正月に帰省しないなら、この小説がオススメ。
または、年賀状を書く前に読むと良いです。
小説としては「彼女は頭が悪いから」(2018/7/20文藝春秋)
以来2年振りの作品。
内容は、タイトルの通り、青春とは何か、を描いたもの。
著者と同年齢に設定された主人公が、家で見つけた古い名簿をきっかけに、高校時代の出来事を思い出します。
内容は、タイトルの通り、青春とは何か、を描いたもの。
著者と同年齢に設定された主人公が、家で見つけた古い名簿をきっかけに、高校時代の出来事を思い出します。
は、主に家庭内の狭い世界を描いたものでしたが、その中で、同じ高校に通う級友と言葉を交わすシーンが印象的でした。
異様な家庭内の狭い世界とは別に、普通の高校生として生きる世界もある、とわかる効果的なカットでした。
本作も、主人公の設定自体(異様な親に一人っ子)は同じなのですが「昭和の犬」が陰の面を描いたのに対し、本作は陽の面としての高校生活を描きます。滋賀県の都会に遠い県立の共学普通校。
- 序
- 秋吉久美子の車、愛と革命の本
- 共学と体育、ギターと台風
- 科学の先生
- タブアタック出演と保健室と「連想記憶術」
- 青春の性欲
- 有名な名前
- 桜とサンノナナ、いないといる
七つに章立てされた序盤は、各章を同じ学校に通う一人一人にスポットライトを当てながら、連作風に進行します。
第一章は、犬井一司。
一学年上の二年生。主人公乾明子は一年生の三学期。明子の放送部に部室が近いので、顔見知りの軟派な柔道部の犬井に声を掛けられるところから。
声を掛けられますが、ナンパではありません。かなり失礼な挨拶でからかわれているのかと思いました。しかし、からかうのが目的でもなく、用事を頼むところを照れて言い出せない犬井一司なのでした。
僕は、失礼な犬井をやっつける物語を期待するも、明子が一向にやっつけないのでいらだちます。第一章において「そういう小説ではない。」とわかる仕組みでした。
この小説は、失礼な人を糾弾して盛り上がる小説ではありません。また、糾弾してはイケナイと解いているわけでもありません。
後半に、怒らない明子のカウンターとして、明快に不快感を示すクラスメートが登場します。
後半に、怒らない明子のカウンターとして、明快に不快感を示すクラスメートが登場します。
良い、悪いの話ではなく、それぞれの性格というものだ、と僕は理解しました。
第二章は、相沢喜一。
体育以外は、ほぼ学年トップの天文部。横柄な犬井一司に対し、効き目がないながらも、ストレートに否定したり、断ったりする相沢が面白い。犬井の横柄さが見下しているのではなく、言いたいことを言っているだけなのだとわかります。
第三章は化学の先生。
明子の担任。
ちなみに、僕が高校二年で化学を習った先生も、かなりやばかった。顔が紫色でやばかった。声は聞こえて指示も明瞭。だけどその明瞭な指示がもっとやばかった。金属ナトリウム(※)を直接手で押さえてナイフで切り取り、生徒に配った。最初に受け取った生徒の手の平の水分と反応したのであろう。発火はしなかったもののかなり発熱したようで「先生!熱いよ!」と訴えた。後ろで見ていた高校卒業間もない実験助手が飛んできた。生徒たちからピンセットでナトリウムを回収して回った。「ダメよ、手で直接触ったら。」と。先生が配り、助手が回収する。そんなもんで、僕も化学はほとんど自力で受験を乗り切りました。(ホントはもっとやばかったんだけれど、書くと行政問題になるのでここでは書かない。)
(※)金属ナトリウム:水に触れるだけで酸化される。水の酸素と結合し、水素を発生させる。発熱し、自然発火する。発火したら水素に引火し爆発する。危険物第三類
第四章は、中条秀樹。サッカー部のエース。
この章が一番面白かった。
顔見知りの犬井に誘われて三年の教室で食事をしていた明子にちょっかいを出してきた中条。
二年生の明子にとっては、一学年先輩にあたる三年女子がみんな見ているなか、あたかもじゃれ合っているかのように映る。
後日クレームが入る。クレームが入ったものの、クレームを口実に、中条への伝言を言いつけられる。
こういう、学園ものらしい、いざこざ。
犬井や中条が明子を暗いから「くらぁ」と呼ぶのを、ヨーロッパの女性名と聞き間違えられ、気取っていると先輩女子に責められるのも面白かった。
一応、この章での僕の感想は「性はプライベートの特徴が濃く、人それぞれの常識の振れ幅がタイヘン大きい。」と言うに留めたいと思う。
第五章は、卒業十年後に中条とばったり再会して。当時自身が運動嫌いのように思われていただろうと考えていた明子に「運動神経ええなと思てた」と否定されるシーン。これ、重要。自分は、誤解されている、損をしていると思っていても、ジツは正当に、ありのままの自分を見ている人がいたりするのだ。と言うのは、卒業後二十年以上経た後、僕にもわかったことでした。
第六章は、学校における男子から女子、女子から男子への辛辣な本能的な評価、酷評について。
第七章は終章。楽しかったクラス分け。三年七組。バス遠足に遊園地を選んでしまうクラスでの一年。
僕の高校三年もI組がこんな感じだったようだ。僕は私立理系コースのB組で女子六人。悲しい状態だったが、この女子六人が仲良く文化祭の後夜祭でチアガールの格好をしてアイドルの歌を元気よく歌ったので嬉しかった。この後夜祭バンドでキーボードを弾いていたのが僕だ。受験の年の十月まで、こんなに楽しい高校生活を、僕も送っていた。
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この小説を読んで「まったく、男子ときたら。」と糾弾することもできますが、
そんな高校時代の無軌道さを(自分も含めて)許し、それぞれの個性や、熱中した興味の的を理解し、穏やかに読むこともできます。
つまり、若く、幼かった自分との和解の物語として読むこともできます。
僕も、読みながら自分の高校時代を思い出し「悪いことをした」「ああすれば良かった。」いろいろ浮かんできました。
でも、それらも含めて~当時と比べれば単調で面白みの少ない大人として過ごす現在も~高校生として過ごしたあの三年間があるから、今があるのだ。と希望に変えることが出来ました。
古い友人に会って話をすると、第五章のように、当時の自意識過剰な自分を、ユーモラスとして許してくれていたのだ、と気がつくことがあります。
故郷を離れて、正月を過ごす人には、旧友と逢う代わりに、この小説がオススメです。
素敵な大人のお年玉になると思います。
2020年12月16日
No. 652
No. 652