受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 583 謎の毒親/姫野カオルコ著 を読みました。

謎の毒親 (新潮文庫)

謎の毒親 (新潮文庫)

 
学生時代に通った書店の壁新聞に、お悩み相談コーナーがあったことを思い出し、謎の毒親について相談の手紙を書いたところ、返事が来た!
本書「謎の毒親」は、毒親を両親に持った女性(愛称「ヒカル」)のお話です。

毒親とは

毒親とは
「むしろ、いない方がよいのではないか?」
と思えるほどでたらめな難癖をつけて子供をしかる意地悪な両親です。
職場で言うと、史記司馬遷著B.C.91)
現代語訳 史記 (ちくま新書)

現代語訳 史記 (ちくま新書)

 

秦始皇本紀五十七段「二世皇帝三年」で語られる「鹿を馬となす」で趙高(B.C. 257 ~ 207中国)が皇帝(胡亥:B.C. 230 ~ 207)に「馬です。」と言って鹿を献じたようなことを、本気で言う人です。馬鹿ではなく、キ×ガイです。

ヒカルが、さんざん迷惑をかけられた両親を看取った、後年のお話です。

人、居ない方がよい、と言い切れるものはまれである

僕の短くないサラリーマン経験からいえることは「どんなにトロい人でも、いないよりは、いてくれた方が良い。」です。
経営者は、より安い給料で、より儲かる仕事をしてくれる人の方がありがたいのだと思います。当然、トロいよりはてきぱきし、ミスが無い人が良いのでしょう。
でも、現場で仕事をする仲間としては、ミスが多い人でも、作業が遅い人でも、いない方が良いと言うことはありません。いてほしいです。
十七条の憲法では、人鮮尤惡(人、はなはだ悪いものは希である。)と述べられているそうですが、僕のサラリーマン経験では「人、いない方がよい、と言い切れるものは希である。」です。
そして、希な「いない方がよい人」とは、意地悪な人です。もう一種類。人のせいにしてごまかす人です。
これも逆に、経営者は部下が意地悪な人でも不具合と感じない場合があると思います。また、人のせいにいてごまかす人は、利用できるシーンがあります。自社の業績を過大報告する際に、ごまかしのうまい人を便利に使うことが可能です。
職場での毒親は、意地悪で人のせいにしてごまかすタイプの人です。本書では
様子がおかしいと周りがみな気づきます。多人数で対応でき、聞き流していられます。
とありますが、経営者が利用している場合は、しぶとく、多大な迷惑を被る人が続出します。
読書感想からは、大きく外れますが、ブラック企業と言うのは、こんな状態(様子がおかしい毒親タイプの人を経営者が利用している状態)なのではないか、と思う次第です。

親しい人の話をゆっくり聞くように読める

小説の感想に戻りますm(v_v)m
読んで良かった。と思う読後感がありました。わくわくどきどきの冒険ものではありません。素敵なときめきの恋愛小説でもありません。でも、このような小説も感動を生むのだ、と新たな発見がありました。
感動とは、たとえば、この小説のヒカルのように、困った人に困らされている人は他にもいる、と気がついた安心感であり、前向きに対処することも可能だと知った希望です。
親しい人の話をゆっくり聞くように読める文章も、心地が良かったです。

人の助けになりたい、と欲するならば

当事者として、困った人への対応が学習できる効果に加えて、第三者としての学習もありました。
困った人を「あの人はオカシイ。」と認識する人もいる一方、(小説の中で両親に仲人を頼む人もいるように)オカシイ事に気がつかず、利用している人もいる、と言うことです。
周囲に困っている人がいれば、少なくとも、困ったちゃんを利用して、役立てるようなことはするまい。と心得えました。

困った人に困っている人にオススメ

家族に困った人がいて、困っている人には、特にお勧めしたい一冊でした。
職場の困った人が振りまく被害は、査定が悪くなったり、評価が低くなったり、金銭に換算できる被害です。それ以上の被害を被るなら(損にはなるでしょうが)転職してしまえば良いです。
でも、家族の場合には、転職をするように親を代えることは出来ません。そのままでは自分の人生を棒に振ってしまう危惧があります。
なるべく早く(出来れば、中学生くらいに)読んでほしいと思います。
ただし「早く読もう」と言うのは、事を急くべし。と言う意味ではありません。家族の困った人は、それが困った人であると気がつくまでに時間が掛かるケースがあるので「早めに気付いて、早めに対策を練ろう。」と言う意味です。
物語の冒頭(書店の回答)で「謎の毒親命名シーンがあります。具体的な事は読めば明らかになるので詳細は避けますが名付けることによって対処が可能となります。
「名付けることによって対処が可能となる。」とは、アメリカの臨床心理学者(ベトナム戦争で心に傷を負った兵士などの治療に当たった)M・スコット・ペック(Morgan Scott Peck、米、1936 - 2005)が、その代表作のうち、邦訳「平気でうそをつく人たち」(森英明訳1996/12/25草思社

のなかで述べている「悪」の定義です。「異論があるだろうし、レッテル張りの批判もあるが、名前をつけることで、対応が可能になるのだ」と述べています。

本書を読んで「あぁ、これは毒親だ。」と気づくところから、対処可能になるのではないか。と思います。小説でヒカルが脱出策を練ったように、回答者の父親が変身を試みたように。

幸福の追求とは

生まれたからには、よりよく生きたい。TVのヒーローや、ヒロインのように素敵な人生でなくても、少なくとも自分の身の丈に合った、自分なりの人生を送りたい。
たぶんこの願いが基本的人権というもので、全ての人に保証されているはずの、追求するべき幸せなのだと思います。
この小説では、周囲に味方が少ない困難な状況の中で、出来る限りの精一杯、考え、行動しながら問題に対処し、大人になっていくヒカルが描かれています。
僕も、多少困難なことにあっても、愚痴を言って憂さ晴らしするだけで無く、ヒカルを見倣い、対処していこう。と思いました。

2015年12月31日
No. 583