受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 499 星新一 一〇〇一話をつくった人/最相葉月著 を読みました。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一 一〇〇一話をつくった人

 
文庫は上下二巻に分かれているようです。
星新一〈上〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)

星新一〈上〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)

 
星新一〈下〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)

星新一〈下〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)

 
1万点以上の遺品と関係者134人への徹底取材によって作家星新一(1926/9/6 ~ 1997/12/30)の知られざる実像に迫る伝記。
序章 帽子
冒頭は高輪のマンションを訪ねて、晩年の星新一の様子から。僕が読書感想文のホームページ「受動態」を公開した二ヶ月後に他界した星新一の晩年の様子です。遺品として残された帽子とそれに縫いつけてあったという鍵をキーワードに筆を起こしています。
第一章 パッカードと骸骨
両親の結婚までの略歴、長子、親一の誕生から、日中戦争開戦翌年の1938年、親一;十二歳まで。
時代背景や、父親である「一」の人柄、少年「親一」の個性が理解できたような気がします。
第二章 溶けた鉄 澄んだ空
1939年、親一;十二歳。東京高等師範附属中学校入学から、東京高等学校の二年間を経て、東京帝国大学農学部農芸化学科入学、終戦を迎えた十八歳、1945年まで。
日本が敗戦する戦争を遂行するなか、国会議員だった父親、帝大理系学生の立場での親一の経験や客観性が、同じ東高の十九回生である後の読売新聞社社長渡邉恒雄(1926/5/30~)のエピソードとの対比で際だって感じられました。
第三章 解放の時代
終戦から、1949年まで。学生時代を彩る四年間。
親一の青春期として興味深い章でした。太宰治(1909/6/19 ~ 1948/6/13)の影響は、僕も  星新一のファンならみんな誰でもそうだと思いますが  ここで紹介されている「悪魔のいる天国」新潮文庫1975/7/25)
悪魔のいる天国 (新潮文庫)

悪魔のいる天国 (新潮文庫)

 
青木雨彦の解説や、「ショートショートの広場2」講談社文庫1989/2/15)
ショートショートの広場(2) (講談社文庫)
 
に収録されている星新一の1983年度選評を読んで知っています。でも、この章で紹介されている背景  親一の経験を読むと、星新一への理解が深まり、より親密に感じられました。
第四章 空白の六年間
1949年12月、異母兄の出澤三太(俳人、1917/12/25 ~ 1985/5/17)が星製薬取締役を退任し、入れ替わるように親一が大学院生でありながら取締役営業部長に就任した二十三歳(!)。1951年1月、父=星一の逝去に伴い、社長に就任した二十四歳。1952年6月、社長職を大谷米太郎(実業家、1881/7/24 ~ 1968/5/19)に譲った二十五歳。副社長でありながら、閑職に甘んじ財産を減らしていった期間を描いています。章題の「空白の六年間」とは宇宙塵の同人として作家活動を始める前までの六年です。
僕が星親一の立場だったら、確実に家族を捨てて夜逃げをしているか、家族を伴って夜逃げをしているか、又は、一人現実逃避をしていたことだろうと思います。こんな状況に置かれていたことを知って唖然としました。ホテルニューオータニで有名な大谷米太郎でさえも、結局は縮小策しかとれなかった星製薬を背負わされるのは辛かっただろうな。と感じます。章中に日本のSFを立ち上げた矢野徹(1923/10/5 ~ 2004/10/13)のエピソードが挿入されているのが僕にとっては救いでした。
第五章 円盤と宝石
柴野拓美(小隅黎、1926/10/27~)が後の同人誌「宇宙塵」を立ち上げるべく矢野徹を訪ねた1956年秋。宇宙塵第二号に星新一の「セキストラ」が掲載された1957年6月三十歳。星製薬の取締役辞任を決めた7月。「セキストラ」が江戸川乱歩(1894/10/21 ~ 1965/7/28)に認められ、「宝石」に掲載された9月まで。
つまり、星親一の転機です。受動的だった会社の整理から主体的に取り組むSF界の立ち上げと、自らの作家としての出発点が、星新一本人の清々しさを味わうように読めました。
第六章 ボッコちゃん
「セキストラ」が転載された「宝石」が発売されての反響(三十一歳)から、その後の千作以上のスタイルの原型となる「ボッコちゃん」が「宇宙塵」第九号から「宝石」1958年5月号に転載された三十二歳。初の単行本となる新潮社の「少国民の科学」シリーズ第八巻『生命のふしぎ』が刊行された1959年九月三十三歳。この年末に早川書房から「SFマガジン」が創刊されます。
星親一がプロの作家として歩み始めるその、心境も見事でしたが、日本でSFを立ち上げるべく、前章での同人誌「宇宙塵」の創刊、採算を取ることを要求される商業雑誌「SFマガジン」の創刊に掛けた人たちの「自分たちで新しいものを作る」その情熱が鮮やかに感じられる章でした。
僕にとって星新一の作品は、SFではなく「面白いショートショートファンタジー」だったので、星新一のエッセイから覗えるSF作家たちとの交流が意外に感じられていました。この章を読んで、ようやく、日本にSFと言う文学のジャンルを切り開くために情熱を注いだ人たちが、戦後十数年の日本に居たこと、またその生まれて間もないSFの書き手として星新一がおり、つまりは、星新一の作家としてのスタートは、日本のSF文学としてのスタートと同義だった。と言うことが理解できました。
第七章 バイロン卿の夢
1960年5月、三十三歳。生涯の伴侶となる夫人とのお見合いから、結婚と相次ぐ単行本の発行で外面的には華やかな1961年、三十五歳まで。
結婚に加えて、真鍋博(1932/7/3 ~ 2000/10/31)との出会い、マスコミからの注目など、読者が憧れる「作家」らしい星新一が身近に感じられて嬉しく思いました。また、ようやく立ち上がったSFの旗手としての役割を演じている様子も、誇らしく感じられました。
第八章 思索販売業
少し遡って第一回SFマガジンが空想科学小説コンテストを公募する1960年、眉村卓(1934/10/20~)登場。そして、大阪で筒井康隆(1934/9/24~)一家が主催するSF同人誌「NULL」創刊。1962年、第一回日本SF大会開催。手塚治虫(1928/11/3 ~ 1989/2/9)石森章太郎(1938/1/25 ~ 1998/1/28)も出席。1963年、日本SF作家クラブ発足準備会に小松左京(1931/1/28~)登場。
ついに立ち上がったSF文学。アマチュアの同人誌「宇宙塵」とプロの「SFマガジン」。この対立と、本格的SFと変格SFの議論も、当初からあったことが興味深いです。僕も(と言うのもおこがましいのですが)このウェブサイトで一応分類するために「SF」ってなんぞやと考えたことがありました。同じ事が日本でSFが立ち上がった時にもあったのですね。僕は、このウェブサイトでは、本書で言う本格SFを「SF」と定義し、他は「ファンタジー」と言う事にしています。星新一が実際に考える文学としてのSFについては、次章で詳しく紹介されます。
第九章 あのころの未来
1965年、江戸川乱歩没。星新一、三十九歳。ブームの去った推理小説とは裏腹に、SF界は活況を呈す。星新一はPR誌に作品発表の場を広げ、ショートショートを確立していく。1968年、PR誌「放送朝日」が梅棹忠夫(1920/6/13~)「情報産業論」を掲載。1970年大阪万博ではSF界の面々も大活躍。
「人民は弱し 官吏は強し」が別冊文藝春秋1966年3月号に掲載され、翌年文藝春秋から単行本が出版された前後の経緯にいろいろ思うところが多かったです。特に純文学論にまつわる取材では、四十年経った今では、妥当と思える星新一の当時の発言から、渦中にあっても客観性を見失わないと言う特性に僕とは違う能力を感じました。
第十章 頭の大きなロボット
初の文庫本「ボッコちゃん」新潮文庫1971/05/25)
ボッコちゃん (新潮文庫)

ボッコちゃん (新潮文庫)

 
が出版された四十四歳ころから、千作達成を意識し始めた1978年五十二歳ころまで。
ますます活況を呈すSF界において、安部公房(1924/3/7 ~ 1993/1/22)と双頭と見なされ、又は、小松左京筒井康隆とSFの御三家と見なされていた星新一。SFの領域が広がるにつれ、他のメンバーが続々賞を獲得し名誉を築いていく。ところが人気の上昇とは対照的に、星新一の、そのオンリーワンであるところは高く評価されない事が顕著になった時期である、と認識しました。でも、この星新一の状態が、僕の最近までの星新一像です。本書のあとがきで著者が記している「取材を始める前の星新一に対する認識」は、僕も同じだと感じました。例えば、名声を背景に政治に進出したり、マスコミでの発言権を求めるような人には感じられないし、他の同業者に対する影響力を求めたり行使しようとする人とは感じられません。
この本の感想からは脱線しますが、僕は小説や音楽などの著作物については「著作者が作品として意図して発表した著作物が全てだ」と言うスタンスをとっています。作家の私生活には興味がありません。例えば、独身のファンを沢山獲得している作家が、金目当てに醜男と結婚して沢山子供を儲けていても、僕は構いません。自然志向の作家が、美容整形に金を掛け、添加物たっぷりの食事を好み、燃費の宜しくない車で高速道路をぶっ飛ばすのが趣味だとしても(健康には気をつけて、楽しい作品を末永く書き続けて欲しいとは思うし、ガソリンが勿体ないと思うけれど)文句を言うものではありません。でも、星新一の作品を読んでいると、威張ったりする人では無いし、虚栄心をもつ人でもなく、良心と常識を持った、つまり、良識のある人だと言う印象を持ち、安心して読める作品だと言う印象があります。
しかし、プロの作家本人にとっては、これも葛藤となっている事を知りました。

この章では、この星新一が千一編を目指す目標を(自分の中で)掲げた経緯も推測しています。一つは、ファンとの関係であり、僕も見習わなくてはな。と、(例えばテレビを見ている視聴者の立場とは違う)ファンとしての姿勢を教えられたように感じます。
第十一章 カウントダウン一〇〇一編
1978年。五十二歳。講談社の「推理・SFフェア ショートショート・コンクール」の選考を努め、後進の育成にも注力しつつ、1983年、五十七歳。ついに千一編めを発表するまで。
このように年代順に読んでいくと、僕が星新一の作品を読み始めた1984年ころと言うのは、既に千一編目を発表した後だったのだな。と気づき、少々残念ですが、だから、星新一作品を読み始めて早いうちに  おそらく僕が星新一の精神として一番勉強になった  「サービス精神」を教わることが出来たのだ、と気づいたのですが、それに加えて「え?」と思うのは、高校生の僕が楽しく何十冊もの文庫を読み漁った当時でさえ、執筆から二十年近く経っていたのだ。と言うことです。この感慨については、星新一自身の工夫が次章で語られますので、今は、ここまでにします。
第十二章 東京に原爆を!
千一編達成後の星新一です。
仕事を離れ、家族と過ごす様子とともに、なお現役であり続けた様子、また千一編の作品の改訂作業などが綴られています。プライベートの面ではタモリ(1945/8/22~)に取材したエピソードが感動的です。タモリの見識の広さの秘密を覗いたような気がします。同じように、TVのバラエティー番組で活躍する他の司会者とは明らかに違う、彼のプライベートでの交友関係です。本職については、SFの領域を広げ活躍する筒井康隆との関係です。これには、到底真似の出来ない強い信頼関係に羨望を感じました。
この章では、本書で二カ所しかない著者の意見が書かれています。母精との関係です。もう一つは、第九章の「人民は弱し 官吏は強し」
人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)

人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)

 
に対する意見。どちらも「こうあれば良かったのに。」と言う残念さの表明であり、僕は「そうだよね。」と思い、同時に「それが、星新一の特性であり、運命だったんだよね。」と、うなずきました。
終章
千一編を書き終えてから家族と過ごす安らぎを取材して。
帽子に縫いつけられていた鍵は、このような安らぎと、作品にあった。そして、僕たちはいつでもこれらの作品に逢うことが出来る。と実感しました。
この伝記では、上記のとおり、僕が読者になる以前のSF界を開拓した作家としての星新一を知ることが出来ました。また、希有な作家としての星新一の背景と交友関係を含む生活。つまり実像でした。作品から感じる星新一の印象は、取り立てて偉人として感じられる事は無いのですが、もう新作を読むことが出来ないと思うと、二度と現れない人であることが思われました。

2008年5月24日
No.499