No. 601 蜜蜂と遠雷/ 恩田陸 著 を読みました。
3年毎に開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。「ここを制した者は世界最高峰のS国際コンクールで優勝する」というジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽会の事件となっていた。養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵16歳。かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のとき母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンで妻子もおりコンクール年齢制限ぎりぎりの高島明石28歳。完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ・アナトール19歳。彼らをはじめとした数多の天才たちが繰り広げる競争(コンペティション)という名の自らとの闘い。第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?
ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説。帯を転記しました。
面白かった
「音楽って、このように堪能するものなのだ。」と再認識しました。
そういう意味で言うと、僕にとっては
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以来、人生二度目の「音楽の楽しみ方」教則本でした。
自発的な動機が無い中で、先生についてピアノを習っていた小学生のころのいやな思い出。これを書き換えたのが、中学生の時に読んだ「いつもポケットにショパン」。
今回の「蜜蜂と遠雷」は、すでに「音楽は楽しい。喜びだ。」と認識している上に輪を掛けて
「人類にとっての音楽とはどのような意味を持つのか。」
壮大なテーマを掲げて、読書中は自分もコンクールの聴衆となったような錯覚を味わいながら、
「僕にとっても、音楽は生きる糧である。」
と再認識しました。
かなり大げさな表現ですが、分厚く豪華なこの一冊は、本の豪華さにまけず、大作であり、読書の内容も壮大なものでした。
僕が手にした切っ掛け。
第156回直木賞受賞作。
僕が毎晩夕飯を食べている地元のスーパーマーケット内の本屋さんで購入。
最初「直木賞候補作」と帯がついているのを見かけました。
ジョブナイルの山本文緒
「ついに、ファンタジー 出身も受賞か。」と感慨深く思っていたら、
しばらくして「直木賞受賞作」の帯に変わりました。
「受賞作だから買う」のが口惜しいので(^_^;
「直木賞候補作」の帯のままの一冊を購入しました(笑)
実際のピアノコンクールがモデル
日本の(浜松がモデルと思われる)架空の都市「芳ヶ江」の国際ピアノコンクールの模様を描いた長篇小説です。
調べたら、ずばり「浜松国際ピアノコンクール」てのがモデルになっている、と解りました(^_^;
ウェブサイトがありました。
前回のダイジェストがYouTubeで公開されています。
おぉ、一柳慧が運営委員長なのか。
高校の同級生が現代作曲家の作品を世に送り出すための初演を担当しよう。と言う目的を掲げた合唱団に参加していました。東京に住んでいた時には、僕も何回か一柳慧作品の(合唱曲の)初演を聴く機会に恵まれました。
青春群像劇です
恩田陸が得意の(と僕が認識している)「何かに熱心に取り組む若い人」の小説です。
本書は目次に続いて四人のコンクール出場者と演目が記載されています。この四人は、高島明石が二十八歳で出場者最高齢。他は栄伝亜夜が二十歳、マサル・カルロス・レヴァ・アナトールが十九歳。風間塵が十六歳。
高島明石を除く三人が、コンクール期間中仲良しになり、ともに演奏に触発されながら、音楽にのめり込んでいく構成になっています。
あまりにも三人が音楽の神様の近くにいるので、普通の人としての高島明石の存在が貴重に思えるほどです。
突き詰めたところに行く、と言うこと
本作は、ピアノを突き詰める若者たちの物語です。
作中で登場人物は演奏をしながら、もしくは演奏を聴きながら、目の前に見えていることとは別の映像=宇宙や、大空、大平原の中に浸ります。
これは、おそらく別の分野でも同様の、
例えば野球だったら
「投手が放ったボールが止まって見える。」
と言う野球選手や、
電機メーカーの検査係が、
「なんとなく違和感があるんですよ。」
と、複雑な電気回路のなかから接触不良を見つけ出す、
というような、達人たちに共通の「境地」なのだと思います。
野球の打者が言うところの「ボールが止まって」という感覚は、僕にはちょっと想像できませんが、本作の音楽に関しては、なんとなく解ります。
と言うのは、音楽を認識する際に、僕自身が視覚を使っているからです。
視覚、と言うか、空間認知を利用して、人の演奏を聴く際に、音の高低や楽器のパートを立体的に割り振って、個々の楽器、音を分解して理解しているからです。
と、言うようなことを演奏している本人に言うといやな顔をされるのですが、実際はばらばらに聴いているのではありません。全体のアンサンブルを楽しみながら、同時に個々のパートも認識しているつもりですので、演者の皆様には、僕のことは気になされないことを希望します。
さらに、友人の合唱団が歌うラヴェルを聴いていて、彼らの背後に、星空を見た(ような気がした)ことも経験しています。
”音楽を楽しむ”と言うこと
本作は、最初に示したとおり、音楽を楽しむための教則本としても機能しています。
物語の中で演奏されるピアノ曲や、ピアノ協奏曲を、僕はほとんど存じ上げないのですが、物語を読み進める上では、なんら支障はありませんでした。
物語の中で、丁寧な解説がされているからです。
作曲者の意図や、前作の評判などの背景、現代人が演奏する意味や、最近の受け取りかたなど。また聴く上での聞き所、楽しみ方など、多種多様な親切が施されています。
逆に読後、作中のクラシック曲をYouTubeなどで検索してページを表示させた時にコメントを読んでげんなりしました。ミスタッチの指摘など、けちを付けて喜んでいるようなコメントです。
YouTubeのコメントも、
他の方々に「楽しむポイント」「聞き所」などを解説してくれればいいのに。そうであれば僕はうれしい。と言うことに気がつきました。
ちなみに、けちを付けている人は、どうやら、音楽を楽しむ術を知らない人のような気がします。ケチの内容が、不正確であったり、的を射ていないことが気になりました。例えば、ショパンの英雄ポロネーズは展開部の前に三回主題が演奏されます。初回は一オクターブ低く演奏されます。ただし、TVなどで部分的に引用される際は、大概二回目以降の一オクターブ高い旋律です。
この曲に
「この人、一オクターブ間違えてるよ。」
とコメントが着いていました(笑)
さらに、このコメントに「いいね」がどっさりついてました(爆)。
いったい、この人たちは、何をするためにわざわざYouTubeを聴いているのでしょうか。ていうか、おそらく、音楽を楽しむのが目的ではなくて、とにかく何かにけちを付けるのが趣味なんですね。
音楽を楽しみたい人には迷惑な話です。
そういうわけでこれだけ情報が氾濫するネット社会にあっても「音楽の楽しみ方」を独学するのは、難しいようですので、この小説がありがたく思われました。
視点の多様性
この小説が音楽の楽しみ方の教則本として機能する背景には、物語の視点の多様性も奏功している面がある、と思いました。
この物語は視点を一つに置いているタイプの物語ではありません。
先に挙げた四人の主要コンクール参加者のうち若い三人それぞれは天才として思う存分に神の領域に近いところで音楽を昇華させていますが、最年長の高島明石は、普通のコンクール参加者として、熱心に他の人の演奏、練習の大変さなどを語ります。
三次予選に残って、急に力を入れすぎて失敗するアレクセイ・ザカーエフの様子は、審査員からの視点で描かれますが、読んでいて一緒に演者の心配をし、なんとか最後まで演奏したときの安堵も共有したように思います。
聴衆の視点として、高島明石を取材するテレビのディレクターは素人の立場から、栄伝亜夜に付き添う浜崎奏は、専門家の立場から、それぞれコンクールを観察します。
例えば、三人の視線からだけでしたら、少年漫画のスポーツもののように「必殺パンチで、相手が宇宙まで吹っ飛ぶ。」ようなファンタジーになってしまいますが、この小説は視点の多様性が、神がかりな三人とは別のまともな世の中に読者を安住させてくれているように思いました。
恩田陸作品と僕
僕は、月の裏側
と言うのは、理系の人として生物学も理解していると言う設定の人物が、生物(と進化も)を勘違いしているのがどうにも、受け入れられなかったからです。
生命とは
「独立に栄養を摂取して代謝するもの」
「自己複製をおこなうもの」
「他との境界線があるもの」
の三つの条件を満たすもの。
で、
進化は
「正確な遺伝」
「突然変異」
「自然淘汰」
の三つが働くもの。
つまり個体が成長する時には進化しません。
と、まぁ、けちを付けるのは面白くはないので、この話は深く追求しません。
恩田陸の物語の登場人物が生物や進化について語る時には「素人が思い込みによって」語っていると理解することにしました。一九八十年代までは、社会学者が堂々と誤った生物学を引き合いに出して人間社会を論じていましたので、そういうのもアリ。と言うことにします。
それに、風間塵が栄伝亜夜に聴く「もし、世界に自分しかいなくてもピアノを弾くのか?」と言う問いには、僕も深く考え「どうだろう」と考えました。
今は電子ピアノを弾いても「うるさい」と止められる哀しい家庭環境に在って「世界に独りだとしたら」もちろん僕もピアノを弾きますよ。
って、すでに蛇足が過ぎています。
ここで突然僕の本の感想を終わりにします。
皆様、楽しい夏を過ごされますように。
付録
本書で演奏される曲から、YouTubeで見かけた「これは、」という演奏を貼り付けます。
物語の本選でチョ・ハンサン(韓国)が選んだラフマニノフ二番です。
「ザ・ピアノ協奏曲」
とも言うべきラフマニノフのピアノ協奏曲二番。
僕は、下記CDを聴いていたのですが、
(父親が趣味(ジャンク部品の物色)の秋葉原詣のついでに駅前のワゴンセールスでCDを買ってきては、僕に与えたもののうちの一枚。いや、二枚組。)
下に貼り付けたYouTubeの演奏は「こんなメロディーだったのか。」と楽譜通りの演奏が明瞭に聴けて、しかも華やかで情熱的な感じで素敵だったから。
手っ取り早くは、第一楽章だけ覚えるまで繰り返し聞けば「なるほどピアノ協奏曲とはこんなものか。」と知ったような気分になれます。
第一楽章で「なるほど」と思ったら、第二楽章でうっとりして「いいなぁ。」と感じ入りましょう。
ちなみに、小説の中で「どのように弾くか」と興味をそそられる(僕はこの小説を読んで初めて覚えた言葉)「カデンツァ」がこの第二楽章の後半、最後に主題がくり返される前に演奏されます。が、小説のなかでも語られるとおり、僕が持っているCDと同じ演奏のようです。
そして、第三楽章ですが、このYouTubeは録音時のトラブルで、惜しいところで最後が収録されていませんっ
が、ここまで聴いて「惜しい! ちゃんと最後まで聴きたい。」と思ったら、CDを買って(またはちゃんと有償でダウンロードして)演奏者に敬意を払いましょう。
父親に与えられた安いCDしか持っていない僕が言うのも申し訳ないのですが。
お勧めは、
これかな。気取り過ぎない、綺麗な演奏が楽しめます。
2017年 7月31日
No.601