No. 613 坂の上の雲(四)/ 司馬遼太郎 著 を読みました。
明治三十七年二月、日露は戦端を開いた。豊富な兵力を持つ大国に挑んだ、戦費もろくに調達できぬ小国……。少将秋山好古の属する第二軍は遼東半島に上陸した直後から、苦戦の連続であった。また連合艦隊の参謀・少佐真之も堅い砲台群でよろわれた旅順港に潜む敵艦隊に苦慮を重ねる。緒戦から予断を許さない状況が現出した。カバーの背表紙を転記
明治時代(1868 ~ 1912)を描いた歴史長篇小説。僕が読んだのは、全八巻の文庫新装版。第四巻。
文庫新装版の第四巻は、「黄塵」「遼陽」「旅順」「沙河」までが単行本の第三巻。「旅順総攻撃」は単行本第四巻から収録しています。
- 黄塵
- 緒戦の陸軍、主に秋山好古の騎兵第一旅団属する第二軍(司令官=奥保鞏[おく・やすかた](1847~1930))の進軍から筆を起こす。
- 遼東半島に上陸、南山の戦い(5/25)、得利寺の戦い(6/14)、蓋平(現遼寧省営口市蓋州市)占領(7/ 9)まで。
- 7月10日、国内で指揮を執っていた大本営参謀総長大山巌([おおやま・いわお]1842~1916)が満州軍総司令部総司令官として、次長児玉源太郎([こだま・げんたろう]1852~1906)が総参謀長として、日本を出発。
- 裏長山列島(現大連市長海県)で、連合艦隊旗艦三笠の司令長官東郷(東郷平八郎1848~1934)ほかと共同作戦を打ち合わせ。秋山真之が旅順攻略を力説。陸軍了承。
- 総司令部が旅順包囲軍(第三軍)の乃木らを訪ねる。
- 8月10日海軍、黄海海戦。下瀬火薬を語る。
- ロシア旅順艦隊とは別に、通商破壊で常陸丸事件など戦果を上げていたウラジオストク艦隊と、日本の第二艦隊(司令長官:上村彦之丞(1849~1916)、先任参謀:佐藤鉄太郎(1866~1942))の蔚山沖海戦([うるさんおきかいせん]8/14)まで。
- 遼陽
- 遼陽会戦(8/24~9/4)
- 高橋是清(1854~1936)による金策。ヤコブ・シフ(Jacob Henry Schiff, 1847~ 1920)からの融資に成功。
- 明石元二郎(1864~1919)によるロシア国内での諜報活動と、革命支援、反戦運動工作など。
- 旅順
- 第三軍(司令官:乃木希典(1849~1912)、参謀長:伊地知幸介(1854~1917))による第一回総攻撃(8/19~24)、第二回総攻撃(9/19~)から28サンチ榴弾砲到着、設置完了まで。
- 沙河
- 奉天(現遼寧省省都「潘陽市」)まで退却したロシア軍。軍の建て直しを図って攻勢に転じる命令を発する。10/7、旅順から戻った児玉の前で幕僚大会議開催。
- 両軍の補給状態を語った後、余談として、不十分な戦力、補給の状態で戦った、織田信長の桶狭間の戦いと、ノモンハン事件を論じる。
- 沙河会戦[しゃかかいせん](10/9~10/20)
- 緒戦の、第一軍の近衛後備混成旅団(梅沢旅団)や、閑院宮載仁親王[かんいんのみやことひとしんのう](1865~1945、崇光天皇第15世孫、閑院宮第6代当主)が率いる騎兵第二旅団の活躍が読みどころ。
- 旅順総攻撃
- 11/26~第三回総攻撃。
- 内地に残っていた最後の現役兵師団=第7師団(旭川)が第三軍に編成された。
- 海軍の要請である203高地への攻撃は棄却され、目標は望台(現遼寧省大連市旅順口区東鶏冠山景区内)。
- 夜半白襷隊突入。
出口戦略
「黄塵」で日本を発つ児玉が、海軍大臣山本権兵衛([やまもと・ごんのひょうえ]1852~1933、海軍大将)を訪ねるエピソードを盛り込んでいます。自分が不在にする国内で、講和への段取りを任せられるのは、山本だけである、と。
僕は、第二次世界大戦時に出口戦略を持たなかった昭和の日本軍への批判と理解しました。
加えて、講和への算段だけでなく、経済の側面についても、同じ事が言える、と思いました。
戦記
その他は、一冊を通じて、1904年の日露戦争戦記です。
一部第三軍の人事について述べていますが、それは第五巻の感想
で述べます。
2019年 3月21日
No. 613
No. 613