受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 682 悪口と幸せ / 姫野カオルコ 著 を読みました。

昭和の少女雑誌に掲載された絵物語「王女アンナ」。元子は奇妙な物語の世界に引き込まれていく(「王女アンナ」)女優・紫さぎりは長きにわたり人気女優として活躍しているが、彼女には大きなコンプレックスが……。(「女優さぎり」)昭和・平成・令和と続く家族のあり方とルッキズムの問題を描く、姫野カオルコの真骨頂となる小説集。
「青春とは、」(2020/11/20文藝春秋
以来2年4箇月振りの作品。
4篇からなる連作小説。
著者と同年代と思われる姉妹が、小学校高学年の時に読んだ少女マンガ誌の付録読み物が劇中劇で登場する1. 王女アンナ
近所の大学生が目にしていた、同じ著者が少女向けの雑誌に寄稿した小説2. 王妃グレース
読んだ後に、どういう関係だっけ?と確かめようと思っている、同郷の3. 女優さぎり
同じ地方で育った4. モデル anti ミリセント・ロバーツ
という構成。

 

友人の結婚式に呼ばれて、二人にそれぞれ「いつから付き合ってたの?」と聴くと、二人の答えが一致しないことが多いです。一致しないことが多いことがわかってからは、無用な波風を立ててはわるいと思い、聞かないようにしています。
自身の結婚や恋愛を物語にすると、相手の認識とは異なる世界観が構築されるようです。それぞれの自意識にはオリジナリティーがあります。

 

この小説には、登場人物の自意識(主観)を、それぞれの登場人物毎に客観描写する面白さがあります。
一冊の全体を貫くテーマとしては、帯や紹介文にあるようにルッキズムへの批判なのですが、
僕は、それよりも、客観的に描写されるそれぞれの主観の隔たり=親しく話していても、理解が全く違うという隔たりが明瞭で、それが他の作家の小説作品では読むことのできない、姫野カオルコの独擅場の面白さとして、この上なく楽しめました。

 

登場人物は少なくありませんし、今風の(ラノトノベルのように)平易な読みやすい文章ではありません。ちゃんと読まないと、ちゃんと理解できない、ある意味昔の小説好き向け、といった趣があります。
そうかと言って、芸能界で生きる人の、男女の行き違い、あるいは仮初めの逢瀬も描いているので(具体的な描写がないのでエロ小説ではありませんが)いわゆる大衆小説の範疇に入ります。読んだからと言っても先生に褒められることはないでしょう。異性にモテるわけでもないと思います。
読んで面白かった。僕はこれで満足です。エンターテインメントってそういうことですよね。
以上は、amazonに投稿したレビューのコピーです。

 

もうちょっと「長い読者」として、分析を交えて書きたいところです。
しかしながら、気合いが入りません。(レンタルDVDでSPY x FAMILY
と実写の方ののだめカンタービレ
を借りて見ている途中だし、桜の写真をどっさり当ホームページにアップロードしたいし、

Angyō Kanzakura, a type of early-blooming cherry tree at 9:17 on March 21st, 2023 in Kita-Asaba Sakurazutsumi Park, Sakado City, Saitama Pref. photo by Daniel Yang
写真撮りに出かけたいし、なんてゆうか、まだ定年退職まで時間があるのに、趣味が忙しいんです。)
4篇に共通して登場する豆タンクはほんとうにそうだっけ?(1. 王女アンナで確認していない)
4. モデルのジュンチャンって、1. 王女アンナのだれかの血縁になるんだっけ?
など、ちゃんと確認しないと言及できません。今はやめておきます。

 

と、言うわけで、思いつくままに書きます。

連作小説

連作というと、初期作品「変奏曲」(1992/11マガジンハウス~1995/1/25角川文庫に収録)
を連想します。「変奏曲」は、四つの物語が現代、大正、昭和、未来とそれぞれ異なるのですが、本作「悪口と幸せ」は重なる時代と地域(中部地方の町)を扱っていて、四つの物語は、それぞれ交錯します。

美容整形

美容整形と言えば「整形美女」(2015/5/20光文社文庫
執筆時の経験が生きているのだろうなと思いました。

劇中劇

フィクションと認識して読みました。
一部、現実のトピックを語っているところかな? と調べたくなることもありますが、本作については、全部フィクションと納得して物語に集中することが出来ました。

大衆迎合型小説ではない

近年の小説は、主語一つに対応した一つの述語。短いセンテンスが流行のようです。読み易い文体が好まれるのだろうと思います。
この小説は、あまりそういうところにこだわりがないようです。
小説などを読み慣れていれば、どうと言うことはありません。しかし、文章を読み慣れていないと、誤読や理解不足になるかもねん。
テクニカルな問題もありますが(例えば後半で出てくるハードウェアの工夫でも読みやすさの追求ができるとは思いますが)そういう意味では大衆迎合型ではありません。

 

深読みすると、本作品は、あるいは読者を選んでいるのかもしれないと思います。
表面的には、ルッキズムの批判ですが、読み終えて全体を思い起こすと「育ちの良さ」と抽象的に表現される、自己肯定のできる人と、それが出来ずに、他者とのつばぜり合いに終始する人。
例えば(この作品では描写されませんが、)きょうだいの下の方から上の態度を振り返ると、高圧的な態度で常に目配りして、それを大人になってもやめられない人。
ネット接続時間が長いと、キャンセルカルチャーの担い手の発言とか目にする機会も多いのですが、
「言われっぱなしではダメだ。」という態度を身に付ける人ですな。
人間関係を上下関係でしか構築できない人。「対等」という関係が築けない人。

 

一方、相手を尊重して、年齢や性別にこだわらずに対等な人間関係を結ぶことができる人もいる。
その違いは何なのだろうか。
と言うところに言及しているのが、この小説の読みどころでもあるのだな。
と、思いました。
2023年 4月 1日
No. 682