No. 648 セロ弾きのゴーシュ / 宮沢賢治 著 を読みました。
才能のない未熟な少年芸術家が、必死になってセロを励んでいると、夜ごと動物たちが訪れ、天啓のように芸術に開眼するという感動的な童話「セロ弾きのゴーシュ」以下11篇ををおさめた。「オッペルと像」「北守将軍と3人兄弟の医者」「グスコーブドリの伝記」それぞれ詩であり、寓話であり、大人の読む童話である。カバーの背表紙を転記
以上の二冊で生前に完成/発表された童話を網羅します。
生前発表作品としては、他に詩集があります。
角川文庫では、
中村稔編「新編宮沢賢治詩集」1963/12/20
に収録されています。
「雨ニモマメズ」、「永訣の朝」(あめゆじゅとてちてけんじゃ)は新編宮沢賢治詩集に収録されています。
「ポラーノの広場」「税務署長の冒険」「種山ヶ原の夜」(劇)なども「読んでおかなくっちゃ」と言う人はマニアです。
角川文庫では他に下記3冊が刊行されていますが、ここまで買いそろえても、上記三作品は網羅できません。マニアには全集をオススメします。
- イーハトーボ農学校の春
- 蛙のゴム靴
- インドラの網
さて、当短編集「セロ弾きのゴーシュ」は、11編の短編と付録2編を含みます。
- 雪渡り
- 雪が硬く締まって、表を歩くことができた日。四郎とかん子の兄弟がアイスバーンの上で白い子狐紺三郎と出会った。
- 「キツネは人をだますもの」と言う偏見、差別を解消するための、キツネの学校での教え。日本人なら誰しも共有できる美意識だ、と思いたいものです。
- やまなし
- 幼い沢蟹の兄弟が、谷川の底で川の流れを眺めながら、クラムボンを語ります。
- 蟹のお父さんが出てきて、子どもたちに教えてあげる下りを面白く感じました。水面から飛び込んだものは何なのか、落ちてきた果物(やまなし)はどうすれば良いのか。
以前、海岸の露天風呂につかっていたときの事を思い出しました。同じ湯船に親子が浸かっていました。海岸の露天風呂には、時々フナムシがやってきます。
「おとうさん、この虫もカンブリア紀に進化したものなの?」
「そうだよ。カンブリア紀にはいろんな生物が生まれたんだ。」
この子どもは「勉強しろ」と言わなくても、自分が興味を持ったものを熱心に学んでいくのだろうな。と思いました。 - 氷河鼠の毛皮
- 12月26日イーハトーヴ発ベーリング行きの最大急行の乗客のハプニング体験記。
防寒具と言えば、毛皮のような動物から得る天然のものしかなかった時代。
小ネタですが、繊維事業の大手企業「帝人」は1915年山形県米沢市に設立した東工業人造絹糸製造所が株式会社に改組した「帝国人造絹糸」の略。人造絹糸[じんぞうけんし]とはレーヨンです。繊維を化学合成するのではなく、植物から抽出したセルロースを繊維に加工したもの。
1915年は宮沢賢治19歳。
完全に化学合成でつくる人工繊維の最初は、ナイロン。デュポン社1935年実験成功まで待たねばならなりませんでした。
閑話休題。
と、言うわけで、人間は動物や植物の命を奪って、衣食住に利用します。それを、どのように考えるか? が宮沢賢治文学の一つの大きなテーマです。
この短編では、一つの原則。「やむを得ないが、必用最低限に抑えろ。」が示されていると思いました。
同じテーマが、森の木について戯曲『種山ヶ原の夜』で語られます。 - シグナルとシグナレス
- 本線の立派な信号機「シグナル」と支線の軽便鉄道の信号機「シグナレス」の禁じられた恋の物語。
野暮な本線シグナルつきの電信柱と、対象的に親切な倉庫の屋根。
四人の誰の立場に立って物語に親しむか。僕は倉庫の屋根でした。みんな仲良しがいちばん。 - オツベルと象
- ※ 僕が読んだ昭和四十四年二月十日発行改版では「オッペルと像」ですが、現在の版
- は「オツベルと象」に訂正されている模様です。
オツベルは六台の足踏み脱穀機を備えた仕事場を持つ男。近所の農民十六人を雇っています。そこへ遊びに来た白象の受難と救出の物語です。
空港で働く麻薬犬は、密輸される麻薬を探して、見つけたら人間に教えます。ただし、強いられて苦役として麻薬を探しているのではないそうです。犬使いと遊んでいる感覚で毎日働くのだそうです。なので、一日働いて麻薬がなかった場合は、職員がダミーの麻薬のにおいがする荷物を流し、麻薬犬に見つける喜びを与えるそうです。随分前にテレビ番組で見た記憶があります。
人を使うのが上手いやつは、使う相手が自ら望んでやっていると思い込ませるのが上手いそうです。
そういう手口に乗ってはいけないよ。という教えと、そんなふうに人を使ってはいけないよ。という両方からの教訓を受け取りました。 - ざしき童子のはなし
- ざしき童子(ぼっこ)の言い伝えを四例紹介しています。
僕は、子供の頃に劇団四季の子どもミュージカルで観たのが最初。 - 最近、遠野物語を読んで、個別の地域伝承として面白く感じました。なるほど宮沢賢治も、押さえておかねばならないところだな、と思いました。
この宮沢賢治版は、童子に[ぼっこ]とルビが振ってあります。そう言えば、同じく東北にルーツを持つ星新一の代表作が「ボッコちゃん」 -
- でした。星新一版はロボットですけれど。
- 猫の事務所
- みんなのあこがれ、事務所書記。定員は四匹。でも、なぜか一匹は煤だらけの竈猫。外見を気にしない所長が実力を認めて採用しました。
しかし、他の三匹は、汚い竈猫と同列に扱われて不愉快。所長をだまして竈猫の仕事を取り上げてしまうように仕向けます。
韓非子の内儲説下、六微の説三 -
- で説かれる、下っ端のものが権限を持つ者をコントロールして、自分のよこしまな欲を実現させるお話し。
だまされていることに気付かず、竈猫を乾してしまう所長。
竈猫への仕打ちを咎められてなお所長は、自分は正しい判断で、適切な処置をとった、と思っていることでしょう。竈猫を怨みさえしても。 - 北守将軍と三人兄弟の医者
- 三十年間の遠征の果てに凱旋した北守将軍。凱旋時の将軍を治療した三人兄弟の医者のお話。
おごらず、昂ぶらず。英雄の有り様を示した好編です。 - グスコーブドリの伝記
- 木樵の息子「グスコー・ブドリ」の幼児期からの一生を描いた創作の伝記。
九つに章立てされています。- 一 森
- ”やませ”と言われる冷夏による冷害(凶作)と、それに伴う飢饉を描いています。
グスコー家は木樵なので、冷害でも切る木はあります。しかしながら地域の凶作のため、薪も、切った木材も売れず、収入減のため食べ物も買えない状態。経済活動の停滞が文字通りの死を意味することがわかる物語です。 - 二 てぐす工場
- ”てぐす”は丈夫な糸のこと。漢字では天蚕糸と書くようです。ここでは養蚕業自体を「てぐす」と言っています。
グスコー家が滅亡した後、誰かが森を売りました。それを買って養蚕工場が建てられ、選択の余地なく、そこで働くブドリ。
児童労働に従事するブドリ。しかし、ただ労働に甘んじるのではなく、農閑期に一人で留守番を命じられたブドリは、工場の書物を読みあさります。勉強の機会を得ました。
この章では、蚕種をつけた板を利用した養蚕の描写もあり、養蚕の概要がわかる=学習読み物の側面があります。
養蚕と言えば桑ですが、この物語では森の栗の木を利用します。天蚕糸は山繭[やままゆ]科のガが作る繭から取った天然の繊維。二十一世紀になった今でも、クリの木の他、コナラ、クヌギなどブナ科の落葉樹の森で、鮮やかな緑色の繭が見られるそうです。 - 三 沼ばたけ
- 火山の噴火により、てぐす工場が壊滅した後の話。ブドリは沼ばたけ(水田)で働きます。
山師と揶揄される、極端な堆肥を用いた資本集約型の稲作に挑む米農家に雇われます。
労働はひどいものでしたが、雇い主は、自分の山師的な稲作を科学的にサポートするよう、ブドリに関係書物を山ほど与え、勉強させます。 - 四 クーボー大博士
- 沼ばたけが経営的に行き詰まり、先細りしていくなか、ブドリは解雇されます。
沼ばたけで読んだ書物の著者を訪ねて、イーハトーブの市に行きます。
幸運に、クーボー大博士に巡り会うことができ、仕事を斡旋してもらえました。 - 五 イーハトーブ火山局
- クーボー大博士の紹介により、開局二年目のイーハトーブ火山局に就職したブドリ。
-
ちなみに、現在のイーハトーブ火山局は国土交通省管轄で、こんな感じです。
国土交通省のウェブサイト内に公式ウェブサイトもあります。
- 火山局の業務を一人前にこなせるようになった二年目。サンムトリ火山が噴火の予兆を示しました。
- 六 サンムトリ火山
- 噴火するサンムトリ火山の被害を最小限にするミッションに挑むイーハトーブ火山局。ブドリも重要な役割を与えられ、火山局のみんなと協力してミッションをコンプリートさせます。
ここから、本格的なサイエンス・フィクションとして、宮沢賢治の筆が冴え渡ります。 - 七 雲の海
- 火山局は開局七年目を迎えました。ブドリも就職六年目。工作に必用な電力供給源として、潮汐発電所も整備されました。
ブドリは技師心得に昇進。ブドリが提案した、窒素肥料を雨とともに降らせる事業も実行されます。 - 八 秋
- ブドリらが実行した窒素肥料の降雨によりイーハトーブは豊作。立役者として新聞に名前も出ました。これを見た妹のネリがブドリを尋ねてきて再会を果たしました。
- 九 カルボナード島
- 仕事も、地域の農業も順調に推移した五年後。ふたたびやませによる冷害が予測されました。飢饉の発生を食い止める奇策を提案するブドリ。
「グスコーブドリの伝記」は、以上のように、大きく三つの要素、すなわち、- 冷害による飢饉の実態を伝えるドキュメント
- 未来の農業と災害対策を提案するサイエンスフィクション
- 自らを犠牲にして多くの人を助ける英雄譚です。
三つめの要素により子供にはあまり勧めたくない作品です。実際の課題対策において、人が犠牲にならなくて済む=繰り返し実行できる手法を考え出したほうが上手くいくケースが多いように思うからです。ただし、僕がこの思いに至ったのは、大人になって、随分経ってからです。十年前の原発事故の時、僕は「どうせつまらない人生だ。俺の命で何か役に立つなら惜しくない。」と安直に思って、具体的に何ができるかな、と考えてみました。そして、どうやら死体が一つ増えて、処理をするための手間が嵩むだけだと思い直したのでした。それならば、作業員として毎年線量の限り労働に励むべきでした。そして、そんな地味な作業をやりたくないから、いわゆる「惜しまれながら死んでゆく英雄」を派手に気取りたかったのかも。と反省した次第です。 - ありときのこ
- ありを野営中の軍隊に見立てて、歩哨(みはり)と近所の子供とのやりとりを描いた掌編です。
あるいは、こうして子供は、大人にもいろいろある。と学習するのかも知れぬ。と思いました。 - セロ弾きのゴーシュ
- 交響楽団の一員のゴーシュ。チェロ担当。十日先に迫った第六交響曲の演奏会。楽団の練習ではゴーシュばかりが注意されています。
そこでゴーシュは一念発起。毎晩遅くまで自宅での練習に勤しみます。すると森の動物たちが代わる代わる毎晩聞きに来るようになりました。動物たちに対して、ゴーシュは特に親切にするわけでもありません。しかしながら、いくつかの啓示を受けて、演奏が上達していきます。
音楽が人に感動を与える所以を、動物たちとのやりとりから察することができました。
作中の”第六交響曲”のモデルは、ベートーベンの「田園」説が有力だそうです。宮沢賢治が持っていたプフィッツナー指揮、ベルリンフィル演奏のSP版は、今はCDになっていますが、売り切れのようです。1929年のレコーディングのようです。 - 付録
- ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記
- 「グスコーブドリの伝記」の草稿の遺稿。ばけものの国の森が舞台。
- 養蚕が森での昆布漁になっています。
距離としての単位”ノット”と”チェーン”が出てきます。ノットと言えば毎時海里ですが、当時はノットと言えば距離だったのかもしれません。現代「時速」と言わずに40キロメーターと言っても速度として通るのの逆で。
調べました。1海里は、古くは緯度の1分として定義された単位であることを知りました。一冊本を読むたびに、こんな勉強ばかりしていてはブログの更新がままなりません。しかしながら、緯度は、赤道から北極までを10000kmとして定義されたものだ、と存じておりますので、試しに10000kmを90(度)×60(分)で割ってみます。おぉ、なるほど、1.852kmになりますな。
さらに”チェーン”を調べてみると、アメリカで使われる単位で、66フィート。1チェーンは20.1168mだそうです。
一応小説のなかの数字を換算してみます。
最初にネネムが口笛を吹いて一息に走った30ノットは、55.56km。随分走りましたな。
走り終えたところで、出会った幽霊に聞いたハンムンムンムンムン・ムムネの市までの距離は6ノット6チェーン。6ノット=11.112km、6チェーン=120.7008m。合計で、11.233kmですな。もう市まで近くです。
で、ここでは[ざしきぼっこ]ではなく[ざしきわらし]が出てきます。
「六 ペンネンネンネンネン・ネネムの改心」で終わります。
どうやら「グスコーブドリの伝記」の草稿ではなく、グスコーブドリの伝記を思い立ったときに「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」のエピソードを流用した。ということのようです。 - ペンネンノルデはいまはいないよ
太陽にできた黒い刺をとりに行ったよ - 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」と「グスコーブドリの伝記」の中間的な内容の覚え書き(箇条書き)です。
2020年10月11日
No. 648
No. 648