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受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 582 小僧の神様・城の崎にて/志賀直哉著 を読みました。

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

 
かつて新潮文庫では、志賀直哉の短編集を三冊揃えていました。
清兵衛と瓢箪・網走まで(1968/ 9/15)
清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)

清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)

 
第一期として区別される1910年から1914年に発表された作品に、デビュー以前に執筆した二作品加えた短編集。僕が教科書で読んだ「正義派」「清兵衛と瓢箪」「范の犯罪」を収録しています。
小僧の神様・城の崎にて(1968/ 7/30)
絶筆期間を挟んで、夏目漱石(1867 ~ 1916)に捧げた「佐々木の場合」(黒潮1917/ 6)で沈黙を破った1917年から1926年発表の第二期。「城の崎にて」が記憶になかったので、今回読み直しました。「小僧の神様」も有名ですね。
灰色の月・万歴赤絵(1968/ 9)
灰色の月/万暦赤絵 (新潮文庫 し 1-6)

灰色の月/万暦赤絵 (新潮文庫 し 1-6)

 
1928年から1963年に発表された後期の短編。現在は、絶版になっているようです。
今回読んだのは、第二期の作品集です。収録されている十八編は、ファンタジー、時代ものを含む創作と「ある日のでき事」と言うべき起承転結がない日常描写の作品が混在しています。
小僧の神様」を読むためにこの本を買った場合「小僧の神様」風味の創作が他になくてがっかりするかもしれません。時代ものの「赤西蠣太」以外は、今で言えば、ブログに記されている日記風味の自然主義作品が多いです。
これらの作品も、商業誌に載り、何回も本にまとめられ、売られた作品です。かつて有った(現在は、好んで素人のブログを読む人の需要になっていると思われる)気楽に読める、人の日常を綴った作品です。
そうと心得て読むと、自然主義作品も、また楽し。
志賀直哉は「小説の神様」と言われているそうですが、だからといって「読んだら、目の前に新しい世界が広がった。」と言うようなご利益は期待できません。素人が書くブログを好んで読むような人が「おぉ、プロが書くと違うな。」と喜ぶような小説です。
志賀直哉自然主義作品は、現在ではブログとして需要のある読み物と心得ましょう。
 
前が長くなりましたが、それでは、各短編について感想を述べます。
佐々木の場合黒潮1917/ 6)
佐々木がなぜ未だに独身か、を説明した短編。事情がわかるエピソードを紹介した後、現在の彼に掛けるべき言葉と、その言葉を実際には彼に言えない状況を説明する最後の一段落に思うところが多かったです。人に接して丁寧な態度とは、このような態度なのだ。と感じました。
城の崎にて(白樺1917/ 5)
怪我の療養で訪れた城崎温泉[きのさきおんせん]での逗留記。怪我とは、山手線の電車に跳ねられた怪我。現代では、電車に跳ねられて生きている事自体が信じられないですが、大怪我だったことはたしかなようです。
一つ間違えば、青山の土の下に仰向けになって寝ているところだったなどと思う。
と記しています。青山の土の下とは、青山霊園のことなのだろうと思います。
この短編は、九死に一生を得た作者が、生き延びた事の奇跡から啓示を受けて読者に説教をするのではありません。作中で、一匹の蜂、鼠、トカゲの死を順に見ながら、生き物は必ず死ぬと理解するに留まっているように思います。鼠のように、死ぬ間際まで必死に生き延びようと足掻くことは苦しい事だろうな、と思うのですが、その思いを、生きることへの執着に結びつけません。また、生きている事への感謝しなければ済まぬような気もするのですが、それで実際生きている喜びを感じるわけでもありません。
生きる事も死ぬ事も、運命として受け入れて、穏やかに生きていきたい。と希望を述べているように思います。
生きていれば、苦労があります。程度の差はあれども、生きている人に共通の感想なのではないか、と僕は思う。何の苦労もなく、泣くだけの事で、周囲に面倒を見られ生かされる赤ん坊を時々羨ましいとも思います。
この短編は、生きることの苦労を感じる人へ、たたみかけて「限られた人生を精一杯努力して生きろ。」と言うたぐいの圧力がストレスになっていることを前提に、肩に力を入れずに生きていても良いのだ。と語りかけているように感じました。
好人物の夫婦(新潮1917/ 8)
新婚当初に、「一生浮気はしない自信はない」旨新妻に申し渡している男が、一人旅に出る、と妻に言った。
「浮気するかもしれないからイヤ。」と言う妻の申し出に一人旅を断念した男。次は、雇っている若いメイドがどうやら妊娠したらしい。と言う物語。
十年ほど前に、破綻した夫婦関係に至って、なお離婚しない日本特有(なのかどうかは、他の国の事情を知らないので確からしくは言えないのだが)の婚姻事情がTVドラマなどになって、議論があったように記憶しています。この夫婦の場合は、お互いに気を遣いあう愛情関係が維持された夫婦関係で、なおかつ、時々夫の浮気が疑われるケースです。一種ののろけですね。
赤西蠣太(新小説1917/ 9)
江戸初期の伊達騒動(寛文事件。1671)に取材した時代小説。仙台藩の実権を握っていた支藩(一関藩)藩主伊達兵部大輔宗勝伊達政宗の十男。1621 ~ 1679)が住む仙台藩の江戸藩邸(現港区南麻布の仙台坂付近)赤西蠣太の偽名で潜り込んだ男の物語。支藩による支配を快く思わない、仙台藩代々の重臣片倉景長(仙台藩伊達氏国家老。白石城主。1630 ~ 1681)から送り込まれたもう一人密偵とともに、伊達兵部と、その太鼓持ちである原田甲斐原田宗輔。1619~1671)の専横を上訴するための証拠を集めます。
物語は、赤西蠣太が密命を終えた後、伊達兵部の元を遁走するために画策したカモフラージュから起こった騒動です。同じ仙台藩邸に勤める美しい腰元に醜男である赤西蠣太が分不相応なラブレターを出して、逢えなく振られ、恥ずかしさに耐えられず遁走する。と言うカモフラージュ策を考えたのですが。
大変面白く読みました。赤西蠣太は同僚の若侍から軽く見られて、使い走りなどさせられています。しかし読み進むと、それがカモフラージュであり、実は大変優秀なスパイであることがわかります。醜男であるのはカモフラージュではないでしょうから、美女の腰元を遁走に利用と画策しましたが、その腰元は、蠣太が実は優秀な侍であることを見抜いていました。ラブレターを腰元に渡さず、敢えて廊下に落とした体にして、恥を掻くつもりが、落としたラブレターを誰よりも先に腰元に発見され「そう言う思いならば、」と思いを受け止めるつもりになった腰元でした。
誰もが恋人にしたいと願う美女が、男の外見ではなく本質を見抜いていると言うのが憎いじゃありませんか。物語は最後まで記されませんが、読み終えた僕は、実名に戻った蠣太が腰元と幸せになった事を祈って読書を終えました。
十一月三日午後の事(新潮1919/ 1)
我孫子に住んでいた時の作品。訪ねてきた従弟と散歩がてらカモを買いに行く途中に陸軍の演習(歩兵の行軍)と遭遇した様子を描写しています。
シベリア出兵中の演習で、歩兵は厚い外套を脱ぐ事も許されず、熱中症で倒れる者も多く見かけられました。
一方、買った鴨は抵抗無く、農家の男に首をひねられようとしました。主人公は、農夫を押しとどめて鴨を生きたまま持ち帰り、自宅付近で鴨を放してやりました。しかし、鴨はうまく飛び立てず、田んぼに放しても泳ぐ事もできません。主人公の帰宅を知って表に出てきた妻に見つかり、結局鴨は食料にされてしまいました。
淡々とした描写ですが、陸軍の兵たちを、まるで家畜同様に扱われているではないか。と非難していると読み取れる短編です。
1918年11月、この短編で描写されている月にドイツ帝国で革命が起こって第一次世界大戦は停戦となります。つまり、ロシア革命で停戦したドイツ軍の東部戦線の戦力を再び東に向けさせるためのシベリア出兵は意味がなくなります。1920年には、各国がシベリアから撤兵する中、日本軍だけが1922年まで駐留を続けます。パルチザンに協力する村を殲滅しながらの駐留はシベリア住民にとっても迷惑だったでしょうが、極寒の中の駐留は日本軍の兵隊たちにとっても厳しいものだったのでしょう。せめて「やむを得ない」と言える用兵であれば、と思うのですが、撤兵を決めた加藤首相も「外交上まれにみる失政の歴史」と評価したように無意味なものでした。
後に、太平洋戦争の敗北まで続く、末端の兵隊の生活や健康に配慮しない軍政の萌芽を記録しているように感じました。
流行感冒(白樺1919/ 4)
インフルエンザのパンデミックであるスペイン風邪の年です。日本では人口千人あたり七人から八人に相当する人が感染して亡くなっています。
物語は、上下に分かれています。「上」では、過保護な父親である自分の性分と、その性分から家に風邪を持ち込まれる事を恐れた自分が例年女中に見に行かせている芝居を、この年にかぎり禁止した事、その禁止を偽って破った女中への対応を物語っています。女中に対する主人公の対応から「人を叱るのは容易な事で、それを許すのは難しい事だ。」と感じました。
「下」では、ついに主人公の家にインフルエンザが入ってしまいます。注意していた女中からではなく、主人公が呼んだ庭師から移されたものでした。家中で病人でないものはくだんの女中ただ一人となり、人一倍負担が増える中、忙しく働く女中でした。その後、元通りとなり、女中も年頃とて実家に帰る事となりました。別れに際し、女中を解雇しなくて良かった。と振り返る主人公。やはり、人には丁寧に接せねば。と、僕は読みました。良い物語ですね。
小僧の神様(白樺1920/ 1)
お金持ちのAが、薄給の小僧にお寿司をおごり、おごった事に後悔する物語です。
しかしながら、例えば「金持ちが、貧しい人に食料を恵んで、なぜ後悔するのだ?」と、Aの後悔(みだりに人におごるものではないと言う後悔、あるいは、逆にみだりに人から食べ物をもらってはいけません、と言う教え)を倫理観として共有しない人には「小僧がお金持ちにお寿司をご馳走になりましたが、小僧が寿司を食いたいと思っていた事や、小僧が寿司を食いたいと思ったお店をAが知っていた事が大変不思議でした。そこで、小僧はAが神様だったのではないか。と思いました。」と言う、不思議な小説です。
読む人を選ばず、さりとて、わかる人にはわかる。非常に高度に構成された小説だと思いました。
雪の日(読売新聞1920/ 2)
これも「我孫子の、とある一日」を描写した一遍。粉雪が降った日です。雪をおもしろがって、普段妻に任せているお買い物を訪ねてきた友人と二人でお使い。夜は、友人達とおしゃべり。酒を呑んで騒ぐのとは異なる「家にいつも客がいる」サロン状態を理解したように思います。
焚火(改造1920/ 4)
赤城在住時の短編。山頂のカルデラ「大沼」湖畔に住むための小屋を建造中。建造を頼んだ地元の人と、細君、友人とともに夜の湖にボートをこぎ出して。
ボートを降りた後、地元のKさんが語る、かつての「不思議」なお話し。月明かりの雪山に、雪に腰まで浸かりながら手で雪を漕ぐようにして帰ってきた時の話。ようやく自宅の灯りが見えた時に出迎えに来てくれた家の人。聴けば母親がKの帰宅を察知し、家人に出迎えを頼んだのだとか。ほんのりと愛情がうかがえるお話しでした。
真鶴中央公論1920/ 9)
真鶴から幼い弟を連れて、小田原まで下駄を買いに行った兄弟のお話し。google mapでルート検索すると、真鶴-小田原間は14.4km。往復28.8km。時速4kmで、7時間。兄は学校に上がっているようですが、弟は未就学児のようです。まる一日掛かりの旅ですね。
お使いに出した親の目論見は失敗。兄は、預かった二人の下駄代を途中見かけて欲しくなった水兵帽を買ってしまいます。そして、弟の手を引きながら、当時の流行歌「法界節」を歌う一行についてゆきます。日が暮れて、ようやく自宅付近に来たところを心配で探しに来た母親に出逢います。
兄は、暗くなってから、弟を負ぶって歩きます。母親と出会い安心して泣く弟に水兵帽を与えて宥めます。一応失敗をリカバーしている体裁で物語は終わります。
兄が、この一日を失敗とリカバーの一日と認識していれば、一応兄の心の成長物語として読む事ができます。しかし、失敗を認識せず、父親に叱られた際に、リカバーを挽回の手として言い訳するならば、成長とは言えない物語です。どちらでしょうか。
好い面の皮の弟の側に立つと(小説は弟の視点は一切ありませんが)「先ずは、一人で小田原まで行けるようにならねば。」「兄とは別に親から自分の下駄代を預かるべきだ。」「親が兄を叱ったところで、兄は自分を怨むばかりだ。親は当てにできない。」「早く独り立ちしたい。」と兄に変化がなければ、弟の学習はこのようになると思います。長子が親や兄弟に執着し続けている間に、弟、妹が先に自立を目指すようになるのは、このような関係があるのかもしれない。と(おそらく、著者の意図とは無関係に)僕はしみじみ思いました。
雨蛙中央公論1924/ 1)
農科大を中退し、稼業の酒蔵をついだ賛次郎の物語。田舎町に戻り、最初は「向かない」とおろそかにしていた文学の趣味が高じてきました。友人が住むA市で若手文壇家の講演会があり、それを切っ掛けに文学趣味を捨てるまでの物語。
僕が、かつて、古いTV番組の再放送を見て、発見した事を思い出しました。田舎に古くからあるお祭りを取材した番組で、僕の興味を持ったのは、住人へのインタビューシーンでした。テレビ局のアナウンサーと思われるインタビュアーと、古くからの祭りを知っている年寄りが、交互に話をしていました。しかし、二人の話は会話になっていませんでした。年寄りは、聴かれた事について答えるのではなく、自分の番が来ると、独り言をつぶやくように話していました。
なるほど、訓練をしていない人は、聴かれた事に答える、短く答えて、質問を返す、と言う日常会話ができないものなのだな。と思いました。それでも生活をするのには困らないのでしょう。田舎の中での生活が、人が集まって仕事をする街中とは、だいぶ違う事に思い至りました。
で、賛次郎の妻が、会話ができない(笑って誤魔化しているように思われる)人のようです。小柄ながら容姿は美しい妻は、そうして講演に来た都会ふうみの文学士二人と地元の派手な女性の逢瀬に巻き込まれます。
翌日、何があったのかを察した賛次郎は、文学を捨てて一安心。と言う物語です。田舎で生きる決心がついた、と言う事なのでしょう。初めて妊娠した時に流行感冒に掛かり、それ以来妊娠しない妻の状態が伏線として記されているところが、気が効いていると思いました。
転生文藝春秋1924/ 3)
口うるさい夫と、ぼんやりした妻が、オシドリとキツネに転生するファンタジー。
「夫婦喧嘩は犬も食わない」の言い習わし通り、小話として微笑ましく拝読しました。
堀端の住まい(不二1925/ 1)
一夏、島根県松江の城近くで一人暮らしをした時の出来事。養鶏を営む隣家(本業は大工)が鶏を襲った猫を捕まえて殺した話。
人の家業(養鶏業者が害獣を殺すこと)に口出しは出来ない。しかしながら、殺生を間近に見るのはつらいものだ。という感想。
「そうだよね。」と、まともな人がまともにつぶやくのを、「自分もまともだ。」と確認した一編でした。
冬の往来(改造1925/ 1)
作家仲間(私小説作家)が書けずにいる、過去の失恋を代理で記した形の一編。
「女は、彼女一人じゃあるまいに。」と僕は思ったのですが、一途な恋愛とは、斯様な恋心を言うのだろうな。と他人事ながら思いました。
瑣事(改造1925/ 8)
「瑣事」「山科の記憶」「痴情」「晩秋」は私小説。京都の芸者ではないが、金でかたの着く若い女性との浮気の行方。ではなく、主人公が浮気相手をもったことによる、家庭の成り行きを語ります。
浮気についての倫理は問題にしていません。恋愛を楽しむものの、家庭は維持したい。では、どうするのか。です。
出来事の順で言うと(文庫の解説を書き写すのですが(^_^;)「山科の記憶」「痴情」「瑣事」「晩秋」の順だそうです。
「瑣事」は別れたはずの情人を密かに訪ねて。約束なしの京都行き。期せずして奈良ですれ違い。それでも主人公は、一目見かけたことで満足。
かなりプラトニックになりつつある男の、女への思いだと思いました。
山科の記憶(改造1926/ 1)
最初にばれたときの修羅場。男が妙にうまくあしらう様子が見事。男が、自分の見事な対応を、妻の純粋さの影響、と分析しているところが面白く感じられました。
痴情(改造1926/ 4)
仕方がなく、妻が言うとおりに女と別れる男。二人で愛情確認をしているところが、読んでいてばかばかしい、と言うか、痴話げんかの域を出ていない微笑ましさがありました。
晩秋文藝春秋1926/10)
「瑣事」を発表したことで、切れていないことが公になったあとの顛末。世間体対策を練る二人。ご馳走様でした。

2015年11月29日
No.582