受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 315 純喫茶/ 姫野カオルコ 著 を読みました。

最初に単行本を読みました。
特急こだま東海道線を走る
 
昨年出版された「サイケ」集英社2000/06/30)
サイケ (集英社文庫)

サイケ (集英社文庫)

 
に続く、姫野カオルコの最新作。「サイケ」が主に激動の一九七十年代前半を小学生の視点で綴った作品であるのに対し、本作は、さらに遡って六十年代前半を未就学児童の視線で追います。

 

読み応えのある五つの中編で構成されたこの一冊は、全て「サイケ」で成功した(と僕が悦に入っている=僕のお気に入りである)「少年ジャンプがぼくをだめにした」に用いられている手法  現代を生きる主人公が記憶を掘り起こす手法  で描かれています。しかし「少年ジャンプがぼくをだめにした」のようなアヴァンガルドなテイストが香るインパクトはありません。そのぶん主人公たちの幼い記憶や意志、振る舞いが注意深く描写されていて、読者である僕に伝わりやすいように感じました。本の帯に記されているように「子供だからこそ大人の何倍も人生の歓びや哀しみを知っていた  。」そして、大人の声色や表情に敏感だった幼児の記憶は、大人に対して無力なのですけれども、無力なりに真っ向から対峙し、時には成功し、時には挫折し、そして成長し、今の自分につながってゆきます。

 

当時の世相をふんだんに盛り込んだこの一冊は、感慨に浸るには格好の一冊で、それは、それで大きな魅力なのですが、感慨や感傷に留まらない(ましてや、年少者に向けた説教ではない)この物語の価値は、記憶を掘り起こした後の主人公の姿にあると思います。以下ネタバレつつ、僕の読書を披露させて頂きますと、
第一話「夏休み 九月になれば」では、哲子の崖の思い出と、尾上との途切れた関係が物語の最後でつながります。この関係が修復されるのか、されないのかは不明なのですが、着実に前に進もうとする哲子の姿に好感が持てます。
第二話「高柳さん」では、自分の家庭と異なる環境、価値観への「羨望」でも「否定」でもない「寛容」を持つに至った佐紀。彼女が失った時間への感慨を述べるラストは  僕の解釈が過ぎるかも知れませんが  自分が育った家庭環境との和解とも読めます。それは、結局のところ、自分との和解でもあり、和解への長い道程への感慨ではないでしょうか。
第三話「みずうみのほとり」では、最後にさの屋の主人の言葉にうなずく高橋。うなずかせる、さの屋の主人は、アンチ・ヒーローとの対照的な描き方で読者に解りやすく示されています。この解りやすさが、第二話と対照的で、脂分を持ちながら、他者と関わり合う高橋を色づかせているように感じられました。
第四話「永遠の処女」では、取り立てて用事のない電話を掛ける田代がナイスガイ(死語?)なのですが、ナイスガイな彼は、正親(おおぎ)の故郷との対比で、自分の過去と和解した、その後に続く道のりに登場する新たな道程を示す象徴に感じられました。
第五話、表題作の「特急こだま東海道線を走る」では、赤川の幸福を祈る主人公の態度が、時代や社会制度を問わない、人間に不変な愛のあり方を示しているようにも思えました。
どれも、記憶を掘り返した後の主人公と、彼女に接する人のレスポンスに心が洗われるような思いがします。そして、今、現在を生きている僕が、明日会う人、これから出会う人に接して優しくなれるよう、励ましてくれているように思えました。

2001年11月5日
No.315

文庫が発売されたので買いました。表紙は、リンクしている「木版生活」のエシホリシスリシつるさんの版画。本屋さんで平積みになっている本書を見下ろすと、僕を見上げた子供が「ちがうもん」と打ち震えて訴えています。

2005年 2月24日

PHP文芸文庫から改題、再構成して刊行されたので、買って読みました。
純喫茶 (PHP文芸文庫)

純喫茶 (PHP文芸文庫)

 
単行本刊行時の表題作「特急こだま東海道線を走る」が冒頭に、「夏休み/九月になれば」がラストに配置され巻末に「PHP文芸文庫『純喫茶』のためのあとがき」が寄稿されています。
あとがきに記されている電子出版版「ちがうもん」はamazonでも買うことができます。
ちがうもん

ちがうもん

 
以下は、amazonに投稿したレビューです。
家族にするなら、こんなお話ができる人が良いな。
と思える語り口調が心地よい短編集です。

 

主人公は小学校低学年か、未就学児童。
子供のころに、接した人についてのお話です。

 

往々にして、噂話は後ろ暗く、時には嫌みで不快さを周囲にまき散らすものになりますが、
この短編集には、いやな感じ一切ありません。
それどころか、
「あぁ、人の噂話ってこうすれば、気持ちの良いお話になるのだな。」
と思いました。

 

特に第一話
「特急こだま東海道線を走る」
に感じるところが多かったです。
おもちゃのこだま(日本初の特急電車151系)をわがままを言って買ってもらったワケを話す相手の赤川さん。
赤川さんに向ける主人公の(長じてから思い出しての)感慨に心が打たれました。

 

彼の生活が幸せであることを願う主人公の姿勢が、僕の心を暖かくしました。
家族には、こういう人が欲しいです。
愚痴や悪口を聞かされるだけの一方的な会話を会話だと思っている人が家族だと疲れます。
家族には
「赤沢さんが、奥さんとそれは楽しく語らいながらこだまに乗った日があって欲しい。」
と幸せを祈る人が欲しいです。

2016年11月 3日