受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 622 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? / 岩井俊二=原作 大根仁=著を読みました。

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photo : Daniel Yang May 5th, 2002 犬吠埼灯台 PENTAX ME
「打ち上げ花火は横から見たら丸いのか、平べったいのか?」
夏の花火大会の日、港町で暮らす典道は幼なじみと灯台に登って花火を横から見る約束をする。
その日の夕方、秘かに想いを寄せる同級生のなずなから突然「かけおち」に誘われる。
なずなが母親に連れ戻されて「かけおち」は失敗し、二人は離れ離れに。
彼女を取り戻すため、典道はもう一度同じ日をやり直すことを願うが  
繰り返す1日の果てしに起こる、恋の奇跡の物語。
   カバーの背表紙を転記  
2017年8月18日(金)より全国東宝系にて公開された新房昭之監督の劇場アニメーション映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

脚本「大根仁」によるノベライズです。

映画を観たあとに、このノベライズの文庫を買って読んでいました。
NHK BSで放送していたので、慌ててアップロードします。
映画の感想はロードショーを見た年に、サブ・ブログに記しています。
聖地めぐり=犬吠埼灯台に行ったときの写真もアップロードしています。
 
 
実写版の原作が”if ~ then”以外はリアリズムなのに対し、
本作=リメイク版のアニメ-ション作品は一貫してファンタジーです。
(花火がへんな形に打ち上がるのにはたまげました。)
 
映画を観れば、このファンタジーの世界観は充分理解/納得できます。
しかしながら、脚本家本人によるノベライズである本書を読んで、より理解が深まりまったように思います。
 
特に、階層構造になっているファンタジーの要素「もし、世界が~~だったとしたら」がわかりやすく、理解出来たように思います。
大根仁による「あとがき」も手助けになりました。
 
理解が深まったところで、あらためて当アニメ版のメッセージが、原作実写版と大きく異なることに思い至りました。
僕の理解に偏りすぎるかもしれませんが、
今、自分が生きている世界を、自分が選択した結果だ、と考えてみる。
と言う提案がなされているのだ、と思いました。
原作が、もともと夏休みのゴールデンタイムのドラマであり、家族みんなで観ることを前提にしていました。
感動の中心は「今度会えるのは二学期だね。」となずなが話すプールのシーンです。
視聴者は、実際には二人が別れ別れになり、二度と会えないことを知っており、切なく感じます。
 
一方、リメイクのアニメ版は、最初から劇場公開作品であり、
なずなや典道たちと同年代の中学生が、自分の意思で見に来ることを前提にしていると思います。
実際、僕が映画館で鑑賞したときも、周りは夏服の制服を着た中学生や高校生たちのグループばかりでした。
最後の海で泳ぐシーンでもセンチメンタルさはなく「次に会えるのは、どんな世界だろう。」と、期待を膨らませます。
これは、原作にはない基軸であり、アニメーション作品の特性を生かした視点だと思います。
 
なずなを邪険に扱う母親を「ひどいやつ。」「なずなが心配。」と思う僕の危惧は杞憂でした。
逆に、母親がよく口ずさんだ「瑠璃色の地球」を歌って「アイドルなんかどうかな?」と、駆け落ちを不安に思う典道を励まします。
瑠璃色の地球

瑠璃色の地球

 

松田聖子版は1986年のアルバム「SUPREME」のトリ曲。松田聖子妊娠中にレコーディングされた地球愛を歌った歌。久しぶりの松本隆作詞/プロデュース曲で「戦友に再会した気分」とどこかのインタビュー記事で読んだ記憶があるのですが、原典確認できずm(v_v)m

この曲は、松田聖子自身の歌唱に加え、合唱曲として編曲され全国の学校で歌われたのだそうな。たとえば1980年から2014年まで35年連続金賞受賞している合唱の強豪校福島県立安積女子高等学校合唱部の動画など


安積黎明高校合唱部「祈りの夕べ」東日本大震災復興祈念コンサート

ここから、類推して、なずなの母親は、アイドルとしての松田聖子の曲として「瑠璃色の地球」を口ずさんでいたのではなく、学校でみんなで歌った思い出の曲として口ずさんでたのではないか、と思うのでした。

映画の中ではなずなを演じる広瀬すずが歌っています。サントラに収録されています。

瑠璃色の地球

瑠璃色の地球

 
 
同情されるような状況で、同情されることに満足するのではなく、
「この世界は自分が選んだ世界だ。」
と考える、逞しさ、力強さが感じられました。
僕もなんだか、生きる勇気がわいてきたように思います。
2018年 8月27日
No. 622