受動態

Daniel Yangの読書日記

No. 467 結婚は人生の墓場か?/姫野カオルコ 著 を読みました。

ああ正妻

ああ正妻

 
「良妻賢母」と言う言葉がありますが、この小説の主人公の妻雪穂は言ってみれば「悪妻愚母」。ほとんど犯罪の域に達していると思われる雪穂の家庭運営は、しかしながらかろうじて「民事不介入」の原則に則って警察の介入は逃れる範囲でしょうか。
彼女を娶ったエリート編集者小早川くんの悲惨な結婚生活の物語です。

 

後半で小早川が執筆を依頼する大学教授の分析が、それまで悲惨な家庭のうちに視線を投じていた僕を、客観性のある外の視線に移しました。
作中で小早川くんがたびたび思うように、雪穂の悪行は基本的に客観性を欠いているところにある、と僕も感じます。でも所詮プライベートな人間関係で客観性は二の次。自分が心地よいと思う事が大事。これも、小早川くんが諦めるとおり、僕もそう思います。
例えば雪穂が管理職で僕の上司だったら、人事部門に相談にして対処するところですが、自分の妻となれば自分で対処するしかありません。
その対処が笑える(と言うか、笑うしかない)小早川くんの物語でした。
以上は、「楊」のペンネームでamazonのカスタマーレビューに投稿したものです。

 

ここでは、感想を逸脱して、もう少々僕の感想を述べます。
小早川くんの悲惨な結婚生活の原因について。
ここでは、小早川くんについては問いません。例えば「小早川くんもわるい!」と追求することも可能です。でも、それはナンセンスだと思います。配偶者に暴力をふるわれている人に対して「あなたも悪いのよ。」と言うようなものです。
横暴な妻に対して、小早川くんの選択肢は離婚又は、雪穂の改善しかないと思います。これについては、長くなるので別なところで。
ちなみに、この家族に対して、僕は特に憤りは感じません。男同士と言うものはそう言うものです。本人が助けを求めているならば、僕も出来ることをしますが、本人が特に援助を求めていないようですので、よけいなお世話はしません。自分の妻が雪穂だったら、いろいろ考えます。

 

さて、雪穂ですが、この女の諸悪の根源は父親です。甘やかして育てた父親が悪い。
子育ては、健康にしっかりとした大人になる事を目指すべきだ、と僕は思います。つまり、根本的には、自分(親)が必要とされなくなるように(必要ではなくなるように)することだと思う。(ちなみにこれは、伊丹十三徹子の部屋で言っていたことの受け売りです。スミマセンm(v_v)m 雪穂の父親は、雪穂をいつまでも自分が必要とされるように育てたと考えられます。「甘やかした。」と言うのはこういう事です。
雪穂は健康に育ちましたが、社会人として人波にもまれる覚悟は出来ませんでした。仕事をしていれば、仕事そのものの難しさだけでなく、同じ職場の人間関係を調整する能力なども必要とされますが、そのどちらの能力も雪穂には身に付きませんでした。
なにも金銭を稼げるようになることだけが大人になる能力だけではありませんが、では家庭の事を雪穂が引き受ける事が出来るようになったかと言えば、そうもなりませんでした。かろうじて炊事、洗濯、掃除などはするようですが、それを当たり前のこととしてせずに、常に不満をぶちまけながらでないと出来ない状況は、つまり彼女にとっては、それらの家事労働が苦痛なのでしょう。
家計の管理に至っては全く出来ず、本来小早川くんの給料なら、相当余裕のある生活が出来るであろうに、無策、失策により、夫の小遣いを切りつめて、ようやく凌いでいる状況です。
逆を考えれば、イメージもわきやすいかも知れません。例えば、夫が雪穂みたいだったら、仕事から帰れば仕事の愚痴ばかり。給料が入ったら恩着せがましく「俺が稼いでやったんだぞ。」と言う。仕事が嫌になればすぐに会社を辞める。と言うような感じでしょう。妻は苦労するでしょう。
結局、雪穂にとって、結婚とは父親の代わりに甘やかしてくれる夫を見つけることだったと思います。夫(父)が出来うる限りの事は(雪穂の能力に関わりなく)夫(父)がやってくれて、何か失敗があれば、その責任はすべて夫(父)にあると言う状態。
無責任と言う要素も見逃せません。自分の意志で妊娠したならたとえばシングルマザーになっても育てる覚悟があるのかと言えばそうでは無いようだし、買った家が失敗だったら、その家で楽しくする努力もせず、夫に負担を掛けて引っ越す。犬の世話はしない。

 

それでも、雪穂が外に出て、このような状況を人に話すと、親はもちろん、女性の知人も「あらぁ、あなたも夫で苦労しているのね。」と雪穂の側に立って、雪穂に同情する姿が目に浮かぶようで、脱力しますね。

2007年5月6日

No.467 

 

結婚は人生の墓場か? (集英社文庫)

結婚は人生の墓場か? (集英社文庫)

 

 文庫化され「結婚は人生の墓場か?」に改題、全面改稿されました。

文庫の後書きに著者が記した意図が、本書を理解する上で大きく役立つと思いますので、是非お読みすることをお勧めします。

 

僕が文庫化で大きく変わったと感じたのは、ラストで雪穂の側に立って夫との関係を考察している点です。
物語の皿回し的役目を担う、川松教授の質問に答える形で、小早川くんが「妻が求めるものは何なのか」を述べます。
内弁慶なモンスターとして家庭に憚る雪穂は変わらないのですが、それでは、雪穂自身はこの現状をどう考えているのか。
川松教授の考察は、幸福論(又は不幸論)として秀逸だと感じる一方、では、僕はどう考えるのか。と、一緒になって考えるきっかけになりました。

 

2010年8月1日

そして、小早川の回答には、僕も愕然としました。

 

「ああ正妻」では、単に「小早川くんの結婚は悲惨だな。」と言う感想がメインでしたが、
本書では、多かれ少なかれ、自分が雪穂的な側面を持っていることを前提に、
では、自分が雪穂のようにならないためにはどのような注意をすればよいのだろう。
と、読者も考える事が出来るように工夫されていると感じました。

 

僕は(本書に異を唱えるわけではありませんが)雪穂が、小早川の言うことを、遮ったり、否定したり、間違っていると指摘することなく、是認しながら「聞き上手」になることで、この夫婦は改善すると思いました。
つまり、僕は川松教授の「妻に何を求めますか」の答えには、「話を聞く人になってほしい。」と答えるのが正解だと思いました。
また、僕が雪穂的夫にならないためには、妻の言葉を是認しながら聞くことが大切だと思いました。
前提として、
男性が「多かれ少なかれ、我が妻も雪穂的な側面を持っている。」と思うのと同様に、
女性も「夫だって、雪穂的な理不尽さを持っているよな。」と感じるだろう、
と、考えました。

 

物語の家庭は、度を超しているため「雪穂は異常な人」と他人事として、自分を顧みることを回避できる工夫もされているのですが。

amazonに投稿したレビューを加筆しました。2014年 2月24日