受動態

Daniel Yangの読書日記

彼女は頭が悪いから/姫野カオルコ 著 を読みました。

彼女は頭が悪いから

彼女は頭が悪いから

 
本書は現実に起こった事件に着想を得た書き下ろし小説です。
と、巻末に記されています。
僕は事件をよく知りません。そもそも事件のニュース記事を好んで読む趣味がありません。
と、言うわけで普通の小説として読みました。

 

全体の構成

前半は普通の恋愛小説で、後半で事件を描写しています。
後半の事件も含めて全編を通じて、加害者、被害者双方の心理描写を交えて丁寧に描いています。
 

旅行中に読み終えました

前半の恋愛小説部分をゆっくり楽しんでいたら、遅い盆休みなってしまったので、本を持って旅行に出かけました。ちょうど秋田県乳頭山のふもとの温泉宿に滞留しているときに後半を一気に読みました。
ちなみに、乳頭温泉饅頭を買うと、箱には温泉土産らしいユーモアのあるキャプションが記されています。
秋田県の人はエッチだから乳頭山と呼ぶけれど、岩手県の人は烏帽子岳と呼ぶのだよ。」
と。
ついでですので秋田県側から観た乳頭山の写真を貼り付けます。
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いかがでしょうか。
 
長い日には九時間程度温泉に浸かっていました。
人気の温泉地なので平日と言えどもたくさんの人と一緒になります。
気がついたことがありました。
温泉に来る人には二種類ある。と。
お一人様とグループです。
お一人様には、そもそも一人で旅行に来ている人と、連れが他の湯船に行って、今だけしかたなく一人の人がいます。
グループには学生や職場の知り合い同士と家族連れがいます。
 
グループには二種類います。
グループメンバーだけで愉快に楽しむタイプ(独自の世界を築き、ホームグラウンドとして振る舞うタイプ)と、
他の客に目を配りながら、時にはコミュニケーションを図るタイプ(アウェイでも楽しくやっていけるタイプ)です。
お一人様にも二種類いて、
一人が苦手で、所在なげにおとなしく湯に浸かっている人と、
常連から話を聞いて情報を得ていたり、新たに入ってきた人に場所を譲ったりしてその場を楽しむ人が居ました。
ホームグランドとアウェイと言う見方で言うと、
ホームグラウンドでないと楽しめない人と、
アウェイでも楽しめるように工夫している人と
の二種類がいることに気がついたわけです。
 
一人旅行が苦手、又はしない、と言う方が温泉にくると、アウェイ感に嫌気が差して、そそくさと上がっていくのだろうな。と思いました。
 
知り合いにこのタイプの方がいます。
彼曰く
「一人なら、自宅でテレビを観ている方がまし。」
とおっしゃっていました。
また、昨年の温泉地で会った一人旅の老婦人が夫が一人旅をしないタイプだ、と嘆いていました。
計画を立て、予約を取った自分に対して
「おまえに付き合ってやっている。」
恩着せがましく振る舞う、と不平を述べていました。
「旅行費用がもったいない。」
とも。
なので、その時は、うまく夫の用事が入るようなタイミングを見計らい、
「しかたがない」
と言う状態を作り、一人で温泉地に旅行に出てきたそうです。
 

読後感は「語り合いたい」です。

読み終えて「誰かとこの本の話をしたい。」と強く思いました。
しかしながら、温泉地で同じ本を読み終えた人を探しだすことに期待はもてません。
帰宅しても、家にも職場にも、同じ本を読んだ人は見つかりそうにもありません。
例えば、加害者を共通の敵として盛り上がるのであれば、この小説を読まない人にも説明して、気勢を上げられるかもしれませんが、そんなふうに盛り上がりたいわけではありません。
「あぁ、この本を丁寧に咀嚼し、語り合える人が、本当の友達、というものだと思うのだけれどな。」
嘆けども、友達おらず、秋の夜長。
字余り。
 

読み方の提案

致し方ないので、このエントリーでは、僕が注目して読んだ点をお話しし、読んだ方にとって、親しい方と語り合えるネタになることを目標とします。
それは(もちろん加害者を共通の敵として気勢を上げることではなく)
加害者側の心理描写に注目して、
「彼らは、更生し、再犯を回避するようになるか。」
です。
 

五人は仲の良い友達同士なのか

加害者は五人のグループですが、仲が良いわけではなく、活動の場がアウェイにならないようにするための人数合わせの五人だ、と思いました。
五人はたぶんほとんど全員が一人旅行をしないタイプだ、と。
親の保護が必要な子供の頃は「親に守られた家族」=言葉通りの「ホームグラウンド」だけの振る舞い方しか知らなくても仕方がありません。しかしながら成人してなお、家族と離れた時には、人数あわせでもアウェイにしないための仲間が必要と言うのでは、親離れができないことでしょう。
 
僕が話を聞いた「一人旅行は苦手。」とおっしゃった方は、自分の性格を理解していて、余暇の過ごし方を工夫しているようでした。
ところが、五人の場合は、自分がアウェイが苦手、未知の人間とその場を楽しく過ごす術を知らない、という自分たちの短所を知りません。なにか、不愉快な事があったら、必ずそれは他の誰かの責任だと理解するはずです。つまり、他罰的な人間ということになります。
 
むろん、このタイプの人は、人と対等な人間関係を築くことができません。
人間関係の基本は、相手をどのように認識するか、なのですが、アウェイでの振る舞いを工夫しないタイプの人は、他者を短絡的に認識するようです。
・ 家族として、
  適切に進学、就職するものか、ドロップアウトした者か
つばさと、兄の関係が既に他人になっている点に注視して考えました。
 
・  家族以外の者に対して、
  仲間なのか、敵なのか。
仲間として利用する相手が述べたことは、お追従が歴然としても肯定するのがルールになっている5人の関係に気がつきました。
昨年の東京都議会議員選挙の時に「批判なき選挙、批判なき政治」を目指す旨を述べて選挙応援の所信表明をした国会議員が話題になりましたが、
五人の関係は、これと同レベル。
「仲間」のやることは肯定をするのがマナー。口を差し挟んで意見を述べる者は仲間ではなく、敵。
協力して何かを成し遂げる為の議論は存在しない。チームワークの概念がないわけです。
意見が食い違うときに、全体最適を考えたり、お互いが妥協できる点を探すような交渉術は持ち合わせていません。
 
・ 仲間以外に対して、
社会生活をしていると、仲間内だけではすまない事が多々あります。
例えば、アルバイトなどで同じ職場にいる人たちとの関係。
このタイプの人たちは、見下すか、へりくだるかのどちらかの態度を取ります。
相手を尊重し、同意できない場合でも「そうか、君はそう考えるんだ。」と理解を示すような高度なコミュニケーションは取れません。「対等」と言う概念もないのです。
彼らが理解する「対等」とは、単に軽い口調で話せる(ため口がきける)と言う幼稚で間違ったものです。
へりくだらざるを得ない相手に対し、軽口をたたくことで対等の関係だ、と体面を整え、面従腹背SNSに陰口を書き込んで憂さを晴らすのが関の山です。
逆の立場に立って、これを考えると、学校の先生や、管理職の人は、友達口調で接する生徒や部下に対して「親しく、何でも話をしてくれるありがたい人」と考えるのは要注意です。あ、話がそれましたね。
 
ちなみに、他者と対等な人間関係を築く能力は、文系の職種、理系の職種のどちらでも必要です。個人技が評価される職場であっても、優れた実績を残す人は、対人関係能力にも優れ、ピンチやブレイクスルーが必要な際に、適宜同僚の協力を得ている人だそうです。と、下記の本に書いてありました。
EQ こころの知能指数 (講談社+α文庫)

EQ こころの知能指数 (講談社+α文庫)

 
 

彼女は彼の将来をダメにしたのか?

「彼女は頭が悪いから」の帯に
私は東大生の将来をダメにした勘違い女なの?
とあおり文句が書かれていますが、本書を読み終えると、これに答えることができます。
すなわち
「この事件がなかったとしても、いずれ彼らは道を踏み誤り、将来はなかったであろう。」
と。
 

さて、彼らは更生するのか、再犯に及ぶのか

僕の読み終えた直後の感想は、
加害者側に救いがない=再犯の機会があれば、同様の犯罪に手を染める危険が払拭されていないのでは?
でした。
 

閑話「本書は文学作品です」

ちなみに、文学を
「言葉にされない、人の声を文章にして読者に示す。」
と定義するならば、
本書は文学の王道をゆく作品です。
他でも書きましたが、よしんば加害者の側であっても、その心理を内側に潜って想像し、リアリティーを以て読者に示すのが文学です。
犯人が犯行に及んだ時の状況を調べ、どのような気持ちで刃物を突き刺したのか、を想像する刑事のようなものだ、と僕は考えています。
むろん、書いていて愉快なものではないだろうし、精神的な体力も消耗し、
「なんで、作家を職業にしてしまったのだろう。」
と思うのではないかと思いますが、
そのような身を削った作品を僕は読んでいる、
と心に留めながら小説を読むのが、僕のたしなみです。
 

さて、彼らは更生するのか、再犯に及ぶのか(つづき)

さて、
犯罪を犯すのは、三つの条件が揃ったとき。と、何かの講習で教わった記憶があります。(ネット社会で、うかつに犯罪者にならないために、と言うような講習だったと思うのですが)
a) 動機
 犯罪による利益。
 お金やポイントや画像が手に入るとか、エロとか、当たるとか、モテるとか、答えが分かるとか。
b) 実現性
 自分が、実行可能な状態にあるとき
c) 正当性
 「しかたがない」「他の人はもっと悪いことをしているから、これくらいは赦されるべき」とか、僕が聴いた講習では「だから、自分に言い訳をしている、と気がついた時には注意して下さい。」と解説されました。

自転車泥棒を例に考えてみる

例えば、自転車泥棒の場合は次のような感じだと思います。
自転車泥棒は、窃盗罪:10年以下の懲役又は50万円以下の罰金だそうです。)
「酔っ払って良い気分。自宅最寄りの駅に降り立った。家まで歩くのは、しんどいな。自転車なら楽だな。」→ a) 動機
「自転車置き場に行けば、鍵が掛かってない自転車があるかも。あ、あった。」→ b) 実現可能
「あんまり綺麗にしていないし、もしかしたら、これを駅まで乗ってきて自転車置き場に置いた人も、誰かのを盗んだのかもしれないよ。」→ c) 正当性
 
三つのうち、どれか一つでも欠けると、犯行に至らないそうです。
そこで、防犯は例えば、
「自転車に鍵を掛けてください。」と利用者への呼びかけが対策になるわけです。→b) 簡単に実現できないようにする。
また、
自転車泥棒は窃盗罪で、罰金で済んでも前科一犯ですよ。」と立て看板を掲げる→a) 動機の除去
「自転車置き場にあずけた自転車が盗まれた人は、タイヘン困ります。」と呼びかける→c) 正当性の排除
むむむ。あまり適当な例にはならないので、本題に戻ります。
 

五人が犯罪を犯す構造分析

本作品の場合は次のようになりましょうか。
a) 動機:仲間に貢献したい。
b) 実現可能な手段がある(言いなりになる女がいる)
c) 正当性=彼女のような人は、こんなふうにされても平気な人。または甘んじて受け入れるべきな人と言う感覚。
a)は、無くならないだろうし、
b) は、今後機会が巡ってくる可能性がある。
c) は、先に述べたとおり、その場を無理にでもホームグラウンドとするタイプの人なので、改善しません。
と言うわけで、裁判が終わった後も、
(次回捕まったら実刑だろうな。と言う恐れはあると思いますが)
c) 正当性が成り立つよね。彼女は、別にこんなふうに扱っても、僕たちの飲み会を盛り上げるべきだよね。と考えることになれば、b) 機会が巡ってきたときに、a) 飲み友達に普段、お世話になってばかりだら、
と、同じような犯行に及ぶよね。
と言うふうに思い、加害者には救いのない小説だよな。
と読了直後に思ったわけです。
 
以前読んだ本で、受刑者の更生は、反省させるのではなく、
「もう二度と懲役にならないためには、どうすれば良いか。」
と教育係と一緒に考えることが有効だ。
と言う意味(僕の理解)のことを読んだ覚えがあります。
しかし、五人とその家族は、そもそも自分が起こしたことが犯罪だったとは理解していません。
やはり、いずれ再犯を犯すことになると思います。
日常生活で接触する機会があっても、極力関係を持ちたくない五人です。

 

救いがあるかも

で、読み終えてから三日経った今日、ふと、思い直しました。エンディングに差し掛かったところで、病院の中でつばさが指摘される言葉。彼が、彼女の指摘を理解すると、この犯罪に正当性がない、と思い直すのではないか。さすれば、再犯を回避できるようになるな、と。
そこで、本日感想文を更新した次第です。
つばさにとって彼女は(その場をアウェイでなくする人数あわせの)仲間ではありません。見下す相手でもなく、へりくだる相手でもありません。彼女と、対等な関係を築くような変化があれば、あるいは、今後の彼の人生は真人間の歩む道のりとなるかもしれません。
 
以上が、本書を読み終えての感想です。
以下は、蛇足です。

 

前半の楽しい恋愛小説部分についての感想 

読み始めた当初は、前半の恋愛小説部分について、神奈川県立の進学校に通う主人公の状況描写にびっくりしました。
同じく神奈川県立高校出身者として「まるで同級生の解説を聞くよう」でした。
東京と違って、ごく少数の人を除いて(中学校のお勉強がたいへんよくできていても)県立高校を目指す人がほとんど、なところとか、
大概行ける高校に行く。
下手に「近いから」と言う理由で選ぶと「おまえ、もっと偏差値の高い高校に行けるだろう。」と迷惑がられるので。
で、ま、特にがむしゃらになったりしないので、たいしたことないと思っていたのですが、卒業後だいぶ経ってから入学時の最低偏差値とかを目にするとびっくり。
自覚がないので、先生からは「おまえらは『大志を抱け』じゃないけれどさ、もうちょっと目標とか持っても良いんじゃ無い?」と、しゃかりきになって受験勉強をしないことを不思議がられる。
本人は、高校に入学すると、ようやく自分が普通の人になったように感じられてほっとする。
でも、勉強したいやつは、昼休みでも放課後でも、教室の自席でがむしゃらに勉強している。クラスメイトは彼の方針を尊重して足を引っ張るような事はしない。
「やつは、学校で勉強をする。俺は学校ではサッカーをして遊んでいるけれど、家では勉強をしている。」
と出し抜こうとする気も無い。
(運動部のやつだけは例外で「俺たちは充分に勉強する時間が無いから。」と被害者妄想を持っていて「お前、もう高校生だろう。自分が好きでやっている部活を何の言い訳に使っているのだ?」と子供さ加減に呆れて今に至る。)
で、変わり種は他の高校のサークルに入ったり、大学生の恋人を作ったり。だから他校の運動部のマネージャーをやるヤツがいるのも「あるある」です。
ちなみに、僕の同級生には、芸能事務所に所属して一応芸名があったアイドルもいたらしい。
「デパートの屋上のイベントでTVの収録もあるから、と頼まれて俺、後ろで一緒に踊ったよ。」
と言っていた同級生がいました。
僕は、隣りの高校の一つ上の学年のバンドに参加していて、バンドメンバーが全員浪人が決まり、やけになって、リーダーでギターの人がノタマワって曰く
「埼玉県の山奥におじさんの廃工場がある。卒業コンサートに向けて合宿な。」
と僕だけは、まだ二年生なのに。ずる休みさせられて合宿に連れて行かれたりしました。
 
次男次女(と言うか、真ん中っこ)の扱いは少し不満があります。
要領が良くなるのは、親が過干渉の場合で、適度な親の場合は、
「知らないうちに育っちゃった。」
と言うのが真ん中の特徴だと思います。
親が構わないので、また何かと上と比べられるので、独自路線を模索して、確立していく人が(僕の知り合いの真ん中っこには)多いように思います。
それを要領が良い、と言うならそういうものだとは思うけれど、親離れが早く、独立心旺盛な特徴にもう少しスポットライトを浴びさせて欲しいところでした。
親に内緒で、得意分野を突き詰めていって、言いそびれたまま、校長から賞状をもらう段になって、家に持って帰るのもはばかれて、卒業まで机の中に賞状を仕舞っておくとか。

2017年 9月21日
No.6**