受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 525 1Q84 BOOK2 <7月-9月>/村上春樹 著 を読みました。

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2

 

BOOK2<7月-9月>第1章(青豆)「あれは世界でいちばん退屈な町だった」は、夏の初めに青豆が老婦人を訪れるところから。また、第2章(天吾)「魂のほかには何も持ち合わせていない」は、『シンフォニエッタ』を聴きながら、天吾が朝から仕事(小説執筆)に取りかかるところから始まります。

既に文庫になってます。

1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉前編 (新潮文庫)

 

文庫は、前編、後編の二冊の模様です。

1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK2〈7月‐9月〉後編 (新潮文庫)

 

以下はhontoネットストア:本、コミック、雑誌の通販【共通hontoポイント貯まる】に楊耽のペンネームで投稿した書評を校正したものです。

 

BOOK2を読んでも、やっぱり「読まなければ意味がない」と思いました。
読み終えて僕が思う、その意味とは、読んだ僕が「想像をする」と言うことです。

 

まず、物語のその後を想像します。
1Q84」は最近のテレビドラマや、テレビドラマを元にして作られた劇場公開映画のように、謎や伏線が全て解明されてすっきりエンディングを迎えるタイプの物語ではありません。
物語が終わった段階で謎が残りますし、主人公には、しなければならないこと、考えなければならないことがたくさん残っています。では、その後の主人公はどうなるのか、と考えると、それは、読者にゆだねられているように感じられました。つまり、その後については、僕自身が想像するしかないと考えたわけです。

 

そして、僕は天吾と青豆のその後のハッピーエンドを思い描きました。天吾が病院から帰宅した後、約一年を経て、青豆と再会するハッピーエンドです。
僕が描いた、このハッピーエンドに至るストーリーは非常に簡単です。おそらくあらすじを文章にすれば、数行で書けるものです。
でも、僕は、ここに至るまで数日掛かかりました。その間「1Q84」を反芻しては、それぞれの意味を考え、自分がどう感じているのかを考え、今までの著者の作品を思い出し、わかっていること、謎として残っていることなどを整理し、不足するところは想像しました。
先ずは、これが「読まなければ意味がない」と思った理由です。
例えば、誰かにあらすじを聴いても、未解決の部分は不満として残るだけで、想像しようと言う気にならないと思います。想像をかき立てられるところが、この物語を読む意味ではないかと思います。

 

次に、細かい点になりますが、肯定されるべき主人公の天吾に「それは、反社会的な行為ではないのですか?」と問いたくなる箇所があります。嵐の中のおまじないです。
この行為は、もう一方の主人公青豆が戦っている反社会的な人物が為す行為と同一です。
著者は、2000年8月に朝日新聞社から刊行した「そうだ、村上さんに聞いてみよう」
の中で、読者からの投稿に答えて「僕の小説は反社会的であったことは無い」と力説していたのが印象的ですが「1Q84」では、この記述に限って逸脱していると思いました。
それでは、村上春樹は方針転換をして、反社会的な小説を書こうと思って「1Q84」を執筆したのか、と考えれば、もちろんそんな事はないと思います。エピソードだけを取り出して描写すれば、まさに「反社会的」と言える行為が、実際に行う人の立場、状況、環境によって意味が変わってくる、と言うことだと思うのです。
天吾の行為を指して「反社会的ですね。」と非難することは簡単です。でも物語を読むと、単純に非難だけをして済ますことは出来ないだろう、と直感します。
これをどう考えれば良いのでしょうか。
僕には、答えが出せませんでした。
同じように考えれば、BOOK1の冒頭での青豆の「仕事」についても、考えさせられ、答えを出すことが出来ませんでした。
天吾は嵐の中でおまじないをして、青豆はタフでクールに仕事をします。
そして僕はこの物語を面白く感じて、最後までぐいぐいと牽引されて読み終え、天吾や青豆の行為を認め、その善し悪しは保留することに決めました。

 

このような、自分自身の「1Q84」の読み方を推し進めて考えると、
僕が茶の間で見るTVから流れる残忍な事件についても、同じような事が言えるのではないかと想像が膨らみます。
読書を逸脱しますが、事件に対峙する場合には善悪を決めつけて対応することが必要ですが、直接の事情が分からない場合、例えば茶の間で見るテレビの中の出来事についてはそれほど有効では無いのかもしれない。と思いました。

 

読み終えた僕には、天吾のガールフレンドのその後や、小松には月がどう見えるのか、など気になる点がたくさん残ります。でも僕は何となく「1Q84」には「ねじ巻き取りクロニクル」のように、続編があるようには思えません。それは、ここで書いたように、続編は僕たち読者の想像力にゆだねられていると感じるからです。

 

2009年8月14日
No.525

続編(BOOK3)は手元にあり、まだ読んでません(^_^;)

2014年 5月 1日