました。(まだ読んでいません。)