受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 580 ひらいて/綿矢りさ著 を読みました。

ひらいて (新潮文庫)

ひらいて (新潮文庫)

 
ひらいて(新潮文庫)

ひらいて(新潮文庫)

 
華やかでモテる女子高生・愛が惹かれた相手は、哀しい眼をした地味男子。自分だけが彼の魅力に気づいているはずだったのに、手紙をやりとりする女の子がいたなんて。思い通りにならない恋にもがく愛は予想外の行動に走る  。身勝手にあたりをなぎ倒し、傷つけ、そして傷ついて。芥川賞受賞作『蹴りたい背中』以来、著者が久しぶりに高校生の青春と恋愛を瑞々しく描いた傑作小説。
背表紙から引用

サービス精神が旺盛

僕が「友達になりたいな。」と思う人は、みな気持ちに余裕があります。
汲々としたところがなく、サービス精神が旺盛。

例えば、金にならない趣味に打ち込んでいる人。
独身生活を謳歌していた時には、頻繁に友人のコンサートに出かけていました。ロックバンドのライブハウスでのライブと、現代音楽のアカペラ。両極端ですね。
共通点は、下手の横好きではなく、プロフェッショナルな腕並みと言うこと。
ライブハウスの方は
「ねぇ、飲み過ぎちゃって財布が心配だから、もう一曲やって!」
と言えば
「はいよ。」
とやってくれそうな感じだったし、ほろ酔い気分で盛り上がっているとイソップ寓話のアリとキリギリスを思いだし
「おれ、キリギリスとして生きたい。」
と真剣に思いました。

アカペラの方は、現役作曲家の委託初演とかやっちゃうんだけれど、さすがにYouTubeで例を示すなら、既にお亡くなりになった作曲家の作品から。検索すると、おぉ、この曲やってた。

他には、インターネットが普及し始めた頃に、ホームページを作っている人たちとよく遊びに出かけました。残念ながら、今は疎遠になってしまいましたが、金にならない自分のホームページに、金になるはずのキャラクターやら、詩やら、グラフィックデザインを惜しげもなく投入してる人たちとの交流も楽しい思い出です。

ちなみに、僕のウェブでの活動も一切お金になりません。一時期、レビューが載るとポイントがもらえて、毎月購入する小説本の費用がまかなえた時期がありましたが、今はそう言う気前の良いネット書店はありません。アフェリエイトのように見えるamazonへのリンクも(ときどき、アフェリエイトにしたら儲かるのかな?と、思うのですが)面倒なので、アフェリエイトではありません。紙面がにぎやかになり、僕が面白いと思った小説を、同様に気に入った人が入手しやすいだろう、と親切で貼り付けているだけです。

高知に引っ越してきてからは、周囲には魚釣りを趣味にする人が多いです。金曜日の仕事の後に飲み会が計画されている日。有給休暇で昼間見かけなかった人が、飲み会には顔を出しました。お店の人に話を付けて、昼間に釣ってきた魚をさばいてもらってみんなに振る舞っていました。
「これ、売れるよね?」
「漁師になれるのでは?」
と思うのですが、本人曰く
「毎日は、こんなに釣れませんよ。」
「仕事にしたら決めた量をコンスタントに釣らないとならないから、趣味とは違いますよ。」
と言うことです。

友達になりたい主人公「愛」

この小説の主人公「愛」は、高校生なので「趣味に生きる」と言うわけではありません。しかしながら
授業をちゃんと聞き、定期テストの前にだけしっかり勉強をして、一年生のころから良い成績を保った。おかげで第一希望の大学に推薦してもらえそうだ。
と余裕があります。
無理をして難関大学を目指すことはせず、さりとて、無意味に遊びほうけて、学校に来なくなり、お金の心配が多くなりそうな道を歩もうとする子たちとも違う。
「人生をなめるじゃねぇ。」
と、誰かに言われそうな気もするけれど、本人の勝手ですよね?
同級生に愛がいたら、僕は友達になりたいです。

この小説に登場する愛の恋の相手=たとえ君や、恋のライバル「美雪」も、切羽詰まったところがなくて、本来は気楽に愉快に遊びに行ける、普通の高校生なのだろう、と思います。

ちなみに、この対極にある友人関係は、太宰治人間失格
人間失格

人間失格

 
で語られる、主人公と堀木との関係だと思います。互いに相手のことを内心で軽蔑しているのに、どちらかにお金があれば連れだって飲みに行く。それを友達同士だ、と言っている関係。どちらかが死ねば、本気で弔問に訪れ涙を流しながら弔辞を述べる。

自分に余裕があって、相手に依存しない友人関係を築くのも、
互いに依存しながら(内心軽蔑しながら)都合の良い時に限って連れだって歩く友人関係でも、
どちらの友人関係を築くのも本人の勝手だ、と僕は思います。

アリさんは、キリギリスを端で見ながら、必死に働いて冬に備えるし、
キリギリスは、自由に生きて、冬には死にます。

不具合が生じるのは、余裕に生きている人に、依存的な人がたかる場合です。
さしずめ、気前の良いアリがキリギリスを養って冬を越させるような場合です。
それでも、キリギリスの数に比べて、アリが多ければ問題は起こりません。
気前の良いアリが少ないのに、キリギリスが遊び仲間をこじゃんと引き連れて、アリの巣に居座った場合に問題が発生します。
生活が、逼迫します。

ただの恋愛小説ではない

本書は、基本的には恋愛小説です。激しい恋愛感情の思う存分な描写は、期待通りの読み応えです。
ですが、ただの恋愛小説ではありませんでした。

日本に出稼ぎに来るアジアの若い女性が、家族のために仕送りしているのを聞くと
「日本は子供にたかるような親が少なくて良い国だな。」
と思うのですが、その実情は、微妙に、巧妙に、家族や同じ職場の人を食い物にしている人が案外多いことに気が付く今日この頃です。
人を食い物にする彼らの巧妙さを打破するには、ある程度の破壊が必要です。ですが、その破壊の過程で
「彼は感情的になる人ですね。」
とレッテルを貼られて「負け」を言い渡される可能性が高いです。その可能性の高さを勘案し、多少自分が食い荒らされていも、まともでいることを優先するのが大人です。
この小説を読んで良かったと思うのは、主人公が、自分の負けを恐れず、破壊に走ってくれる点です。

また、主人公の破壊が、自分のためではなくて、恋した男のためであったことを考えると、彼女の捨て身の破壊(光浦靖子が文庫解説で引用している「むこうみずの狂気」)は、究極の愛情の発現であると感じました。
例えば、自分でもこんな手段に出ることも可能である事を思えば、自分の人生が食い散らかされ、損をしていると感じていても、耐える事ができるように思います。

2015年11月 9日
No. 580