受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 616 水底フェスタ/辻村深月 著 を読みました。

水底フェスタ (文春文庫)

水底フェスタ (文春文庫)

 

村が舞台のミステリー

毎年ロックフェスティバルが開かれる、山の中の村=睦ッ代村[むつしろむら]が舞台のミステリー。
村長の息子で高校生の湧谷広海[わきや・ひろみ]が主人公。
高二の夏休み。村民割り当ての格安チケットで野外ステージを観ている場面から物語は始まります。
広海は同じステージを観ていた織場由貴美[おりば・ゆきみ]に気がつきます。

ミステリーって面白い。

普段ミステリーを好まない(人が死なないリアリティー小説が好きな)僕の感想です。
なるほど、ミステリーは小説の大きなジャンルを作る一つのカテゴリーであるわけだよ。と思いました。
ミステリーとしては、文庫解説で千街晶之[せんがい・あきゆき]が指摘しているとおり、閉塞感のある村社会で秘密に巻き込まれるたぐいです。僕も読みながらだいぶ怖い思いをしました。
僕は近世まで人が住まなかった農業に不適な台地の上の新興住宅地、しかもピーク時は住人が一万人を超えた大規模集合住宅で育ちました。
同じ小学校に通う子供は皆、他から引っ越してきた勤め人の家の子。村社会の感覚はほとんど理解出来ません。
中学校に上がると、戦中/戦後の地域性(陸軍、米軍基地周辺で、兵隊相手のお店の子供など)も加わって、ある程度の地域性があるのですが、流動性があり、閉塞性はほとんどありません。
サラリーマン生活も長くなり、地元採用の人たちの中では仕事の出来不出来とは別のヒエラルキーがあるような気配を感じたりして、ようやく地域の社会の難しさも、少し解ってきたように思います。
だから、会社は将来が期待できる人を、全く違う事業所に転勤させたりして、狭い社会で満足させないようにするのだろうな、と最近気がつきました。
小説のレビューから逸脱しました。

臨場感のあるフェス会場の描写

本書は、ミステリーの要素以外に、冒頭から描かれる現代のポピュラーミュージックの熱心な愛好家(聴衆側)の楽しみ方がふんだんに描かれているのが特徴です。
「私もカラオケが歌えるから音楽が分かる。」
と主張する人とは違うんだよな。でも、詩に節が付いたものが音楽だと思っている人には説明しても解らないよな。と不満を持つ程度に熱心な現代のポピュラーミュージック愛好家。
年を取ってもヒットチャートに追従するような柔軟性を持った本当の音楽好きが描かれます。
僕は普段CDやダウンロードした音源のみ(+ときどきYouTubeのミュージックビデオを見る)だけで満足しています。
「なるほど、フェスとはそういうものか。」
と未知の世界を垣間見たように思いました。
実際にライブに出向く楽しみは、かようなものか、と。

のぼせるような恋愛感情

また、のぼせるような恋愛感情が描かれているのも印象的でした。
特に主人公=広海が由貴美に対して感じる愛欲のありようが生々しく、自分の記憶を呼び起こされるようにリアリティーがありました。
肉体的な欲望と、相手に感じる愛情が一緒になって押し寄せる状態は、僕自身は個別にしか、経験しなかった(笑)ものです。
こういう状態になると、周囲からどう見られようと(客観的には織場由貴美が策略を持って湧谷広海を篭絡しているのだとしても)広海としては、前のめりにはまり込むことも本望であろう、と、まるで自分が広海の恋愛を追体験しているような錯覚を起こしながらこの小説を読み進みました。

小人閑居して不善を為す

メインストーリーではないのですが、日馬達哉に関しては、考えることが多かったです。信用が大切だと思いました。
何か良いことをしよう、と日頃の行いを改めて思い立ったとしても、信用が無いと警戒され誰も協力してくれず何もなすことはできない、と言うことです。
「小人閑居して不善を為す。」
という格言も、もしかしたら本人は良いことをしようとしたのだが、平素の周囲の不審からうまくいかず「また、変なことをして。」と失敗を普段通りの行い=不善として受け止められた結果なのかも。と思いました。

文庫はミステリ評論家の千街晶之の解説付き。

往年の名著を引き合いに出し、本書の特異性を解説しつつ、おまけにエンディングで安心した読者の恐怖をあおって終わるというおまけ付き。
たとえば、このような丁寧な仕事が信用を作るのだよな、と思いました。
解説者を登場人物(悪役)と比較して感想を述べる僕のレビューとしての信用はどうなのかと疑問に思ったところで僕のレビューは終わります。
それにしても、辻村深月の本はどれを読んでも面白い。
2018年 7月12日
No.616