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受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 589 憤死/綿矢りさ著 を読みました。

憤死 (河出文庫)

憤死 (河出文庫)

 
自殺未遂をしたと噂される、小中学校時代の女友達。興味本位で病室を訪れた私は、彼女が自宅のバルコニーから飛び降りた驚きの真相を聞く……表題作のほか、「おとな」「トイレの懺悔室」「人生ゲーム」を収めた、綿矢りさによる世にも奇妙な物語。”ほとんど私の理想そのものの「怖い話」なのである。”(解説より)
◎解説=森見登美彦
  背表紙を転記  

サイコホラー短編集です。

おとな  毎日新聞毎月第1木曜日に新進、有名作家による書き下ろし掌編を連載している「掌の物語」欄掲載の「夢」を改題  
前書きと勘違いして読みました。
「ねえ、おぼえていますよ。」と語りかける下りは迫力がありました。
トイレの懺悔室  サイコホラー。  
森見登美彦による文庫解説の通り、男子小学生の夏休みの思い出から導入され「ジョブナイル小説かな?」と油断していると、ホラーが迫ってくる、効果的な構成です。やられました。
憤死  笑っちゃいけないのでしょうが、愉快な短編です。  
斜に構えた関係の友達だけしかいないと、人生は、さぞかし殺伐としたものになるように思います。この二人の関係は、太宰治が「人間失格
斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)

斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)

 
人間失格

人間失格

 
で指摘した「お互いに、相手を内心軽蔑しながら、表面的には仲が良いふりをする」荒んだ関係です。
友達として、どのような関係を結ぶか、はそれぞれの勝手だと思いますが。
人生ゲーム  「リアル人生ゲーム」とでも言うべき、男の一生  
「この世には客として参った。」とは、伊達政宗の遺訓だそうですが、この男の人生は「この世には、人生ゲームをやりに参った。」と言うところでしょうか。
誰かに「ゲームスタート」とさいころを振られて、この世に生を受けたのだ、と考えれば、日々の食事に「うまい」だの「まずい」だの言うことに意味などないし、ましてや、人生の意味など考えるだけ無駄。早い、遅いも関係ないし。
哲学的な読後感がありました。
ちなみに、僕が「憤死」として思い起こすのは、三国志の劉諶(りゅう・しん、~263、蜀漢の皇族)です。三国志の主人公である劉備玄徳(りゅう・び・げんとく、161 ~ 223)の孫。二代皇帝劉禅阿斗(りゅう・ぜん・あと、207 ~ 271)の五男。です。
蜀漢滅亡の日。成都に迫る魏軍を前に、降伏を決めた劉禅。劉諶進み出て曰く「はなはだ理にあらざるなり。姜維が剣閣に在る。魏兵が迫ったことを知れば必ず救援に来よう。内外から挟撃し、勝利間違いなし。」三国志通俗演義の蜀後主輿?出降から抜粋して意訳)
漢晋春秋では
「もし敗れたとしても、城を背にして一戦した後、先帝(劉備)にまみえるべし。」
と進言する。
しかし、皇帝劉禅は受け入れず。また他の家臣にも「一緒に死ぬ。」
と言うものもおらず。諦め宮廷を退出した。
亡き先帝=劉備の廟に家族を伴って赴き、先ず妻子を殺し、続いて自らも命を絶った。
と言うことです。
これが、憤死。
吉川英治三国志(八巻。篇外余録「後蜀三十年」)
三国志(8)(吉川英治歴史時代文庫 40)

三国志(8)(吉川英治歴史時代文庫 40)

 
でも、だいたいこの通りの記述で「自殺した」と記しているだけですし、横山光輝三国志(潮漫画文庫30巻秋風五丈原「劉諶憤死」)
三国志 第30巻

三国志 第30巻

 
でも剣を喉に突き刺して死にます。
が、西晋演義では、夫(劉諶)に先立って催夫人が廟の柱に頭を打ち付けて自殺し、子供は床に頭を叩きつけて、と猛烈な憤死の場面を描いています。(たしか、横山光輝の漫画でもそういう憤死があったと思うのですが、確認できず(T_T)/)
「憤死ってすごいなぁ。」
と強烈な印象を受けました。

2016年 3月13日
No.589