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受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 555 穴/小山田浩子 著 を読みました

穴

 
 Kindle版もあります。
穴

 
 第150回(2013年下期)芥川賞受賞作「穴」に加えて「いたちなく」「ゆきの宿」を収録した中編小説集。
第42回(2010年)新潮新人賞、第30回(2013年)織田作之助賞受賞作「工場」を含む短編集「工場」(新潮社2013/ 3)
工場

工場

 
に続いての第二作品集です。

 

表題作「穴」は、夫の転勤に従い、住宅もまばらな草深い田舎に引っ越してきた妻の物語。
仕事が見つかるまでの専業主婦期間中に起きた不思議な体験。
見慣れぬ獣を尾行し、土手をおりて行くと穴に落ちた。
「いたちなく」は、夫の視点。遅い結婚をして、住宅もまばらな兼業農家が多い田舎に一軒家を買った友人=斉木君宅を夫婦で訪ねて。あらかじめ妻に打診すると、猪鍋を楽しみにしている様子。「私は田舎者ですからね……」と結婚して以来食生活を夫に合わせて田舎料理を控えていたのだとわかる仕組み。
屋根裏に出没するいたちに悩む友人。友人宅を訪ねた後、妻は、友人の新妻と連絡を取り始めたようです。
「ゆきの宿」は、「いたちなく」の続編。斉木君の新妻が子を産んだ。夫婦で再び斉木君宅を訪ねると、吹雪に閉じこめられて一泊することに。
斉木君の新妻の出産は、予定外の早産で、仕事で連絡が取れない斉木君に代わり妻が付き添って産院に行ったのだった。斉木君宅での夜も、遅くまで赤ん坊に話しかけていた妻。

 

ーーーーー 

 

芥川賞贈呈式での選考委員島田雅彦の選評が面白かったので、帰宅途中の駅の本屋さんで、店頭に並んでいた本を買いました。贈呈式での選評は、受賞作発表と同時に掲載される文藝春秋2014年3月号での真面目な評論とは異なり、聴衆が本好き、既読の読者であることを前提とした、本作の面白さの紹介でした。大いに興味が惹かれました。

 

「穴」は、安部公房を彷彿とさせる、前衛的な寓話です。
街中に住んで、派遣社員として会社の事務仕事をしていた妻が、夫の転勤に従い、勤めをやめて引っ越しをする。引っ越し先の出来事。
寓話ですが、最後に「教訓」として、作者が言いたいことをまとめているわけではありません。ですので、読者それぞれ、いろいろな読み方が出来ると思います。
退職、引っ越しのありがちな風景を描いた後、専業主婦を始めて先ず気付くのが、
「三食昼寝つきと揶揄する言葉をかつて聞いたことがあるが、要は昼寝をするのが最も経済的で効率的な過ごし方なのだ。」
と言うこと。
僕は、ここからが寓話だと思いました。子供が居ない夫婦で、妻が専業主婦になるとどうなるのか。

 

以下は、極端に僕の読書に偏った、この作品への感想です。
主人公は、特に変わった所のない普通の人です。いや、普通の人と言うよりは、少し出来の良い夫婦だと思いました。
観光地に行くと、ひっきりなしに連れの人を叱っているカップルを見かけます。でも、この小説の妻は、夫を尊重して小言を言いません。夫も細かいことを口にしません。
一緒に暮らしていれば、指摘するべき所作や態度と言うのが目につくものです。例えばこの夫婦の場合は、夫が頻繁に携帯電話を操作して、誰かとメールのやりとりをしている点や、妻に仕事を辞めさせて夫の実家の近くに住むことは、幾らでも「正論」として、夫の至らぬところとして指摘できる点だと思います。でも、それを敢えて言わないところが、子供が無くても円満に日常を過ごしているこの夫婦の美点だと思いました。
つまり、世間の夫からすれば、ちょっと羨ましい妻です。
蛇足ですが、この妻には、歳が離れていない兄か姉がいると思います。歳が離れていない兄や姉は、身勝手な正論を振りかざし、親の真似をして弟や姉を叱ります。
弟や妹は、考えます。
「言っていることは、たしかに間違いでは無いのだけれどな。」
言葉の上で間違いで無ければ、何を言っても良いものか。
相手の事を考えず、文句や不平不満を「叱る」と称して言いつのる人がどのように感じられるのか。
端的に言えば、嫌な奴です。
「いずれ、離れて生活をしたい。」
と思います。
これが、弟や妹の学習です。

 

だから、二人目、三人目の子供は、小さい頃から独立心が強く、親からみると
「知らぬ間に育っていた。」
となるのですが、その実、相手のことを考えて接することができる情動の優れた人となります。

 

子供に対しては(又聞きですが)二人めを設けた夫婦のお話を思い出しました。手が掛かる子供に対して、どうしても感情的に叱ってしまう妻を見ていると
「もう、これ以上子供は作れないな。」
と夫が、やる気を失ってしまったのだそうです。

 

子供にとって、叱る親は、親離れの動機となります。子供が手を離れて、一族は拡散、発展します。と生物学的にも理に適っています。ですが、子供の独立心を育むだけでなく、配偶者のやる気を奪ってしまうと、それはおそらく失敗です。

 

そんな心配の無い、良くできた人である、理想の妻も、専業主婦として放っておくと、穴に落ちる。
結末部分で、穴を見なくなった妻の生活が、どのように改善されたのかを考えると、僕は、上記のような寓話を見いだしたわけです。

 

「いたちなく」は、リアリズム小説です。(ここでは、19世紀の自然主義文学の意味ではなく、「穴に落ちることが無い」という程度での意味でリアリズム小説と申し上げています。)「穴」とは異なり、夫の視線で綴られていますが、互いに過干渉にならず、不可解に思ったり、気になることがあっても、しばらく黙って様子をうかがっている夫婦の特徴は同じ。
夫に頼らず、友人を獲得する妻。その妻に寄せる夫の信頼感がほのかに感じられます。

 

「ゆきの宿」もリアリズム小説ですが、主人公である夫が不思議な夢を見ます。夜更けに妻はどこに行ったのか。エンディングで、「いたちなく」で残った疑問が解けます。

 

三作を読み終えて思うのは、描かれている主人公夫婦が、平凡な幸せの中にいる夫婦だと言うことです。二人の関係を考えると、夫婦に必要な絆のあり方が見えてくるように思います。
それは、お互いに独立した大人であり、それぞれに友人関係があり、人間関係をお互いに依存していない点、お互いを尊重して過干渉しない点は、先に書いたとおりですが、それ以外にも子供の頃からの親友とは違う友情、自分を育ててくれた家族とは異なる愛情、良好な職場の同僚との信頼関係とも異なる信頼関係があるように思います。
二人には、テレビドラマで描かれる熱愛や、少女漫画で描かれるロマンスはありません。一方でまた、僕が普段ニュースなどで目にする夫婦関係の問題(浮気、金銭、暴力)などにとりわけ留意して排除している様子もありません。おそらく二人にとって、そのような問題は、文字通りテレビの中の出来事で当たり前の夫婦ならば、そのような心配が不要であると安心しているように思えます。当たり前のことが当たり前と思える事が幸せなのだな。と羨ましく思う二人の関係でした。
2014年 3月23日
No. 555