No. 435 female / 小池真理子 唯川恵 室井佑月 姫野カオルコ 乃南アサ 著 を読みました。
夢と現実のあわいに、そっと差し伸べられる柔らかな感覚の蔓。その蔓の先にひっそりと息づく官能の蕾。ゆっくりとほころび、やがて開ききった花弁からこぼれだす、悦楽の香り。第一線で活躍中の女性作家五人が描くエロスの世界は、甘やかにみずみずしく、しなやかで生々しい。そして、うっすらと怖い。眩暈と溜息を誘う五つの短編をそろえた、贅沢なアンソロジー。文庫オリジナル。カバーの背表紙を転記
2002年の"Jam Films"からスタートしたコンピレーション・ムービー"Jam Films"シリーズの第四弾
は、女性作家五人の書き下ろしを原作として企画され、'05年初夏に公開予定のfemale。この映画の原作アンソロジーです。
- 小池真理子「玉虫」
- 求めるもの、必要とするものを理解している女の不安や迷いのない生き方が自転車を漕ぐ風景に象徴されているように感じられました。
- 唯川恵「夜の舌先」
- ストーリーはともかくとして、正子の夢で繰り広げられる空想がセクシーでよいです。男の僕は「なるほど、そうすれば良いのか。」と読んだのですが、同時に僕じゃ役不足なのだろうな。と、考えました。
この小説とは関係ないのですが、僕の学生時代の友人にミョーにモテる男がいました。かつて彼のモテるゆえんを聞いたところ、「この娘良いな。と思ったら、彼女を誘ってから、出来るまでがイメージとして浮かぶんだよ。」と言っていたのを思いだしました。相手さえ厳しく選り好みしなければ、正子もモテるのではないかと思うのですがねぇ。 - 室井佑月「太陽のみえる場所まで」
- タクシードライバー、強盗、ホステスの三人が共有する共通の不幸をユーモアで描いた佳作。「人は、幸福で無くても生きていける。」と言うことも出来るし、「人は、不幸でも生きてゆかねばならない。」と言うことも出来る。そんな事を読後に考えた短編でした。
- 姫野カオルコ「桃」
- 童話に出てくる王子様とお姫様は、大冒険の後に「幸せに暮らしましたとさ。」と物語の終わりを告げられます。彼らはその後に続く、長く平凡で退屈な日々をどのように過ごしたのでしょうか? 命がけの冒険の後の人生を「晩年」と言うなら、王子様やお姫様が「幸せに暮らした」と言う生活は晩年。本当に幸せなのでしょうか。
「桃」の主人公は、三一歳にして、その記憶を封印して晩年を生きる女性です。桃によって封印を解かれた記憶が羨ましいくらい幸せそうです。そして、桃を食べる彼女は幸せなのでしょうか。ちなみに童話での例えは、星新一の文章の引用なのですが、どこで読んだか忘れたので引用元を明記できません。たしか、そこでの結論も「幸せは、冒険の記憶とともにあるので、穏やかな日常の中に、穏やかな幸せがあるのだろう。」と言うようなものだったと記憶しているのですが……。出典を思い出したら、修正します。 - 乃南アサ「僕が受験に成功したわけ」
- 妙に大人びた真吾にリアリティーがあって楽しい。また、積極的な奈月が物語でする哀しい決断も、大人びていて面白い。リアリティーのある小学生二人が、大人の恋愛をそのままなぞるような展開も面白い一遍でした。
2005年3月12日
No. 435
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