受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 479 凍りのくじら/ 辻村深月 著 を読みました。

凍りのくじら (講談社文庫)

凍りのくじら (講談社文庫)

 
第31回メフィスト賞を受賞してデビューした辻村深月の第3作。
デビュー作「冷たい校舎の時は止まる」
が高校生の、
第二作「子どもたちは夜と遊ぶ」
子どもたちは夜と遊ぶ (上) (講談社文庫)

子どもたちは夜と遊ぶ (上) (講談社文庫)

 
が大学生の学校生活とプライベートを描き、
本作「凍りのくじら」では、新進女流写真家「芦沢理帆子」の高校時代を描いています。

大人になってゆく子供の外面と内面の葛藤を描く著者の持ち味はそのままですが、前作までが謎解きに重点を置いていたのに対して、本作では理帆子が事件を通して精神的に成長していく様子に重点が置かれているように感じました。つまり、僕は「普通のジョブナイル小説」として本作を読んでいたのですが……、

理帆子を応援する友人の目線と、彼女の成長を願う大人の目線の両方を経験出来ました。
人との接し方で悩む理帆子の目線を通した物語は、あたかも自分が今、高校生として生活していると錯覚させるほどのリアリティーが感じられるのに、彼女が自ら危険に接して事件に巻きこまれてゆく様子に接すると、彼女を心配する自分が大人として見守る目線に立っている事に気づきました。例えば、まるで一度子育てを経験した上で、再び高校生に戻って友人の理帆子に接しているような不思議な感覚でした。
これは、小説家として既に老成の域に達した著者が緻密な構成と客観性を駆使しながら、実際にはまだデビューしたての若さをも発揮しているからなのだと僕は思います。いったい、どんな人生を送ったら二十五歳でこんな小説が書けるのか、これも不思議でなりません。
 
物語は、高校生の時に見た『暗い海の底や、遥か空の彼方の宇宙を照らす』光を写真として再現する=芸術家としての写真家理帆子の経験です。
彼女は、この経験を元に写真家としての感覚を身につけます。僕は「芸術としての写真を文章で表現したらこうなるのだなぁ。」と関心したのですが「そんな危険を冒してまで、わざわざ経験する必要は無いよ」と事件に巻きこまれてゆく彼女を心配しつつ、他の女性の相談を持ちかける先輩=別所あきらとの恋愛がどうにか、うまく行くように。と応援しながら読みました。絵画や音楽とは異なり、芸術と社会性を併せ持つ写真の、芸術としての意味も納得出来た作品でした。
 
以上は、楊耽のペンネームでオンライン書店ビーケーワン(現"honto")

honto.jp

に投稿した書評と、ソーシャル・ネットワーキング サービス[mixi(ミクシィ)]
に投稿したものを合体させたものです。
amazonには、前作子どもたちは夜と遊ぶ(上)の感想が、著者の術中にはまりすぎて恥ずかしかったので、感想を書いておりません。

2007年8月13日
No.479
文庫が出たので買いました。上記感想で、僕は本書のキーになっているドラえもんについて全く触れていませんが、文庫の瀬名秀明による詳しく親切な解説を読むと、その意義と、この小説の価値が身にしみます。また「ドラえもん」がおそらくイギリスのマザーグース、米国のトムソーヤの冒険に相当する、日本人の共通了解であることにも気付きます。「あぁ、どこでもドアがあったらな。」と言って「『どこでもドア』とは何ですか?」と聞かれることはまず無いような気がします。
2008年12月17日

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