受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 605 坂の上の雲(一)/ 司馬遼太郎 著 を読みました。

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)

 
明治維新をとげ、近代国家の仲間入りをした日本は、息せき切って先進国に追いつこうとしていた。
この時期を生きた四国松山出身の三人の男達
日露戦争でコサック騎兵を破った秋山好古日本海海戦の参謀秋山真之兄弟と、文学の世界に巨大な足跡を遺した正岡子規を中心に、昂揚の時代・明治の群像を描く長篇小説全八冊。
   カバーの背表紙を転記  

明治時代を描いた歴史長篇小説。

三人の男を軸に物語が進みます。
一人は、正岡子規(1867~1902:現・愛媛県松山市花園町生まれ、俳人。言わずと知れた松尾芭蕉以来の俳句の中興の祖。代表作は「柿くえば、鐘が鳴るなり法隆寺
二人目は、正岡子規の親友で同級生(現・松山東高校、上京して現・開成高校、大学予備門(現・東京大学教養学部でも同級)の秋山真之(1868~1918:現・愛媛県松山市歩行町生まれ、海軍中将)。この人が、この小説の主人公です。
大学予備門卒業後、帝国大学文学部に進んだ正岡子規とは道を異にし、海軍兵学校に進み、そのまま海軍軍人になった人。日露戦争時は中佐。東郷平八郎を支える先任参謀。有名な「丁字戦法」を編み出した事で知られる天才軍師。(実際は違いますが、天才軍師として「秋山真之=丁字戦法を編み出した人」と聴くことが多いです。)「天気晴朗なれども波高し」の電報文を書いた人。
三人目は、秋山真之の兄、秋山好古(1859~1930:現・愛媛県松山市歩行町生まれ、陸軍大将)
日露戦争時は少将。騎兵第一旅団長。世界最強と言われたロシア軍のコサック騎兵隊を破ったことで有名。(と書くと、一騎打ちをやって勝ったようなイメージになりますが、実際は、第一軍の一部を任されて、担当する部隊の指揮を執っていた=普通に軍の指揮官の役割を果たしていたようです。)

史実に沿った歴史小説

以上三人の実在の人物を丹念に調べ、史実に忠実になるよう、彼らが生きた時代を描いた小説です。
全八巻。
第一巻は、幕末、維新のころの三人の生い立ちから。
戊辰戦争で敗北した松山藩土佐藩預かり。賠償金の支払いで藩財政は底をつき、藩士は困窮。秋山好古は少年ながら、悔しさを覚えますが、小説では土佐藩松山藩士の心情に気を遣いながら、占領政策を丁寧に実行していた様子を描きます。恨みを晴らすべくやってきた長州藩をなだめて帰らせるエピソードも紹介しており、単純な勧善懲悪ではなく、客観的な物語にしようと勉めることを宣言しているように感じられました。
秋山真之が生まれたとき、経済的困窮から「寺へやってしまおうか」と言う父親を、十歳の秋山好古が懇願して、弟として育てられるエピソードから物語が始まります。

ファクトチェックについて

この小説をネットで調べると、素人&学者混在でファクトチェックしている記事に当たります。
僕は、この小説の感想文を述べる上で、ファクトチェックは重視しない方針をとることにしました。
著者の司馬遼太郎はこの小説の執筆にあたり、丹念に資料にあたり、また生存者へも取材をし、莫大な時間と労力を費やしています。にもかかわらず、素人&学者混在で汲々とファクトチェックをすると、事実と異なる点として指摘できることが在るようです。しかしながら、ファクトチェックの結果から、この小説をよりよく味わうことはできないようです。なぜなら、ファクトチェックをする人が「読まなくても良い」理由を探しているように感じられるからです。小説を読まない=歴史から学ぶ態度のない人の話に耳を傾けることは無駄です。
たとえば、二〇三高地の攻防を描いたこの小説の記述では頑なな参謀のまずい作戦を批判していますが、ファクトチェックでは参謀は愚かではなかった。と言うことです。だから、どうしたと言うのでしょうか。まずい作戦であったことは確かで、何かを学ぶべきなのに「参謀は愚かではなかった。」と言うファクトチェックは、何も学ばぬし、何も善処しないではないですか。
と言うわけで、ファクトチェックをする人の話はノイズですので、無視します。
小説にファクトチェックは迷惑。僕の教訓です。

第一巻は明治二十七年まで

第一巻は、野心をもった正岡子規、やんちゃな秋山真之、まじめな秋山好古の少年期を描き切り、明治二十七年(1894年)三月までです。日清戦争直前。
正岡子規は二十六歳。日本新聞社社員。
秋山真之は、二十五歳。海軍少尉。通報艦「筑紫」航海士。
秋山好古は、三十五歳。陸軍騎兵少佐。騎兵第一大隊長
優秀な学生生活を終え、学んだことを世に生かす大人としての一歩を踏み出した三人。二巻以降の活躍を楽しみに第一巻を読み終えました。
2019年 3月12日
No. 605