僕が読んだのは単行本です。
既に2冊に別れて文庫になっています。
2巻セットでも売っているようです。
大活字文庫なるものもあるようです。
1984年4月の東京から始まる、青豆と天吾の物語です。
先ほどBOOK1<4月-6月>を読み終えました。BOOK2<7月-9月>はまだ読んでいません。
BOOK1を読んでの僕の感想は「読まなければ意味がない」でした。
しかしながら、意味がなければ読まないと思いますので、その意味を考えてみたいと思います。(もちろん、この言い回しは、「意味がなければスイングはない」(村上春樹著文春文庫2008/12)
と、その元ネタ「It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)」(1931 composition by Duke Ellington with lyrics by Irving Mills, now accepted as a jazz standard. )から連想したものです)
僕は「ストーリー展開命」みたいな読書をするので、この物語を読み進めるときも「要約」のようなものを頭に構築しながら読んでいました。
しかし、読み始めてしばらくすると、ストーリーの要約には含まれない、登場人物が抱える思い、他者への慈しみが、この物語に著者が込めた魂なのでは無いかと思い始めました。
あくまでも、僕が読んで感じたことなのですが、この本に込められた魂の一つは、これまでの著作にも込められてきたテーマ「大切な人を慈しむと言うことはどういうことか。」であると感じました。恋人同士なら当然感じること、子供に対してならば、親が自然と身に付けているものとして、鋳型にはめられたような言葉で語られる「愛」を否定した上での「慈しみ」または「愛しみ」です。
もう一つは、大人が、子供に接する態度は、如何にあるべきなのか。
この二つについて、著者が魂を込めて紡いた物語が「1Q84」なのでは無いか、と思いました。
もちろん、他にも語るべき要素はありますが、僕はこの二つが印象に残りました。
青豆も、天吾も、親が無く、結婚もせず、もちろん子どもも持たない社会的には孤独な存在です。BOOK1では、二人の空白として暗示される”大切な何か”を、感じることが出来たように思いました。
この感覚は、ストーリーの要約では説明できない=読んで感じるものです。
上記の「読まなければ意味がない」はこの感覚を表現したものです。
この感覚=暗示される青豆と天吾の空白を埋めるものは何なのか? を探りながら、引き続きBOOK2<7月-9月>に読み進みます。
以上は、
および、
のカスタマーレビューに投稿した感想を適当に合体させたものです。
実際、このBOOK1を読んで、僕はつくづく「読んで感じる小説だなぁ」と思ったので、それを著者の著作タイトルに引っかけて書いてみました。
細かいところでは、冒頭で青豆が語る「人の印象は、静止画に収まるような造形ではなく、人に接してくるくると変わる表情にある」と言うような、多くの作家が語る点について、著者が自説を披露しているように感じられるような細かいところにも、いろいろ感じるところがある小説です。そう言う点で言えば、ネタばれですが、
毎週日曜日に子どもを伴って家宅訪問する大人への批判も痛烈に感じました。
もし、そのような必要があるならば、と言う事ですが、大人だけでするべきです。
読めば「当然だ。」と納得することなのですが、そのような行為をする大人にとっては、正義を実践しているのですから、彼らの耳には届かないことでしょう。
あなたの王国が私たちにもたらされますように。
2009年7月3日
No.521