No.544 きまぐれ暦/星新一を読みました。
地震対策に東京で原爆を爆発させたらどうか。デノミの際には<円>のかわりに<尺>を単位にしてはどうか。歴史は現在から過去へと逆に教えたほうがいいのではないか。旅、ギャンブル、食物、言葉、酒、漫画など身近な話題をとり上げ、ひとひねり半の考察を加えたウィットあふれるエッセー集。頑固な頭もたちまちもみほぐし、発想の転換をうながす愉快な話のコレクション。背表紙より
昭和四十五年(一九七〇)の秋頃から、昭和五十年(一九七五)の秋までに書いたエッセイをまとめたもの。エッセイ集としては、「気まぐれ博物誌」(河出書房新社1971/ 1)
「新・進化した猿たち」(早川書房1971/ 3)
の後に書かれたもので、ショートショートとしては、「未来イソップ」(新潮社1971/ 4)
から、「夜のかくれんぼ」(新潮社1974/ 5)
まで。この他に、「ボッコちゃん」(新潮文庫1971/ 5/25)
に始まる文庫化、長編「誰も知らない国で」(新潮社1971/11)
戯曲「にぎやかな部屋」(新潮社1972/ 4)
歴史もの「殿さまの日」(新潮社1972/11)
「城の中の人」(角川書店1973/ 5)
祖父、父に取材した「祖父・小金井良精の記」(河出書房新社1974/ 2)
など、仕事の量を大幅に広げていたころに当たります。本書のあとがきでも、「本来ならもっとたくさん書いていてもいいはずなのだが、意外に少ない。」とエッセイの注文をあまり引き受けられなかった経緯を記しています。
ありました。全六十六話中の第五話「単位について」十四ページで触れていました。
で自主性のないことだと皮肉られており>と議論を退けた上で、<西暦二千年まで昭和をつづけ、二千一年になった時、なにかおめでたい行事を考案し、「日扇」でも「弐泉」でもいいから、そんな発音の年号に改元するのである。>と提案しています。「日扇」も「弐泉」もいずれもおそらく「にせん」と読むのでしょう。
なるほど、と思いませんか? 僕はなるほど、妙案だ。と今でも膝を打ちます。
ちなみに、当時は元号についての法律がありませんでした。戦後1947年に現皇室典範が制定されたときに、元号に関する記述が消失し、1979年の元号法案成立まで「昭和」なる元号は不文法によっていたのです。そろそろルールを決めなければならぬ時期にありました。
ただし、これは積極的な提案ではありません。第五話の話題である単位について、二桁で表現出来る単位が普及しやすいようだとの指摘に続いて、西暦が四桁でいまいち普及せず、二桁の和暦が使用されている背景になっていることを考慮しての提案です。
ここで、はた、と気が付いたのは、僕がこの記述を探す時に、「たしか、単位は二桁が便利と言う話題に絡めていたな。」と当ていた事です。
僕は、二十年以上前に読んだこのエッセイを記憶していたのです。
他にも探してみました。
記憶していたものを記します。
- 1. 星という姓
- 「星」と言う姓が福島県に多い
(読み返すと、福島県から新潟県にかけて多いようだ、と記しています。) - 16. 文体
- 太宰治の文体を評価している
(山下清の文体についても、人柄が現れていて、他の人には真似の出来ないものだ、と併せて評価していました。太宰治については、具体的には別の本で説明しています。) - 27. 未来の衣服
- SF映画で描かれる身体にぴったりした衣服は、実際に未来で好まれるものではないだろう、という予測
(確認したところ、僕の記憶は少々異なっていて、美について「手間が掛かる事が要件なのだろう。」と見解を述べられていました。) - 47. 歴史の教育
- 歴史の授業は、過去から現代への順ではなく、現代からさかのぼる順番で教えてはどうか
- 66. トリかカラスか
- 飛鳥山が飛烏山なのは、市電の間違い
僕は記憶が不得意です。(仕事では、得意、不得意にかかわらず、記憶に頼っての失敗を防ぐために、あえて記憶をしないようにしていますが)特に試験の役に立つような記憶は不得意です。小学生の頃から漢字の書き取りは惨憺たる結果だったし、理系に進路を絞った後も、数学や物理の公式をほとんど覚えませんでした。数学試験では試験が始まると、先ず式の展開をして計算用紙に記すところから始めていたし、物理の試験の時は、法則から公式を導き出していました。高校三年になると、このやり方で物理の試験を乗り切るのは難しく、化学系に進路を定めました。でも、本書に記されているような、考え方や、物事の見方などについては、印象に残り、文章の大意を記憶するのかもしれません。そして、話題に上ったときに「そう言えば」と思い出すのです。
案外、星新一のエッセイで読んだものであることを忘れて、自分のアイディアとして自慢話をしているかもしれないと肝を冷やしています。
の終盤で、父親から受け継いだ事業の負債に絡む苦労をほとんど家族に話さなかったことに関し「もっと家族に感情を出せばよかったのに」と、残念だった旨(と僕が記憶している内容)を記しているのに接し、これに違和感を覚え「これは、星新一が昔ながらのダンディズムを実践していたのではないか。」と思ったからです。僕には家族にも苦労を見せない星新一の姿勢 今はあまり語られない男らしさの一種 は、見習うべき、または共感出来る生き方でした。
ダンディズムと、物事捉え方の両方を合わせると、僕の精神の3割程度は、星新一によって形成されるのではないかと思います。
一方、全く記憶にないのもありました。
- 41. 意味の重圧
- 国境の長いトンネルを抜けると出口であった
(作家仲間は、言葉遊びに興じる傾向があり、おそらく平素言葉の意味の重圧に耐えているからであろうとの推測と、替え歌などで、風刺をするのは、やかましいばかりで迷惑だと言う感想。) - 42. 八月、その戦争と平和
- 八月二三日 白虎隊、飯盛山に散る
(今年(2013年)NHKの大河ドラマで会津を取り上げていますが、同じ福島県にルーツを持つ星新一が会津に対してどのような気持ちでいるのか知りたいと思っていました。ここに記述がありました。星新一らしく、直接的な批評はありませんが、ここで薩長軍の情け容赦無い敵愾心と、福島の女子の自刃を取り上げています。星新一自身の感想を差し挟まない分、逆に相当な無念があるように感じられました。) - 49. 男
- 男とは、独自な自我を持ったクールなものであるべき
(「男がたたぬ」「男の花道」などを体裁、虚栄、非理論性と指摘し、女性的であると批判して) - 64. 三十年目のベートーヴェン
- 少年時代に、レコードでクラシック音楽を熱中して聴いていた
(戦中の雰囲気描写が鮮明です。)
ここに挙げたものは、「星新一のエッセイで読んだ。」と記憶していないものの、職場の雑談などで話しているような気がします。
そして、今日思い出したのは、
- 37. ワンテンポのずれ
- 大々的に報道される社会問題が、じつは軽薄な問題提起であることを指摘しています。
昨日僕がmixiの日記で記した、論旨そのものでした。(デタラメな従軍慰安婦体験講演を真に受けて、日本軍はケシカランと怒りをあらわにする人たちについて記しました。時々、韓国人による陰謀説がささやかれ、いや、大声で怒鳴られていますが、僕は、そうでは無く、付和雷同に怒りの矛先を見つけて喜ぶ僕たちの心に応えているだけなのではないかと述べました。)
本書では、テレビ番組の低俗批判、大学改革、GNP増大の危機感(経済が成長しすぎて、人口問題や、食糧問題、エネルギー問題、公害など様々な弊害が発生する危機感)、成田空港の問題などを挙げています。
当時機動隊との衝突から死者まで出した運動であったにもかかわらず、今では誰も感心が無い大学改革。人口増加の問題は解決したから言われなくなって、少子化を問題にしていると理解すればよいのでしょうか。成田空港の負担を減らすことになる羽田空港の国際便開通、ハブ空港化構想に、当の千葉県知事が異を唱えています。
これは、いったい何ですか?当時怒っていた人たちは、今どうしているのでしょうか。結局のところ怒っていた人たちは、付和雷同に正義の鉄拳を振りかざしたい嗜好の持ち主で、正義が名乗れれば、何でも良かったのではないでしょうか。
と、あたかも、僕が自分の考えを述べているように記しましたが、本書で星新一が<私は事件に対してわっと反応し、付和雷同してさわぐことができない。><ワンテンポおくれて見ていると、世に口先ばかりの説が多すぎるのではないかという点である。>と記しています。
2013年 6月17日
No. 544
No. 544