受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 599 坂の上の雲(二)/ 司馬遼太郎 著 を読みました。

新装版 坂の上の雲 (2) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (2) (文春文庫)

 
明治時代(1868 ~ 1912)を描いた歴史長篇小説。僕が読んだのは、全八巻の文庫新装版。第二巻。
文庫新装版の第二巻は、「日清戦争」「根岸」「威海衛」までが単行本の第一巻。以降は単行本第二巻から収録しています。
日清戦争
1892年(明治25年)正岡子規25歳。常磐会寄宿舎(旧松山藩子弟のための宿舎。坪内逍遙(1859 ~ 1935)邸跡地)を出る。常磐会給費生正岡子規は第一期生)除名、帝国大学中退。日本新聞社へ入社。
本作執筆当時、昭和の世相は「戦争する時代」=「悪の時代」と言う歴史観です。これに抗う著者の小説執筆の姿勢(思考停止して戦争=悪と批判するのでなく、しっかり歴史をお勉強しましょうという姿勢)を宣言し、日清戦争を描き始めます。
小村寿太郎(1855 ~ 1911)の経歴を紹介しながら、当時の日本を取り巻く状況を解説。川上操六(1848 ~ 1899、開戦当時参謀本部次長、陸軍中将)陸奥宗光(1844 ~ 1897、日清戦争時の外務大臣の二人による戦争準備を記した後、成歓の戦い(1894/7/28~29)豊島沖海戦(1894/7/25)から戦争を語り始めます。
秋山真之は26歳。海軍少尉。巡洋艦「筑紫」に航海士として乗船。小説は、黄海海戦(1894/9/17)を語りますが、筑紫は参戦していません。
秋山好古35歳。開戦当時は騎兵第一大隊長。陸軍騎兵少佐。第二軍に属する第一師団の隷下です。第一軍が朝鮮半島から鴨緑江を越えて清の領土に侵入したのに対し、第二軍は遼東半島東部の花園口に上陸。秋山好古については、旅順攻撃方法の献策で優秀な一面を語られる一方、実際の戦闘指揮では、大きな兵力差にもかかわらず退却命令が遅くなり多大な被害を被る、蛮勇の一面を語ります。(この蛮勇は後の日露戦争の伏線です。似たような不利な状況下での好古の指揮の伏線です。戦術上は退却が正解であるが、戦略上は被害が多くても、退却すべきではないケースがある。と)
根岸
根岸の借家に住む正岡子規の様子。戦争に浮かれ、従軍記者として出発するまで。
威海衛
威海衛の戦い(1895/1/20 ~ 2/12)の様子。
須磨の灯
従軍記者として戦場に赴く正岡子規。戦闘は終わっている。帰国の戦中で喀血。須磨に着いて下船したところ、ついに歩けなくなる。
「たのむから、釣台(担架)をつごうしてくれまいか。」
と自ら言う台詞がすさまじい。
そのまま入院。高浜虚子が看病に来る。
小康を得て、療養のため故郷松山に戻る。ちょうど夏目漱石が中学校教師として赴任していた。(坊ちゃん
坊っちゃん

坊っちゃん

 
で描かれる赴任ですね。)同じ家の一階と二階に住む。一階が子規の間。いわゆる愚陀仏庵。ホームページがあるんですね。
終戦により呉に引き上げた軍艦「筑紫」乗り組みの秋山真之も、休暇を得て松山を訪ねる。
三人は東京での学友同士であるが、子規を仲立ちにしても漱石と真之は特に懐かしがる様子もなく、会わない。
渡米
秋山好古が佐久間多美と結婚。帰国後陸軍騎兵中佐に昇進。
秋山真之は大尉に昇進。横須賀水雷団第二水雷艇隊付きに補される。そこで広瀬武夫(1868 ~ 1904)と再会。
二人ともやがて海軍軍令部諜報課課員に補され、それぞれ外国に送られる。
広瀬はロシア、真之はアメリカ。
小説ではロシア、アメリカの侵略政策による領土拡充が語られる。
ロシアは沿海州を清から割譲、併合。満州へ。
アメリカはアラスカの購入、ミッドウェー島侵略。サモア群島占領。ハワイ合併。
米西戦争
米西戦争(1898)。米国赴任中の秋山真之による観戦記が詳しく語られる。小村寿太郎が真之に語る、白人によるインディアン撲滅の歴史が生々しい。
アメリカ映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ
ケビン・コスナー演ずる ジョン・ダンバーが、スー族に親しく迎えられ、人間としての尊厳を回復する物語。
作中では、敵対する部族との交戦にライフルを持ち込み大勝利を得るシーンがありました。
もともとインディアンの部族同士の抗争はたいした武器もなく、滅多に死者が出ない儀礼的なもの。そこに、殺傷能力の高い武器を持ち込んで殲滅を計っているのが、ジョン・ダンバーです。
小説で小村寿太郎が語る白人によるインディアン殲滅構想は、おおよそこの映画でのジョン・ダンバーの振る舞いです。白人が自ら虐殺するのではなく、対立する部族に武器を与え、お互いに殺し合いをさせる。
子規庵
根岸で療養中の正岡子規結核が進行したこの時期の大活躍。
列強
三国干渉から振り返って、ロシアの建国からの歴史を顧みます。
 第二巻で印象に残ったのは「須磨の灯」で語られる、正岡子規の弟子=高浜虚子に接する態度です。後の高浜虚子のいう「執着」を引用し、放蕩息子を見捨てず、逆に嫌われても密着していく母親の例を引き合いに、学問を嫌った高浜虚子をそれでも「あとつぎ」として教え続けた正岡子規の様子です。
近年問題視される、親の過干渉と紙一重で、単純に歓迎することは憚られるのですが、たとえ、過干渉として世間から糾弾されても、執着して見捨てない態度。
紙一重の差は、
自立を妨げて、自分への依存を保たせるか、
自立を促し、巣立たせるのか。
と言う違いかも。少々逸脱して考えました。

2017年7月30日
No.599